第32話 カナエ
日頃お世話になっている出版社に赴きウェブサイトのコラムを更新した帰り、市街で中学時代の同級生であるカナエと再会した。当時バリバリのギャルだったカナエとは数える程しか話したことが無かったので、道で声をかけられた当初は全然誰だかわからなかった。
しかししばらく彼女に合わせながら話していくうちに、カフリンクスを外した袖の中にゴムバンドやらミサンガやらを着けやたら長いタオルを持ち歩いていたセーラー服姿の彼女の像が脳裏に甦り懐かしくなった。
「最近な、変なことばっか起きるんよー」
唐突にカナエが言い出した。
「変なこと」
「何も無いのに窓がめっちゃ曇んの」
カナエいわく、夜になると自宅アパートの窓に白く息を吐きかけたような跡ができる、というのがここ一週間程続いているらしい。
「はー?こわ。ストーカーじゃなく?」
「違う違う!ウチ2階やけどベランダ無いし!」
ならば人では無いな。気になるならお祓いでもしてみたらどうかと伝えると、カナエの目が潤み始めた。
「お祓いってそんなすぐできるもんやないやん?ウチあの家に一人でおるの嫌やぁ…」
カナエが小さく肩を震わせ、ネイルの施された指で目元を拭う。
怪奇に悩まされている女性が目の前で泣いている。こんなシチュエーションで、他の男性ならどう行動するんだろうか。やっぱり「俺が助けてあげなきゃ」とか思うんだろうか。
私が思ったのは「こいつウゼェ」という優しさの欠片も無い感想だった。というのもこのカナエという女は嘘泣きが得意技なのだ。嘘泣きを始める直前は目をちょっと見開いて渇かそうとするのでよくわかる。ただ嘘でも公道で泣かれると私が何かしたように見えるので、私は小突きたいのを抑えつつ「ちょっと見に行っちゃる」と申し出た。
「最近オカルトみたいなんかじっとるけん、ちょっとしたお守り的なのは作れるかも」
「ほんと!?ありがとう!」
こうして私はカナエの自宅にお邪魔することになった。
市街からバスに乗り約30分、街道を挟んで古い家や新しい家が所狭しと乱立した地域に彼女の暮らすアパートがあった。
「ここ部屋な。ちょっと散らかってるけど」
カナエに導かれ家に上がる。家はワンルームで、壁には使用頻度が高いのであろうアウターが数種ハンガーで吊るされ、卓袱台の上には化粧品が散らばっているが、ゴミは無く足の踏み場も確保されている。綺麗ではないが汚くも無い部屋だ。
部屋の奥ではベッドが横向きに置かれ、その向こうに件の窓があった。
「ちょっと失礼」
ベッドの上に上がり、窓を確かめる。確かにベランダが無い。物干し竿と洗濯物が下に落ちるのをギリギリ防げる程度の幅の狭いでっぱりがあるが、生身の人間がこれに掴まるのは難しい。
夕方なのでまだ息を吐きかけた跡は見つからないが、まあ恐らく人間の仕業ではないだろう。気休め程度の盛り塩でも作って帰るか。ベッドを降りようとした矢先、カナエから突然肩を押された。私はベッドの上に仰向けに倒され、その上を跨ぐようにカナエが膝立ちになる。
「え、なに」
「黒牟田君ウチに呼んだのな、こういうことなんよ」
膝立ちになったままカナエは話し始めた。私が出版社に出入りしているのを中学からの友人経由で知ったこと。私がオカルトをかじっていることを出版社のウェブサイトで知ったこと。私を自宅に誘い込む為に「白く息を吐きかけたような跡がつく」という話をでっち上げたこと。
「中学の頃からな、黒牟田君のこと良いなって思っとん子多かったんよ。マイとかサキとか」
カナエに頬を撫でられる。
私はこの女に嵌められたわけだ。怒りがこみ上げたが、下手にカナエを押し退けるなどすれば何か別の因縁をつけられそうな気がする。
カナエにシャツを捲られながらも脱出方法を考えていると、不意に私のウエストバッグからスマホが音を立てた。
「で、電話!電話出さして!」
お互い姿勢をそのままに、私は胸元のウエストバッグからスマホを取り出し画面を確認する。同居人の秋沢氏から着信が入っていた。
ナイスタイミング。私はまるで恋人にでも語りかけるような声音で秋沢氏に応答した。
「もしもし?…あぁ~ごめんねぇ、ちょっと仕事が長引いちゃって~…うん、すぐ帰るからね…え?いや僕いつも通りだよ?変じゃないよ?…うん…うん、じゃあね、愛してるよ…いや変じゃないって」
電話を切った後、私は「そんじゃ」と膝立ちのカナエの股下をすり抜けベッドを脱出した。
「え、あの、黒牟田君」
「今聞いたやろ。そういうことやけ…」
いまだベッドの上に膝立ちしているカナエを振り返り、私はヒエッと声を上げた。
カナエの背後、窓の向こうに男が立っている。いや立つことはできないハズだが、立っているとしか言い様の無い姿勢でこちらを見ている。
そういえば、中学時代カナエにはラブラブの彼氏がいた。下校途中などに抱き合っている姿をよく見かけたものだ。
「カナエさ、中学ん時の彼氏どうした…?」
「タカヤのこと?飽きたから振ったけど」
「…そう」
私はお邪魔しました、とだけ言ってカナエの家を後にした。
家に帰りついた後、私は秋沢氏に泣きつき全てを話した。カナエに嵌められて既成事実を作られそうになっていたことも、カナエ宅の窓の外に男が立っていたことも。秋沢氏は「何はともあれ帰って来て良かった」とだけ言った。
それから私達は即席麺を食べながら窓の外の男について話した。あれは"タカヤ"という男の怨霊か何かだろうか、と私が言うと秋沢氏が「そうとも限らないよ」と返した。
「だってカナエって人の口振りからするに、多分タカヤ以外にもいろんな男と付き合っては『飽きた』っつって振ってそうじゃん。だから窓の外の人は歴代彼氏の誰か、もしくは全員の集合体じゃない?」
「あ、なるほど」
「あと怨霊というよりは生き霊の可能性がデカいと思う」
「そっか」
秋沢氏の推測に納得しウンウンと頷くと、秋沢氏が「でも本当に良かった」と呟いた。
「初郎君に彼女が出来たら、僕ここにいられなくなるから」
「いや別にいていいけど」
「駄目だよー!気まずすぎるもーん!」
「確かに」
二人で笑い合った後、私は思い出した。ほぼ生活の一部と化していたので忘れていたが、この目の前にいる青年は一緒に暮らしてるだけの他人なのだと。お互いに恋人ができればそちらが優先になってしまう。すっかり慣れ親しんだ目の前の他人とは別れなければならない。私は胸の奥が締め付けられるような気がした。即席麺からは味がしなくなっていた。
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