第97話 赤い紙、青い紙

頬に触れる冷たい外気が冬の訪れを予感させるこの頃。私がいつも仕事を頂いている出版社を訪れると、赤白帽を被った編集部のメンズ達が鉛筆を転がし合っていた。


「あっこんにちはー」


パーマのかかった頭の上にウルトラマン状の赤白帽を被った金本氏が笑顔を向けてくる。


「何してんの?忙しさでとうとう気が触れたの?」


「ちがわい!僕達ちょっと童心に帰ってみようと思ったんです」


「なぜ」


私の問いに赤白帽を目深に被った樹氏が答えて曰く、雑誌の企画で学生時代に流行った降霊術を検証することになり、当時のピュアさ無邪気さ快活さを取り戻そうと小学生時代に流行った遊びに興じてみることにしたそうだ。社会の荒波に揉まれた大人がそんなことでピュアさを取り戻せるとは思えないが、とりあえず「はいそうですか」とだけ返しておいた。


「で、降霊術って何するんですか」


「まあ予定としては"赤い紙と青い紙"やろうかと」


私は眉をひそめた。"赤い紙と青い紙"といえば昔よく囁かれた都市伝説だが、アレは紙の無いトイレに入ったら起こるものであって決して降霊術ではない。だいたいアレって学校のトイレじゃないと出てこないのではないか。あと助かる方法が無かった気がするけどどうするのか。

ツッコミどころを余すことなくツッコんでいくと、金本氏がチッチッチッと人差し指を左右に振った。


「わかっちゃったんですよね。呼び出す方法…紙が無いことをアピールしちゃえばいいんですよ」


つまりちり紙の切れたトイレに入り「紙が無い」と大声で叫べば良いとのこと。

そんなことで呼び出せてたまるか、だいたいどこソースの話なんだと金本氏に詰め寄ると「自身の体験談です」とドヤ顔で返された。


「こないだ個室のトイレ入ったら紙が無かったんで『紙無ェー!』って叫んだんです。そしたらどこからともなくこう聞こえたんです。『赤い紙と青い紙、どっちが良い?』と」


「んなアホな」


呆れながら返す私に金本氏が「本当ですよ」と語気を強める。


「思わず逃げちゃいましたけど、確かに聞きました!」


「じゃあ検証できたようなもんじゃないですか」


「まだです!最良の回答を導くまで検証したとは言えません!だからまた呼ぶんです!」


「命がけすぎるだろ」


私はなお呆れた。地方にもよるが"赤い紙と青い紙"の怪談はどの選択肢を選んでも死が待っているという理不尽極まりないものだ。そんな怪談、身近な人間に検証してほしくない。

そんな私の願いも虚しく金本氏は意気揚々とトイレへと駆け込んでいった。私は金本氏に何かあった時の為、樹氏と共に男子トイレの入口に待機した。樹氏に至っては金本氏と電話を繋いでいた。


『アレェー!?紙が無いなぁ!紙!無いなぁ!お尻拭けないなぁぁぁー!』


金本氏による猛アピールが始まった。このまま何事も起きず金本氏が恥をかくだけで終わってくれれば良いなぁと思っていた矢先、編集長の但馬氏がやってきた。


「こんにちは黒牟田さん。また馬鹿が馬鹿やってるって?」


「そうなんです。どうにかして下さい」


本当にどうしようもない馬鹿だなぁ。溜息をついてから、但馬氏が私の耳に顔を寄せた。


「"赤い紙と青い紙"の犯人、俺だよ」


「えっ」


目を剥いて但馬氏を見ると、彼は半面をケロイドで覆われた顔に意地の悪そうな笑みを浮かべて次のように語った。いわく『紙無ェー』という悲鳴がトイレから聞こえたので悪戯をしてみたら、金本氏が霊の類だと信じてしまったらしい。

何だかんだいって皆同じような精神年齢をしているんじゃないか、と突っ込んで但馬氏と笑い合ったその時、スマホを耳に当てていた樹氏が「シッ!」と人差し指を口に当てた。一斉に樹氏の方を向く私達。樹氏がスピーカー状態にしたスマホを向けてきたので耳を澄ませようとしたその直後。


「オッケーでぇーす」


金本氏がトイレットペーパーを片手に晴れやかな笑顔を浮かべ男子トイレから出てきた。


「おかえり」


「あら…編集長もお揃いで」


気まずそうな笑みを浮かべる金本氏。一応仕事をほっぽって頭の悪そうな検証をしていたことへの負い目は感じているらしい。

対して但馬氏は意地の悪そうな笑顔で「どうだった?」と訊いた。


「何も無かったろ」


「とんでもない!大発見でしたよ!」


えっと顔を強張らせる私と但馬氏。樹氏はスマホ越しに何か聞いたようで、黙って目を伏せている。


「言っとくけど少し前にお前が聞いた声は俺だからな」


「えっ」


但馬氏の告白に今度は金本氏が顔を強張らせた。


「悪戯ってことですか?」


「まあ」


「じゃあさっきトイペ投げてくれたのも…?」


それは知らんと但馬氏が怪訝そうに返す。それもそうだ、私達はずっとここにいたのだから。

たまたま他の男性職員が隣の個室に入っていてトイレットペーパーを投げてくれたのではないか。そう推測を立てるも金本氏は絶対に違うと頭を振る。


「トイレは僕以外誰もいません。それにこれ、さっき『赤い紙と青い紙どっちがいい?』って聞こえた瞬間にトイペの銘柄を指定してみたら投げられた奴なんですけど」


金本氏が手元のトイレットペーパーを私達に差し出した。


「この会社では高価すぎて使ってないんです」


私と但馬氏は顔を見合わせ、それから樹氏に目を向けた。樹氏は苦笑いしながら言った。


「電話越しに聞こえました。但馬さんの声で『赤い紙と青い紙どっちがいい?』って」


但馬氏が悲鳴を上げて走り出した。私達は彼の背中を見送ってから、金本氏に「で?」と問いかけた。


「結局何だって?」


「トイペの銘柄を指定して、それを『下さい』って言えば良いんですよ。『赤い紙、青い紙、どっちがいい?』っていうだけじゃ紙の内容も何がどう良いのかもわからないので、向こうの解釈に任せてしまうことになるんです」


「ほう?」


仰る意味がよくわからないが最後まで聞いてみる。


「例えば赤い紙と青い紙にそれぞれ死因が書いてあるとして、声の主が聞きたいのは『赤い紙に書いてある死因と青い紙に書いてある死因、どっちを選びますか』ってことなんですよ。それを『赤い紙と青い紙、どっちが良い?』という曖昧な質問に省略するんです」


「ほぼ暴論だな…。だいたいなんでそんな危ない奴が紙の無いトイレに現れるのか」


「紙が無くて切羽詰まってる奴の方が色々考えずそのまま答えてくれそうじゃないですか。とりあえず紙さえあればケツは拭けるんだから」


金本氏の解説が定かかどうかはともかく、声の主があまり良いものでないことはわかった。お祓いをしてくれるところに問い合わせようと編集部に戻ると、怯えきった様子の但馬氏が既に近所の寺に問い合わせお祓いの手配を済ませていた。


それから出版社の男子トイレではいくら紙が無いアピールをしようと声が聞こえてくることは無くなったそうな。

金本氏がやたら残念がっていたので、私からこのようにフォローしておくことにした。


「君がトチ狂って赤い紙か青い紙かを選んだら悲しむ人が沢山いるよ。僕とか樹さんとか」


途端に金本氏は「え?ほんと!?」と上機嫌になった。単純な奴だなと思った。

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