第26話 蛇〈前編〉
私は「初郎」といういかにも長男であるかのような名前だが、実は上に兄がいる。
兄は私のような最後に"郎"がつくような名前ではなく、もっと現代的な、サッカー部辺りにいそうな名前をしている。
では何故、私は「初郎」と名付けられたのか。それは両親いわく「改名したから」。
私には本来別の現代的な、テニス部にいそうな名前がつけられていたらしい。それがある事件をきっかけにして改名せざるを得なくなったそうだ。
以下、私の僅かな記憶と両親から聞いた話を総合した事件の顛末である。
私が3歳になった年の夏、家族全員で母の実家がある海沿いの集落を訪れた。集落の裏には小さな山が聳え、山の中には親族や先祖の墓があちこちに建てられている。
この日、集落を訪れた目的は先祖の墓参りだった。草木が繁る細い獣道を上り、山中に点在する先祖の墓を巡り各所で線香の煙を立てていく。
そして墓の中でも一番大きな、母が「本家の墓」と呼んでいる墓に参った時。目的もわからず手を合わせていた私は遊べないことに嫌気が差し、黙祷している家族の目を盗み墓の裏に回り込んでしまった。
墓の裏には小さな、適当な石を適当に組んで造ったような塚が建っていた。私は興味本位で塚に手を伸ばし、直後塚の隙間から出てきたものに思わず手を引っ込めた。それは赤黒い、頭の大きな蛇だった。蛇は私の姿を認めるなり私の周りをグルグルと徘徊し始めた。普通の子供ならここで蛇に恐れをなし泣き出すのだろうが、当時家族親類全員が認める程の変わり者だった私は蛇を怖がるどころか、その大きな頭が私の前に来るタイミングを見計らって、足で踏み潰してしまった。ぺしゃんこになった蛇の頭からは何やら液体が漏れ出し、身体は少しの間ビチビチとうねった後、動かなくなってしまった。
それと同時に、私を呼ぶ両親の声が聞こえ、私の前に両親が現れた。母は私の足下で息絶えた蛇の姿に気づくなり、血相を変えて私に掴みかかった。
「■■、これどうしたん!」
尋常でない様子の母に問われた私は一言「踏んだ」とだけ答えた。
「なんで踏んだんや!」
「わからん」
「なんでわからんことするの!?」
母は半狂乱になっていた。父はそんな母を宥めながら、私を抱えて山を降りた。
それから私は集落の集会所に連れていかれた。集会所には集落中の人が集まり、私を見ながら何やらヒソヒソと話していた。
すると間もなくして、眼鏡をかけた初老の僧侶が集会所に入ってきた。僧侶は私を見るなり「こん子かい、塚の蛇踏んだちゅうんは」と言った。
「大物になるで。ハハッ」
「住職さん、そげな笑うちょる場合やねえわ」
一人の老爺が口を出した。
「こんままじゃタケシみてえになるわ」
"タケシ"というのは集落では有名な荒くれ者で、私と同じく塚の蛇を踏んだ者の一人だという。"タケシ"の名を聞いた瞬間、集まっていた住民達が口々に"タケシ"の話を始めた。
「タケシは今どうしよんのか」
「今はムショじゃ。道で若ェ男殴って、一緒におった女を手込めにしよったと」
「あいつ家から動物の骨がいっぱい見つかったらしいやねぇか」
「あいつも塚の蛇踏んづけるまで大人しかったんやけどなぁ、やっぱ祟りってあんのかなぁ…」
誰かがポツリと放った言葉に母が顔を青くする。すると僧侶が「お静かに」と声を張り上げた。そして住民達が黙り込むのを認めると、母の前に腰を下ろした。
「千代実ちゃん、蛇の祟りはあくまで言い伝えやけん、こん子までタケシみてえになるとは限らん。けど心配なら名前を変えて、蛇を踏んだ子とは別人として育てちゃり」
「名前を変えるんですか…?」
「蛇がこん子を見つけられんようにしてやるんよ」
僧侶が言いたいのは、私に新しい名前をつければ蛇を踏み潰した"黒牟田■■"という子供はいなくなるので、蛇も祟る相手を見失うだろうということだった。あるかどうかもわからない祟りの為にそこまでするのかと母は躊躇ったが、集落の人々は揃って「やった方がいい」と勧めた。また父も「なんかよく分からんけど、そうした方がいいんなら」と私の改名に賛成したので、母は仕方なく僧侶に改名を申し出た。
それから間もなく私の新しい名前は「初郎」に決まった。由来は僧侶いわく「一見長男っぽいけん余計に撹乱できるやろ。あと優しい子に育つで」とのことだった。
こうして私は"黒牟田 初郎"となった。間もなく住民票等の公的な書類も"初郎"に書き換えられ(よく裁判所が許可したな)、家族からも「初郎」と呼ばれるようになった。ちなみに当時まだ保育園の類には通っておらず、近所の子とも殆ど交流が無かったので私自身が困ることは無かった。
改名してしばらく経ってから、私は塚の祟りについて知ることができた。
あの塚は数百年前に氏神として崇めていた大蛇を祀ったもので、塚の中に潜んでいる蛇は大蛇の化身だという。化身である蛇に危害を加えることは集落の中において禁忌とされており、禁忌を犯した者は大蛇の怒りを買い脳味噌を食べられる。
集落の人々が口に出していた"タケシ"という男が荒くれてしまったのも、彼が直前に塚の蛇を踏んでいたので大蛇の怒りを買ったのだと思われている。
「よくわからんやろうけど、とにかくアンタは大丈夫やけんな。な、初郎」
全く話を理解しておらずキョトンとする私の頭を母が撫でた。
実は全然大丈夫じゃなかったことがこの数日後に判明するのだが、それは後編にて。
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