第87話 電線女

母から"電線女"の話を聞いたのは小学生時代に参加した修学旅行の後、旅館で同室になったクラスメイト達と怪談話で盛り上がったことを報告した時だ。母は私が学友達から聞いた怪談に耳を傾けつつ、自身の学生時代に流行った都市伝説だと言ってその話をしてくれた。


『雨の日は電線の上に青白い女が座ってるなんて話をしよったもんやわ。目が合ったら追いかけられるとかな』


おおよそ怪談を話しているとは思えない穏やかな語り口だったが、その分内容が生々しさを帯び、また青白い女という存在の異様さが引き立てられて恐ろしかった。




あれから約20年。私は電線女の噂を時折思い出しては知人に「こういう話を知らないか」と尋ねてみたが、誰一人として知る人は現れなかった。

しかし先日、人づてではあるがとうとう電線女の噂を知っているという人を見つけることができた。教えてくれたのは私が普段仕事を頂いている出版社の雑誌編集長である但馬氏だ。彼いわく私から電線女の話を聞いてから数年間、仕事で知り合った人々に片っ端から「電線女を知っているか」と訊きまくっていたそうで、すると市街にある個人書店の店長から「知ってますよ」という回答を得られたそうな。

編集部の一角、『Cafe 小憩』という看板の吊るされた休憩スペースでこの話を聞かされた私は、但馬氏が電線女のことを気にかけてくれたことに感激し彼の為に(ドルチェグストで)抹茶ラテを作ったが、但馬氏から「黒牟田さんの為じゃなくて趣味ですよ」と言われてしまった。しかし抹茶ラテはちゃっかり召し上がられてしまった。

私も(ドルチェグストで)ソイラテを作り1口飲んでホッとしたところで、但馬氏が話の続きを始めた。


「で、あそこの店長さんの成松さんっていうんですけど、黒牟田さんのお母さんも旧姓それじゃないですか?」


成松という苗字は確かに母と同じ姓のものだった。母の実家がある集落では殆どの家が成松姓を名乗っているので、もしかしたら店長とやらも同じ集落の出身かもしれない。だとすると電線女は集落とその周辺でのみ語られていた噂なのだろうか。

しかし噂が流行った昭和数十年代当時、電線なら都市部の方が豊富で身近だっただろうに、どうして山と海に囲まれた田舎でそんな噂が流行ってしまったのか。"電線"という未知の物体への恐怖だろうか。いや、さすがに母親が生まれる遥か前に電線はあの集落に繋がれていたハズ。

短時間の間に私の脳内を巡る疑問を察したかのように、但馬氏が「多分これが噂の発信源だと思うんですけど」と1枚の紙を差し出してきた。昔の新聞をコピーしたもののようで、片隅の小さな記事がピンク色のマーカーで囲まれている。そしてそこに書かれているのは、母の実家がある集落で起きた事故の記事。電柱の先に引っ掛かった帽子を取ろうと電柱に登った女性が、バランスを崩して咄嗟に電線を掴んだ為に感電し、そのまま落下して亡くなったという痛ましい話だ。

この新聞が作られたのは母が生まれる前の年らしく、集落の大人から事故の話を聞かされた母世代の子供達がそのショッキングな内容から恐ろしい妄想をし、お互いに共有したのだろうと但馬氏は語った。しかしいくら子供とはいえ事故の話から恐ろしい怪談へと考えが飛躍するなどあるだろうか。私が新たに抱いた疑問に対し、但馬氏は「オカルトブームじゃないですかね」と答えた。


「黒牟田さんのお母さんぐらいの世代って多分小学校か中学校ぐらいで第一次オカルトブームが来てるんじゃないかと思うんですけど、どうです?」


第一次オカルトブームとは1970年代にノストラダムスの大予言を初めとしてUMAや宇宙人、超能力などのオカルトコンテンツが爆発的に流行した現象を指す。確かに母は10代の頃にオカルトブームを経験し、今でも心霊特番や都市伝説特集などのTV番組や本を愛好している。もしかすれば第一次オカルトブームが起きた当時、娯楽の無い集落の子供達はオカルトという人智の追いつかない存在を前にして興奮し、日常生活のあちこちにもオカルトを見出そうとしていたのだろうか。


「じゃあ、まあ…オカルトブームの影響で生まれた怪談ってことにしときましょう」


「なんか不満そうですね、黒牟田さん」


「断定するのが嫌なだけですよ」


この後(ドルチェグストで)カプチーノを作って飲んだ後、私は出版社と同じ街にある同居人の勤め先まで行き、仕事を終えた同居人の秋沢氏を捕まえて2人でスーパーマーケットへ買い物に行った。その道中に突如雨が降り始め、私は鞄から折り畳み傘を取り出しつつ頭上を見上げてみた。当たり前だが電線女はおらず、秋沢氏に「早く差してよー」と脇腹をつつかれてしまった。

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