第30話 館内放送

平日の昼下がり、私は市街の駅ビルに入っているホームセンター(と言うには品物の種類が多すぎる)で買い出しをしていた。冷却シート、制汗剤、日焼け止め…カゴに突っ込んでいくこれらは全て、隣県で行われるとある音楽グループのコンサートに備えてのものだ。

もともとコンサートへの参戦が決まったのは3ヶ月程前のことだった。私の同居人である秋沢氏が仕事から帰るなりスマホの画面を突きつけ「■■■のコンサートチケット取れちゃった!行こうよ!」と誘ってくれたのだ。元々好きでも嫌いでもないグループだが、生で見られるのなら見てみたい。そんなわけで私は秋沢氏の誘いに乗り、それからコンサートを数日後に控えたこの日に細かい旅行用品の買い出しをすることにしたというわけである。

財布から出ていく英世二枚との別れを惜しみながら会計を済ませた後、私はせっかくだからと駅ビルの中を散策することにした。

そして女子高生やOLでごった返す化粧品店の前を通りかかったところで、見知った顔と出くわした。


「あらぁ、黒牟田さぁん」


化粧品店のファンデーションコーナーから、ピンク色の可愛らしいコンパクトを手に取ったまま手を振るその女性は、私が日頃お世話になっている出版社の事務員であるゆうきさんだった。


「ゆうきさん、お休みですか?」


「年休ですぅ。今日相棒はいないんですねぇ?」


「相棒は仕事ですよ」


人通りの多い場所で知人を見つけた安心感で会話を弾ませていくうち、いつの間にかゆうきさんの化粧品選びに付き合うことになっていた。

ここで扱うブランドのファンデーションは全部白いとか、アイブロウコーナーに飾られている写真のモデルはもうすぐ30になるが透明感がすごいとか、そんな話をしながらゆうきさんと化粧品を見ていると、不安を覚える電子音が耳に入った。


「あれ、これ聞いたことあるな」


「あぁこれぇ、今流行ってるんですよぉ。金本さんなんかいつもMVの真似しちゃってぇ」


ああそういえば、と私は金本という編集者の男から、今流れているこの曲を勧められたことを思い出した。不安になる曲調だがどこか洒落ていて、流行るのも頷ける。

今度ネットで検索してみよう。そう思いながらゆうきさんから曲名を教えて貰いメモしていると、それまで例の不安になる曲が流れていたスピーカーから突如バチンッという強い音が響き、曲が止まった。店内にいた客がざわめく。


「あれ、故障かな」


「っぽいですねぇ」


私達は特に気にも止めず買い物を続けた。すると今度はスピーカーからピンポンパンポーンとチャイムが流れ、続いて小さな子供のように舌足らずな声で館内放送が始まった。


『ほんじつは、おあつまりいただきありがとうございます』


「何じゃこりゃ」


独りごちる。周囲からも「何これ」と怪訝そうに呟く声がいくつも聞こえた。

さっきの曲よりも不安になるが面白そうだ。胸をワクワクさせながら次の言葉を待っていると、館内放送は再び同じ言葉を発した。


『ほんじつは、おあつまりいただきありがとうございます』


「ねえマジでこれ何なん」と客だけでなく店員からも声が聞こえ出した。しかし館内放送はお構い無しに言葉を発し続ける。


『ほんじつは、おあ、おあつ、』


館内放送の声がつかえ始めた。


『おあつ、おあつまり、お、お、お、』


声はそのまま歌を歌い出した。童謡のようで、聞いたことがあるような曲調だが全く知らない曲だ。

隣で女子高生3人組が悲鳴を上げ、周辺からも続々と悲鳴が起こった。まずい、パニックになる。

落ち着いて、と声をかけようとした瞬間。


「うるっせえんだよ下手くそ!!!!」


ゆうきさんが怒号を響かせ、床をダンッと強く踏みつけた。その瞬間放送は止まり、聞き慣れたあの電子音が流れ始めた。私は反射的にジャンプした。

今のは一体何だったのか。周囲の人々はしばらく顔を見合わせ不安そうにしていたが、やがて何事も無かったかのように買い物を再開した。一部の人はゆうきさんに駆け寄り「ありがとうございました」と頭を下げたが、ゆうきさんは「何もしてませんよぉ」と照れ臭そうに対応した。


「黒牟田さん、なんか一瞬跳びませんでしたぁ?」


ゆうきさんに尋ねられ、私は恥ずかしさを覚えながら「見てたんですか」と返した。


「高校の時にあった暗黙のルールというか…誰かが地団駄を踏んだら皆で跳ぶっていう流れが染み着いてて」


「へー、面白いですねぇ」


そう返すゆうきさんの目はあんまり笑っておらず、私は尚更恥ずかしくなった。

その後、会計を済ませたゆうきさんから「美容液の試供品貰ったんですけどぉ、これ本体持ってるんであげますぅ」と四角い袋を頂いたので、その日の夜に使ってみた。

翌朝、私の肌はトゥルトゥルになっていた。

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