第88話 イマジナリーフレンド

※今回の主人公は黒牟田の友達の金本君です




保育園に通っていた頃、僕には特別な友達がいた。その子は四六時中僕の隣にいて、僕達は常に手を繋いでいた。おかげでご飯を片手だけで食べて母親や先生から怒られたし、他の子と手を繋ぐような遊びができなくてかなり困らせた。


友達は僕が小学校に上がった辺りから現れなくなった。何の前触れも無く消えた。僕は友達がいなくなったことに全然気づかなかった。何なら友達のことを忘れてしまっていた。ただ、ご飯を両手で食べられることや他の子と色々な遊びができることに謎の感動を覚えていた。


それから中学、高校と僕は友達の存在を忘れたまま過ごした。学校には他の友達が沢山いたし、家には6歳下の従兄弟のヤスがしょっちゅう遊びに来たので、あの友達を思い出す余裕も無かった。


大学に入ってから、サークルで知り合った心理学部の先輩から"イマジナリーフレンド"というものについて聞かされた。そこで僕は漸くあの特別な友達のことを思い出した。

もしかしてアレはイマジナリーフレンドという奴だったのだろうか。そういえば僕はあの子の顔を覚えていない。性別も覚えていない。そもそも姿なんかあっただろうか?もしかして繋いだ手の先には空白しか無かったのか?寒気を感じながら先輩に意見を求めたら「多分そうだろ」と頷かれた。僕はいよいよ気味が悪くなったが、先輩が「珍しくないことだから」とフォローしてくれて少し安心した。




それから10年以上が経った今、僕は地元の出版社で編集者として働いている。地方の弱小出版社とはいえそこそこ忙しく残業も少なくない。

この間もライターが納期ギリギリで納品してきた記事のチェックの為に消灯後の編集部で作業していたのだが、そこへ突如頭の中にこんな疑問が浮かんだ。


『小さい頃の"友達"は本当にイマジナリーフレンドだったのか?』


何故このタイミングで浮かんできたのか。それは机の下に置いている鞄からチョコレートを取り出そうとマウスに触れていた右手を離した時、この残業中に自分がずっと右手だけを使って作業していることに気づいたからだ。空いた左手はずっと身体の横にだらりと垂らして、何かを掴んでいる。


何か?


何を掴んでいるんだと目をやって、言葉を失った。そこには中途半端に指を曲げた僕の左手しか無かったからだ。しかし確かに何かを掴んでいるような感覚はある。温かくて、柔らかい肉。それこそ手のような。空想上の存在でしか無い奴がこんなに生々しく触れることなんてあるのか。僕は見えない何かを振り払おうとしたが、手首を強く掴まれるような痛みが走って左手を動かせなくなった。

僕は確信した。これはイマジナリーフレンドじゃなく、もっと良くないものだと。こんなものが約30年も憑いていたなんて。僕は自由な右手で魔除けになりそうなものを探した。仕事でオカルトに触れることがあるから、机のどこかに置いているハズだと思った。すると左手に激痛が走った。


「痛ァッ!何なんだよマジでもう!離せよォ!」


半狂乱になったその時。


「鉄雄いるー?」


僕の名前を呼ぶ聞き慣れた声。従兄弟のヤスだった。声のした方向─編集部の入口に目を向けると確かにヤスの姿があったが、僕は素直に返事ができなかった。出版社の社員でないヤスがここにいるハズ無いからだ。

おーいおーいと手を振るヤスと身構える僕。手はまだ痛い。そこへヤスの背後から人影が2人現れた。背の高い金髪の男と、こめかみ付近を刈り上げた眉無しの男。先輩編集者の樹さんと出版社に出入りしているライターの黒牟田だった。


「金本何してんの?」


樹さんが怪訝な顔で声をかけてくる。


「樹さん?マジの樹さん?」


「どうも、五木です」


「ひろしじゃん」


「顔真似うま」


僕の真剣な問いかけに対して皆でふざけてくることに苛立ちを覚えていると、黒牟田が「てか暗くない?」と電気をつけた。一気に明るくなる室内。歩み寄ってくるヤスと樹さん。


「これが編集部のオフィスかぁー」


「細木君(ヤスの苗字)、明日発売の月刊誌をあげよう」


「駄目だろ」


興味深げに見回すヤスに樹さんが発売前の雑誌を差し出してみせる。どうやら樹さんと黒牟田がヤスをこの社屋に入れたらしい。防犯意識の低い会社だなぁと思ったところで、僕はさっきほど左手が痛んでいないことに気づき、今だと席を離れ勢いのまま樹さんに抱きついた。


「いけないよ、こんな所で」


「何がだよ!そうじゃなくて、僕さっきから大変なことになってて」


「俺にその怒張がおさめられるかどうか」


「そうじゃねえって!」


樹さんに抱きついたまま下品なボケツッコミを繰り出し合っていたところで、ヤスが「鉄雄それ何?」と僕の左手を指してきた。そこにはホラー映画などでよく見るような赤黒い手形がくっきりとついていた。


「これだよ大変なことってー!」


「どこの誰と激しい夜を」


「違うってー!」


ボケというかセクハラというかにツッコミを入れながら、僕は保育園時代のことからついさっきまで起きていた怪異について説明した。その結果、黒牟田が霊感の強い知り合いに相談してくれることになった。ただその知り合いというのが心霊関係の相談に関しては対価を求めてくる人とのことで、僕はオススメのフェイスパックをいくつか詰めた物をその人にあげることにした。




数日後、黒牟田から僕のSNSにメッセージが入った。


『こないだ言ってた手の奴、もう大丈夫らしいよ』


僕に約30年憑いていたと思われる何かは取り払われたらしい。すごい知り合いだなぁと感心したところで、続けて送られてきたメッセージに震え上がった。


『知り合いが言ってたんだけど、保育園の頃の奴とこないだの奴は全くの無関係らしいよ。保育園の頃のはマジのイマジナリーフレンドで、こないだのはその辺から拾ってきたんだろって』


『君んとこ今の時期ぐらいにオカルト本出すでしょ。それが関係あるかもしんないね…なんて』


関係あるかは謎だが、今年はオカルト本の製作担当から外してもらおうと思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る