第54話 夢から覚めても

国道を飛ばす車のエンジン音。誰かの談笑する声。時折聞こえる虫の声。いつもと変わらぬ風景が我が家の外では展開されていることだろう。

私が同居人の秋沢氏を手にかけてしまったこと等知る由も無く。

身体中を滅多刺しにされ血を流す同居人の亡骸を前に、私は「ごめん」とだけ呟いた。




…という夢を見た。何が原因だったのかわからないが、彼を滅多刺しにするなんて普段の私では考えられない所業だ。ともかく、夢で良かった。

その夜、私は秋沢氏の頭をハンマーで殴打した。何度も、何度も。そうして息絶えた秋沢氏の身体に寄り添い「ごめん」とだけ呟いた。




…という夢を見た。夢の中で夢を見るなんてのはよくあることだが、まさか2回も秋沢氏を手にかけることになろうとは。もっと明るい夢が見たい。

そう思ったその夜、私は秋沢氏の食事に毒を盛った。顔を土気色にして苦しむ秋沢氏を見下ろしながら、私は「ごめん」とだけ呟いた。




…という夢を見た。本当に気分が悪い。どの夢も秋沢氏に殺意を覚える程の明確な理由が描かれていなくて怖い。いったい私と秋沢氏の間に何があったのか。

頭を悩ませたその夜、私は秋沢氏をベランダから突き落とした。悲鳴を上げて落ちていく秋沢氏を眺めながら、私は「ごめん」とだけ呟いた。




…という夢を見た。自分は疲れているんだろうか。全て夢だったとはいえ、どれも秋沢氏を手にかける夢だなんて。今度こそ明るい夢を見よう。

その夜、私は秋沢氏を浴槽に沈めた。暫くもがいた後動かなくなる秋沢氏から手を放し、私は「ごめん」とだけ呟いた。




…という夢を見た。もういい加減にして欲しい。夜も来ないで欲しい。自分が怖くて仕方ない。

しかし無情にも訪れてしまった夜、私は秋沢氏の首を絞めた。私の腕を掻きむしりながらもがく秋沢氏を見つめながら、私は何故だか心臓が高鳴り身体が熱くなるのを感じた。




心臓の高鳴りと共に目を覚ました。窓の外から優しい陽光が射し込んで来ている。

私は夢の中で、何回秋沢氏を手にかけたのか。まだ夢の中なんじゃなかろうか、それでなくても今夜やらかしてしまうんじゃないか。そんな気がして不安になってくる。

念のために今まで見ていた夢のことは覚えておこう。この後秋沢氏とどんないざこざがあっても踏み留まれるように。私はスマホのメモに夢の内容をざっくりと書き記し、ぐっすりと眠る秋沢氏の身体を布団の上から軽く叩いて朝食作りを始めた。


その夜、秋沢氏が仕事から帰るなり私に小言をぶつけてきた。


「よそ行きの靴出しっぱなし!ちゃんと靴箱に入れようよ!」


僕が入れといたからね、とややご立腹な様子で続ける秋沢氏に、普段の私ならば「ごめんね、ありがとう」と返す。しかしこの時、私は締切を翌日に控えた仕事を急ピッチで行っていた為か無性にイライラしていた。私は思わず秋沢氏に掴みかかり、そのまま床に押し倒した。そうして彼の胸ぐらを掴んだところで、私は目の前の光景が今朝見た夢と似通っていることに気づいた。その瞬間、私の中で渦巻いていた苛立ちが恐怖へと変わり、血の気が引いていくと同時に胸ぐらを掴んでいた手がパッと離れた。

今、私はこの子に何をしようとした?そう心の中で自問する私の視線の先で、秋沢氏が怪物でも見るかのような目で私を見始めた。


「あ、違う…違うから…その…」


秋沢氏が明らかに私を怖がっている。どうにかしないと。今後の同居生活にわだかまりが残らないように。

考え抜いた末、私は秋沢氏の脇の下に手を伸ばしくすぐった。秋沢氏が「待って意味わかんない」と声を上げながらもがく。そうして気が済むまでくすぐった後、すっかり疲弊した秋沢氏の横に寝転がった。


「ごめん、ちょっとイラついてた」


秋沢氏に身体を向けながら謝る。秋沢氏は仰向けのまま顔だけ私の方に向け「いいよ」と笑った。


「こちらこそ間借りしてる分際でごめんね」


「君が正しいよ」


「どうも」


最悪の事態を免れて、そして仲直りもできた。安心するとドッと疲れが出てきたので、夕飯や風呂を簡単に済ませてさっさと眠ることにした。

以降、もう秋沢氏を手にかける夢を見ることは無かった。


数日後、私はスマホである漫画を見かけた。

それは青年が何度も同じ日に巻き戻り、かつて交流のあった人々と関わりながら自身の幸福を探していく物語で、試し読み用のサンプルを読みながら私はある可能性に気づいた。

秋沢氏を手にかけてしまう夢のループは、実は夢ではなく秋沢氏が息絶える度に同じ日に巻き戻っていたのではないか、と。

少しだけ背筋が寒くなったが、秋沢氏が無事なのでヨシということにした。

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