第15話 呼び起こす部屋

私が現在の家に住み始めたのは、社会人になって3年程が経った頃である。

それまでは市内にある実家で暮らしていたが、私が理不尽とセクハラに耐えかね勤めていた商社を辞めたことで両親から勘当されてしまったので、一人暮らしをせざるを得なくなってしまった。

ただでさえ安月給だったのに仕事を辞めたことで収入が0になった私は、仮に次の仕事が見つからなくてもしばらくは暮らしていけるよう安い物件を探し回った。

そしてある日、不動産屋から紹介された1つの物件に目星をつけた。それが現在の我が家である。

県内を走る大きな鉄道路線沿いに建つ賃貸マンションの4階。2Kと一人で暮らすには十分すぎる間取りで、辺りにコンビニやドラッグストア等が建っており買い物に困らない。そのくせ家賃は月1万円と破格の安さ。

ただし備考欄に「告知事項あり」という文言が記載されていた。


「告知事項?」


「あー…このお部屋はですね、ちょっとまあ、心理的瑕疵といいますか」


心理的瑕疵ってどういうことですか、と更に尋ねた。何やら答えにくいことのようで不動産屋は暫く上司らしき人間と話し合っていたが、ややあって「実はですね」と話し始めた。


「我々もよくわかってないんですけどね。今までここに住まれていた方々、何故か皆様お心を病まれて退去されているのです。お客様によってご申告頂いた内容も食い違いがありまして…大丈夫ですか?」


不安げな不動産屋に、安さには代えられないと思った私は「大丈夫です」とだけ答えた。


私はその日のうちに内見に行き、入居の申し込みを済ませた。

それから間もなくして入居審査に通ったという報せが入り、私はさっさと本契約を済ませて1週間後には例の部屋に住み始めた。

(先程「勘当」とは記したが、実はここまでの間は何だかんだ実家にいたのだ)




新居に引っ越して1週間も経たぬうちに次の仕事を決めることができた。雑貨屋のレジと商品出しのアルバイトだ。

私は雑貨屋の店員として昼間を過ごしながら、以前から密かになりたいと思っていた小説家を目指すことにした。ネットで募集中、または募集予定の新人賞を探し出しては条件に合った小説を書き応募していったが、一次選考にすら通して貰えなかった。

また持ち込みを受け付けている出版社を見つけては原稿を郵送したが、そのまま返ってくることはなかった。

元々小説家とは狭き門だ。新人賞1つにつき1000篇にも上る数の作品が投稿され、その中から一次選考に通るのが約200編。そこからどんどん数を削られ、ほんの数篇だけが最終候補に選ばれた後、1編だけが受賞に漕ぎ着ける。仮に新人賞を避け出版社への持ち込みに徹したとしても、編集者の目に触れる可能性などごく僅かである。

わかってはいた。わかってはいたが、どこか夢を見る自分がいたようだ。私は思うようにいかないことにムシャクシャし、学生時代に発症していた抜毛癖に再び悩まされるようになった。真夜中にデスクに向かってプロットを書き殴りながら、片手で眉毛を抜いていく。不思議な話ではあるが、眉毛を抜くのが私の抜毛癖なのだ。このせいで学生時代には左の眉が半分ほどの長さになっていたが、社会人になって再発したことにより左の眉は殆ど無くなった。

この時、同時に妙な幻覚に悩まされるようになった。毎夜毎夜、部屋の隅に立つ女の影。母親だった。私の幼い頃から現在まで、様々な時代の母親が部屋の隅に立ち、私に毒の言葉を吐きかけるようになった。


ある時は私が保育園に通っていた頃の、水色のワンピースを着た母親が


「泣き虫でウジウジして、お母さん恥ずかしいわ」


又ある時は私が就職活動で悩んでいた時の、でっぷりと太った母親が


「志望動機1つまともに書けんなんて、アンタは本当に駄目やわ」


時代ごとに私が抱えていた悩みに対し、その時代に合わせて姿を変えた母親が罵りにくるのだ。

(父親もそうであるが)母親は元々あっけらかんした性格をしており、その母親から生まれた私は酷く繊細で消極的な性格をしている。親子が対照的な性格をしていることは、時に悲劇を生む。

母親は私が繊細さ故に何らかの悩みや苦しみを抱えた時、叱り飛ばすことしかできなかったのだ。

私が保育園に入園して間もなくいじめられた時は「どうしてやり返さないの」と怒鳴った。ストレスで給食を吐けば「恥ずかしい」と家族会議にかけた。中学時代に私が学生証を無くし落ち込んでいた時は「鬱陶しい」と包丁を向けた。高校時代、志望した大学が友達と被ったことで「アイツと競いたくない」と漏らした時は「どうして叩き落とすつもりでいかないの」とヒステリックに喚いた。

そして社会人になった時、女上司のセクハラに悩まされどこかしらの機関への相談を考えていた私に母親が放った言葉は


「自分が悪い訳じゃないのにどうして毅然とできないの」


という優しさの欠片も無い言葉だった。

どこにも味方がいないと覚った私は、会社を辞めた。

母親の下を離れることができたハズなのに、いまだに母親の幻覚に悩まされている。なんて馬鹿みたいな話なんだ。私は眉毛を抜き続ける手を押さえることもせず、原稿用紙の上に涙を落としながら嘲笑した。




両方の眉毛が完全に無くなった頃、私の携帯電話がけたたましく鳴り出した。相手は私が持ち込みして回った出版社の中で唯一連絡をくれた所だった。

しかし、この時バイト先の雑貨屋も小説も辞め引きこもりと化していた私は電話を取ろうとしなかった。

すると、今度は家のインターホンをけたたましく鳴らされた。モニタには茶色いマッシュヘアの若い男が映っており、しきりに何かを叫んでいた。このままじゃご近所に迷惑がかかると応対した私に、男は「○○書房の金本です」と名乗った。


「もー!電話でないから死んだのかと思いましたよ!」


「すみません…で、何ですか」


「そうそう、前にも話しましたけど、ウチでライターを…」


言いかけたところで、金本氏が私の姿を見て自身の口を押さえた。


「髪伸び放題!その割に眉毛は無し!何が起きたんですか!」


やべーやべーと騒ぎ立てる金本氏がうるさいので家に引きずり込み、これまでに起きたことを全て話した。新人賞も持ち込みも駄目だったこと、母親の幻覚が現れるようになったこと、そのうち過去を回想するようになったこと。

金本氏は一通り黙って聞いた後「とりあえず美容院行きましょ」と言った。

私は遠慮(というよりも拒絶)したが、金本氏が「僕が払うので」と言って引き下がらないので渋々お願いした。

美容院へは金本氏の車で行った。数ヶ月、いや数年ぶりに目にした外の風景は陽射しが眩しく、そして所々店が潰れたり新装したりしていて新鮮だった。


大通り沿いにある美容院に入ると、白と黒を基調にしながら所々にサイケデリックな色味のぬいぐるみを置いた空間の中で、黒いショートマッシュヘアの男が「あら~!」と愉快そうな声を上げて出迎えた。


「髪伸び放題!そのくせ眉毛は無し!どうしたの~!ギャハハ!」


後の細木氏である。

「イケメンにしましょうね~♪」等と歌う細木氏にされるがまま、私は頭を洗われ椅子に座らされクロスを掛けられた。

細木氏の器用な手つきでカットされている間、私が金本氏に話したことと同じことを話すと細木氏は「もしかして○○マンション住んでる?」と尋ねてきた。


「40*号室でしょ~!」


「え、なんでわかるんですか」


「俺のお客さんでね~そこ住んでた人いるのよ~。で~、見る度に変になっちゃってさ~『毎日誰々が来る』みたいなこと言い出して~今心の病院にいるの~」


私は不動産屋が言っていたことを思い出した。


"今までここに住まれていた方々、何故か皆様お心を病まれて退去されているのです。お客様によってご申告頂いた内容も食い違いがありまして…"


細木氏の言う客とやらが何代前の住人かはわからないが、彼も何かを見て心を病んでいたようだ。


「俺不思議なことって半信半疑なんだけど~、多分住んでる人のトラウマを刺激するような何かがあるんだろうね~」


入居者のトラウマを呼び起こす部屋。なるほど、それなら私が母親の幻覚を見続けたのも、家賃が異様に安いのも納得がいく。

一人で頷いていると、細木氏が「はい、できた」とクロスを外した。

元に戻らなかった眉毛に、右側頭部を刈られ髪全体に緩くパーマをかけられたミディアムヘア。鏡に映る私の姿は、アウトローな漫画や映画に出てくるチンピラそのものだった。


「あの…」


「新生・黒牟田初郎でござい~!」


細木氏が高らかに唱えた。続いて金本氏が「イケてるぅ~」と自身の頬を押さえ身をよじらせた。


「ギャップ萌えを狙ってみました~!厳つい見た目に反して心は絹豆腐のように繊細で優しい!最高のステータスだね!」


もしかして遊ばれていやしないだろうか。疑心暗鬼になりかけたところで、金本氏が私の肩に手を置いた。


「今後も繊細な、よく気づく人でいて下さい。少しばかり弱虫でも、誰かを想える人になって下さい。もしそれで押し潰されそうになったら、僕達に助けを求めて下さい」


続けて細木氏がこう言った。


「誰かの考えに縛られず、生き方にしろ何にしろ自分のスタイルで生きていきたいもんよな。今日は俺のスタイルで髪いじっちゃったけど、これからはどんどん自分の好みを主張してよ」


頭に置かれた細木氏の手が暖かく、私はその場で嗚咽を漏らしてしまった。二人から「よしよし」と撫でられた。


この後、私は金本氏の勤める出版社の半専属ライターとして記事(ほぼ海外の記事を和訳したコピペ)を書かせてもらえるようになった。また、出版社のパソコンを使うことを条件にWEBサイトのコラム記事まで書かせてもらえるようになった。

私が書いた「ディアボロマントが飲みたいけど身近にミントシロップが無いので無理矢理作ろう」というコラムはそこそこの閲覧数を得ることができたらしい。

ある時、私は金本氏に「なぜド素人の私をライターとして契約しようと考えたのか」と尋ねてみた。


「いやぁ弊社の人手が足りなくて…黒牟田さん地元だし文書くだけならそこそこできそうだし良いかなって」


自費出版もやっているから自費で小説を作ってみてはどうか、と持ちかけられたが、お金が無いのでお断りした。




それから幾年が経った現在、このトラウマを呼び起こすハズの家には私の他に、多少お小言の多い同居人とバケツ3個分のメダカが住み着いている。母親の幻覚は出なくなり、代わりに本物の母親がたまにお菓子やらを送ってくるようになった。

私に勘当を言い渡した父親も、母親との旅行の様子などをSNSで送ってくる程には軟化した。

私自身は、細木氏に作り上げられたチンピラヘアーがお気に入りになってきた。ドン底だった自分を好転に導いた幸福の髪型として崇めることにしている。


ある日の昼頃、たまたま点けていたテレビで海外の歌手が演説をしていた。


「ありのままの自分を受け入れて下さい。愛して下さい。悪いと思うところも、良いところも、全てあなた自身です。抱きしめてあげて下さい」


この部屋で前住人達が呼び起こされていたトラウマの中には、私のように自分を否定され続けてきたことによるものも少なからずあるだろう。その人達にも金本氏らのように肯定してくれる人がいれば、ありのままの自分でいろと言ってくれる人がいれば、救われたのかもしれない。

もしかすれば、私よりも先にこの部屋の怪異─トラウマを呼び起こす何かを払拭できたのかもしれない(彼等がそれをできなかったから今私が住めているのだが)。

それにしてもこの兄ちゃん良いこと言うなぁ。私は歌手の温かみに溢れた笑顔の映るテレビを横目に金本氏から頼まれていた記事の執筆に取りかかった。

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