第41話 映り、浮かぶ

昼間のテレビで医師の男が「シャワーだけでは疲れは取れません」と言っているのを聞いた。

そらそうだ。夏は暑くて冬は寒い風呂場に素っ裸で立ち、温度調節が難しいシャワーを出したり閉めたりしながら頭を洗い身体についた毛を気にしながら身体を洗うので、身体を休める余裕が無い。それよかお湯の張られた浴槽にカッポーンと浸かり身体のマッサージでもしていた方が身体が休まり疲れが取れるというものである。

しかしついシャワー生活をしてしまう。だってそっちの方が安上がりだから。有名企業の正社員でも稼ぎがよろしくないこのご時世、大事なのは金なのだ。でもたまには温かいお湯に身体を浸したい。特に最近は同居人の秋沢氏が朝起きる度に倦怠感を訴えるようになり、私も酷い眼精疲労に悩まされるようになった。温かいお湯に浸かって温かいタオルを目に当てたい。

そういうわけで週末、私は秋沢氏に「湯治へ行かないか」と誘いをかけてみた。すると秋沢氏は「湯治!いいね!」と目を輝かせ頷いた。


「今こんなだからマジ嬉しい~!休みは何日取ればいい?パスポート作る?」


「どこに行こうとしてんの…?」


私達は10分程話し合った末、せっかくだしということで隣市へ湯治に行くことにした。火山の麓に位置する隣市は各所から泉質の違う温泉水が湧き出しており、市内にいるだけで複数種類の温泉に出会えるので、毎年国内外から観光客が多く訪れている。

そんな温泉街の中でも私達は、場所がわかりやすく食事スペースを設けてある温泉施設を選んで訪れた。

硫黄の臭いが辺りに漂う中、週末だし人でいっぱいかもねなどと話しながら温泉施設ののれんをくぐると、思ったよりも客が少なく秋沢氏があれっと声を上げた。


「ちょっと前までもっと溢れんばかりの…」


「あー今年は色んな事情があったからね…」


実際客入りの問題は我々のような一般ピープルにはどうにもならない事情が絡んでいるので秋沢氏には「ちょっとアレがアレだからホラ」とだけ付け加えつつ受付の女性に金を払い、脱衣所に入ると光の速さで服を脱ぎ、大浴場の洗面所で身体を洗ってようやく待望の湯船にカッポーンと浸かった。


「あーっ!最高!最高!マジ最高!」


洗面に使った時の温もりが残るタオルで目を覆い安らぎに浸る私の横で秋沢氏が歓喜の声を上げるのに笑みがこぼれる。疲れが取れるのが自分でもよくわかる。来て良かった。

すると突然、強い力で腕を引かれた。


「何?」


「露天風呂行こうよ」


そういえば大浴場の奥に"露天風呂"と書かれた通用口がある。


「いいね、行こうか」


私と秋沢氏は湯船から上がり、露天風呂に繋がる通用口のガラス戸から外を覗いて「あれ?」と首を傾げた。蒸気によりやや曇ったガラス戸越しに、女性が見える。後ろ姿なので女性とは限らないのかもしれないが、黒く艶のある長髪を1つにまとめ、柔らかなラインを描いた肩に自らの手で湯をかける仕草はまさに女性のようだ。

露天風呂は混浴なんてどこかに書いてあったか?それとも女性に見える男性か?前者だったら何だか恥ずかしいなと思いつつ戸を開け、再び「あれ?」と首を傾げた。

露天風呂は無人だった。人っこ一人いない。はて、ではさっきのは何だったのか。首を傾げたまま湯船に浸かる。再び温かい湯に浸り暫くぼんやりとしていると、秋沢氏が「あれ」と前方を指差した。そこは送湯管でもあるのか、露天風呂を囲う竹柵の後ろから色の濃い蒸気がモワモワと挙がっているのだが、そこに女性の後ろ姿が映っている。先程と同じく、肩に湯をかけながら。


「…あの、初郎君」


「…歴史長いから。ハハハ…」


別に何をしてくるわけでも無いのでそのまま湯に浸かり続け、のぼせ始めたところでそろそろ上がろうかと湯船を出て屋内浴場に戻った。そして戸を閉めたところで、不意に秋沢氏が後ろを振り向き「ぎぇっ」と唸った。


「初郎君、やばい」


言われて私も振り返る。そして「ぎぇっ」と唸った。曇ったガラス戸越し、無人だった露天風呂にまた人がいる。それも今度は子供を含めた老若男女がひしめき合い、表情の無い顔でこちらを見ている。


「…歴史長いから」


苦しいとわかっていても、何かしら言い訳を作らないと気が済まない程怖かった。


この後さっさと風呂から上がり着替えた私達は施設内の食事スペースで普段なら絶対に食べないであろう団子汁を食べた。私は1人で先程見たものについて考えた。

1人で映った女性は曇ったガラス戸と竹柵の向こうから上る湯気越しに、最後の集団も例によって曇ったガラス戸越しに見えた。正体はわからないが、アレらは多分水分を媒介にしてのみ映るものだったのだろう。そう思うと、目の前にある団子汁を直視できなくなった。

ふと秋沢氏を見ると彼も同じことを考えていたようで、頑なに団子汁を見ようとしなかった。

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