第85話 覚えの無い罪

日曜日の真っ昼間、布団の上でスマホをいじる青年を隣で眺めながら、私は「もう3年か」と1人しみじみとした。

この青年─秋沢氏が我が家に住み始めてもう3年になる。きっかけはファストフード店で出会った彼に「住み始めた家が事故物件で変なことが起きる」と言われ、一時的な避難先として我が家に住まわせたことだったと思うが、色々あって彼の新居探しを延期したまま3年が過ぎてしまった。そして3年の間に経済面でも家事の面でも2人で暮らす利便性に気づいてしまった。何人住もうが家賃は変わらないし光熱費は高が知れているし、片方(例えば私)が在宅ワークならソイツがメインで家事をすればいいのだし。家が狭いのでプライバシー云々には目を瞑らなければならないが、それにしたってメリットの方が大きすぎる。恐らく秋沢氏も新居の話をしない辺り同じことを思っているのだろう。まあ一生このままというのは厳しいだろうが。

将来何らかの形で訪れるであろう別れに不安を抱きつつ仕事をしていると、家の中にインターホンの音が響いた。宅配便か、もしくは何かの勧誘だろうか。静かに玄関へ歩み寄り覗き窓から外を覗くと、ドアの向こうにポロシャツ姿の男性が2人立っていた。シャツの胸ポケット部分にはこの地域を管轄する警察署の名前が入っており、私は「事件だろうか」と首を傾げつつ応対した。


「あ、こんにちは!○○○警察署の者ですが!」


愛想の良い笑顔を浮かべ警察手帳を差し出してくるガタイの良い男性。その後ろでは眼鏡をかけた仏頂面の青年がバインダーを抱えてこちらを見つめている。


「黒牟田初郎さんでお間違い無いですかね?」


「そうですけど」


「今お時間よろしいですか?こちらの方についてお伺いしたいのですが」


そう言って男性が取り出してきた写真を見て私は目を剥いた。そこに写っているのが秋沢氏だったのだ。


「お心当たりありますよね」


心当たりも何も彼は今寝室でダラダラしている。何かやらかしたんですかと問うと、警察の2人は怪訝そうに顔を見合わせてからこう言った。


「3年前から行方不明です」


「はい?」


んなわけあるか、仕事に毎日行って時々実家のお母さんとも電話をしてるのに。反論する為の材料は頭に浮かぶが口が思うように動かない。そんな私をよそに警察はバインダーからどこぞの防犯カメラの映像らしき写真を突き出して話を続ける。


「秋沢さんが最後に目撃されたファストフード店の画像です。この向かい合って座っている人物が最重要参考人だと踏んで私ども捜査してたんですけどね、骨が折れましたよ。何せ秋沢さんの知り合いにこんな方がいらっしゃらなかったんですから。全くの初対面。見つけるまでに3年もかかってしまいましたよ。黒牟田さん」


まるで私が秋沢氏を誘拐したとでも言いたげな圧力のある物言いで男性が言う。しかし私は合意の上で秋沢氏を我が家に住まわせているし、秋沢氏がここで暮らしていることは彼の家族だって知っている。誰が秋沢氏の捜索願を出したというのか。もしかしてコイツら、警察を騙り悪戯に興じているのか。

私はこの馬鹿馬鹿しいやり取りを終わらせる為に秋沢氏を呼んだ。しかし返事が無い。寝たのだろうか。一瞬だけでも起こそうと玄関の扉を閉めようとすると、男性がドアを押さえ「失礼します」と入り込んできた。


「なんで入るんですか」


「家宅捜索の令状は持ってますよ」


「はぁ?」


小難しい文章の連なる令状を広げながら家に上がり込んでくる警察2人を押さえつつ、私は秋沢氏の眠る寝室に顔を向け、そして思わず悲鳴を上げてしまった。布団に横たわっているのが秋沢氏でなくグチャグチャに腐った肉塊だったからだ。


「あら〜…これは酷いな」


所々骨の露出した肉塊の前にしゃがみ込み、ガタイの良い男性が手を合わせる。その間に眼鏡の青年が手錠を取り出し私の手にかけようとしたが、私は思わずその手を振りほどき玄関を飛び出してしまった。背後で応援を要請する警察の声が聞こえたが、振り返ることも引き返すこともしなかった。




私はしばらく走り続け、自宅から徒歩20分程のところにあるコンビニに辿り着いたところで力尽きてしまった。素足のままで出てきたので小石で皮膚を切り裂かれて痛い。

あの肉塊は秋沢氏なのだろうか。ならば私が今まで接してきたのは幻か何かだというのだろうか。だとするとおかしい。

例えば映画等でよくある展開として、主人公に1番親しくしていた友人が実は主人公の作り出した幻だったというものがある。こういったものは伏線として主人公以外の人間と件の友人との直接的な絡みが描かれないものだが、秋沢氏はどうだ。私の友人達は秋沢氏と話していたじゃないか。

ならば私がずっと秋沢氏だと思って一緒にいた人物は秋沢氏を騙った誰かなのか?それとも肉塊の方が別人なのか?もしくは友人達とのやり取りも全てが私の幻なのか?

コンビニの前に蹲りアレコレと思考を巡らす私の頭上で、突如パチンと柏手をするような音が響いた。

追いつかれたか。謂れのない罪で捕まってしまう悔しさとやり場の無い怒りに下口唇を噛み締めながら見上げると、そこでは友人の1人であるムラヤマという女性が訝しげな表情で私を見下ろしていた。


「黒牟田君、大丈夫か」


よく見慣れた白い顔に普段なら安心するところだが、警察に追われる身となった私は彼女も警察の手先なのではないかと疑ってしまい、自分が置かれた状況を説明することができなかった。しかしそんな私に対しムラヤマさんは何やら察したように頷くと「店入ろう」と私の手を引いた。

コンビニの中に入ると、レジで女性が店員と揉めていた。どうやら取集時間を過ぎた店内ポストに速達扱いの郵便物を入れてしまったようで、明日には隣県に届けなければならないから何が何でも開けろ、それでなければ郵便局員を呼べと怒鳴りつけている。見苦しい女だと思いながら女性を眺めいると、ムラヤマさんから「今あの人のこと何か思ったやろ」と言われた。


「…見苦しい奴やなって思った」


「そうやろ。自分のやらかしたことを認めようとせんで食ってかかる奴ってな、端から見たら見苦しいんよ」


「…そやな」


相槌を打ちながら「やっぱり警察の手が回ってたか」と思った。と、すると他の友人達もそうだろう。

私は諦めて捕まることにした。




ムラヤマさんの買い物に付き合った後、心配だから家まで送るという彼女の厚意を断り私は真っ直ぐに家に帰った。家に着くまでの間、私は3年間も消息を絶ってしまった秋沢氏の、残された家族の気持ちについて考えた。心配だろう。自分の粗を探して責めるだろう。そしてもしあの肉塊が秋沢氏だった時、明らかに犯人だと思われる人間から「覚えが無い」なんて言われたら腹が立つどころじゃ済まないだろう。本当に身に覚えは無いが、多分私は犯人なのだ。大人しく捕まろう。

重い足取りで辿り着いた我が家の前には、バリケードも何も無くいつもの風景が広がっていた。警察の連中はどうしたのか。家の中で私の帰りを待っているのだろうか。恐る恐る家に入るとそこに警察は影も形も無く、代わりに肉塊になっていたハズの秋沢氏が不思議そうな顔をして立っていた。


「おかえり。どっか行ってたの?」


訊きながら私のもとまで歩み寄ってくる秋沢氏。

はてこれは現実か幻か。私は暫くその場に立ち尽くし秋沢氏の姿に妙なところが無いか確かめた後、恐る恐るその手に触れてみた。歳の割に骨張っておらず柔らかい、よく見知った秋沢氏の手だった。


「何?マジ何?ていうか裸足じゃんか!」


土と切り傷だらけの私の足を見下ろし驚きの声を上げる秋沢氏をよそに、私はさっさと家の中に上がり寝室に置いたままのスマホを拾い上げ、SNSを使ってムラヤマさんに電話をかけた。そして『あいよー』と気だるげに応答するムラヤマさんに今日あったことを全て話してから「俺達会ったよな?」と訊いてみた。肉塊の秋沢氏が幻なら、コンビニで諭してきたムラヤマさんも幻だろうと思ったからだ。しかしムラヤマさんは声色1つ変えず『会ったね』と返してきた。


『そうかそうか、そんな不思議なことがあったのか。いや同居人と喧嘩でもして飛び出してきたのかと思った。ブハハ』


全然笑い事じゃねえし。ムラヤマさんのお気楽そうな笑い声に苛立ちを覚えつつ、私は自分の身に起きた一連の出来事について意見を求めた。するとムラヤマさんは何の気なしに『狐にでも馬鹿されたんじゃね』と答えた。


「き、狐」


『この辺田舎だからね。狐も狸もいるよ』


あんな洒落にならない化かし方をする狐がいてたまるか。しかしそれ以外にどんな現象が考えられようか。"パラレルワールド"という奴に入り込んでしまったなんて可能性も無くはないが、そうすると私が秋沢氏を監禁し死に至らしめる時空が存在することになるので否定しておきたい。

結局私はムラヤマさんの言う通り「狐に化かされたんだな」と思うことにした。そして電話を終えようとした時、ムラヤマさんから意味深な言葉をかけられた。


『狐ちゃあ言ったけど身近な人の仕業かもしれんな』


ボロロンという音を立てて電話が切れた。

"身近な人"とは。スマホを持った手をダラリと垂らす私のそばで、いつの間にか隣に立っていた秋沢氏が「どうしたの?」と訊いてきたが、何故だが恐ろしくて彼の目を見ることができなかった。




この後、ウェットティッシュで私の足を拭きながら秋沢氏がしてくれた「うたた寝して起きたらいなくなってたからコンビニでも行ったのかと思った」という話に相槌を打ちつつ、一連の事件の仕掛人が秋沢氏なのではないかと疑っていたところへ知人の木村という男が書類を携え押しかけてきた。


「く!ろ!む!た!君!君と秋沢君をモデルにしたサスペンス小説を書いてみたんだけどさ、出版社に持ち込む前にちょっと読んでほしいんだよね!あっいつもの出版社ね!」


木村氏に押しつけられ、渋々小説とやらを読んでみた。内容は私が昼間に見舞われた事件そのもので、私は「思念強すぎるんだよ!」と叫びながら木村氏を突き飛ばした。彼にとっては理不尽だっただろうが私は少し気が晴れた。

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