第7話 カセットテープ
6月某日。夜7時を回ろうかというのに掃き出し窓から見える空はまだ明るく、東の方にわずかに濃紺の色が見え始めた程度である。
そんな外とは対照的な薄暗い部屋で、私は同居人の秋沢氏とダイニングテーブルに向かい合って座り、テーブルの上のカセットテープを睨みつけていた。
中の透けた黄色のボディ一面にお経のような呪文のような文字が刻まれたカセットテープ。これは日頃お世話になっている出版社の編集者にして私のことをオカルトマニアだと思い込んでいる金本氏から押しつけられたものである。
「会社に送りつけられた差出人不明のものなんですけど、聴く勇気が無くって」
ヘラヘラと笑いながら不審物を押しつけてくる金本氏に最初はお断りする旨を伝えたが、彼は私が断るのを見越していたらしく、私が推しているアイドルグループのニューシングルをちらつかせてきた。
「収入の不安定な仕事でお金の工面とか大変でしょ?でも新曲聴きたいでしょ?」
「…わかりましたよ」
こうしてまんまとカセットテープを持って帰らされた私は押入れに眠っていた90年代物のラジカセを取り出し、何が収録されているのか秋沢氏と共に確かめることにした。
コードを繋いだラジカセにカセットテープを装填し、再生ボタンを押してみる。するとラジカセから、しわがれた女性らしき声が民謡のような演歌のような、ゆったりした曲調の曲を歌う声が流れ出した。
あー、ウチのばあちゃんが昔自分の歌声をカセットテープに録ってたなぁ。そんな思い出に浸りながらしばらく曲を聴いていると、唐突に秋沢氏が「やめろ!」と叫んでラジカセの停止ボタンを押した。
「なに?どうした?」
曲が止まり静まり返った部屋の中で、蒼白な顔をした秋沢氏に尋ねると、彼は信じられないといった表情で私に「聞こえなかったの?」と言った。
「え、民謡みたいなのが聴こえてたけど…」
「そんだけ?」
「うん」
秋沢氏は「なんで僕ばっかり」と頭を抱えるとこのように続けた。
「これ流してる間ずっと名前呼ばれてたの」
秋沢氏いわく、カセットテープをかけ始めた当初は私と同じく民謡らしき曲が聞こえていたらしい。
後で何の曲なのか検索をかけてやろう。そう思い歌詞を聞き取るため耳を澄ませていると、だんだんと別の音が聞こえ始めたという。
「けいすけ…けいすけ…」
秋沢氏の下の名前は『圭佑』だった。
なんで?まさか、いや偶然か?秋沢氏は咄嗟に私の顔に目を向けたが、私は曲に聞き入っているようで何の反応もない。そのうち、秋沢氏は自分の名前を呼ぶ声がラジカセから流れているものではないことに気づいた。声はラジカセよりも下の方、ダイニングテーブルの下から聞こえていた。
まさか。秋沢氏は恐る恐るテーブルの下を覗いた。
そこには長い髪に全身を覆われた、女性とも男性とも、大人とも子供ともつかぬ人間が座っており、しきりに「けいすけ」と呼んでいたそうだ。
秋沢氏の話を聞き終わると、私は即刻カセットテープを取り出し封筒に突っ込んだ。それからガムテープを封筒に張り巡らし、私の外行き用の鞄に突っ込んだ。
「それどうすんの…?」
蒼白な顔のまま問う秋沢氏に、私は「お寺行き」と答えた。
「金本君に返そうかと思ったけど名前を呼ばれたってのが気にかかる。何か起こる前に然るべき所に持っていく」
「勝手に処分すんの?金本さん怒らない?」
「もともと会社に送りつけられた不審物だし大丈夫」
私は方々のお寺に電話をかけ、これからでも供養を受け付けて下さるお寺を探した。そうして「すぐに持ってきて」と仰って下さったお寺を秋沢氏と共に訪れた。
お焚き上げ料と共にカセットテープを封じ込めた封筒をお坊様に渡すと、お坊様は「うわすごっ」と呟いた後このように仰った。
「平常ですね、お持ち込み頂いてからすぐはお焚き上げしないんですけどね、これはちょっと気になるからすぐやっちゃいましょう」
こうして(そのお寺では異例の早さで)お焚き上げをして頂いた後、我々自身もお清めして頂こうかと思ったが、お坊様より「今のお焚き上げで十分じゃないかな」と仰って頂いたのでそのまま家に帰り、念のため塩を振っておいた。
その後秋沢氏や私の身に何かが起こるといったことは無く、平常通りの生活を送ることができている。
ちなみにこの一件の後、私は金本氏に顛末を報告し件のCDを要求した。金本氏は「なるほどなるほど~いやぁさすが黒牟田君」などとヘラヘラしながらCDを渡してくれた。私は受け取ったCDに開封した痕跡があることに気づき、中身を確かめた。
「金本君」
「はい」
「これ中にトレカ入ってませんでした?メンバー誰か一人の写真がランダムで入ってるハズなんですけど」
「僕が持ってます」
「は?」
「だから、僕が持ってます」
「は?」
どういうことかと問うと、金本氏はヘラヘラしたままこう返した。
「それバージョンが3種類あるでしょ?別々の特典が入って。僕ね、特典欲しさに3つとも買っちゃったんですけど、同じCDが3つもあってもしょうがないな~って。なのでCDだけあげます」
「は?」
気づいたら金本氏の頭に拳を飛ばしていた。記憶する限りで初めて他人に手を上げた瞬間だった。
私は金本氏からお焚き上げ料をせしめた後、帰り際に1つだけ尋ねた。
「このCD、誰のトレカ出ました…?」
「エイちゃん」
私の推しメンだった。
この数日後、私は金本氏からせしめた金で件のCDを1つだけ買った。
エイちゃんのトレカは出てこなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます