第90.5話 仕方の無いこと

※2019年11月3日にTwitterにてお題に沿って書いた小説を少し改変しました。ミン青年の過去話です。




きっと仕方の無いことなのだ。


俺はずっとそう言い聞かせてきた。


学校の先生から「学校残りたければ今すぐそのふざけた嗜みをやめろ」とヒップホップを禁止された時も。


せっかくオーディションに受かって入所することのできた芸能事務所を、怪我で辞めざるを得なかった時も。


心機一転しようと思って訪れた新天地で、ただ自分より長く生きただけの男からどやされながら清掃作業をする生活を送る今も。


これが俺に与えられた運命なのだと。


俺は恵まれないホシの下に生まれたのだと。




今日も今日とてそうだ。お偉方が指定したオフィスに1ヶ月間、先輩の送り迎えで清掃をしに行く。要員は俺だけ。そのくせ時給はこの国の最低賃金を切っている。おかげで飯もろくに食えない。

でも、それもきっと仕方の無いことなのだ。言い聞かせて、派遣された出版社の床を掃く。そうして行儀よく並ぶデスクの下を掃こうと潜り込みかけた時、唐突に声をかけられた。


「スタイル良いけど何かやってた?」


驚いて顔を上げる。その先にはサラサラした茶髪の頭が悪そうな男。


「あー…ダンス」


「まじ?どっかで事務所とか入ってたの?」


グイグイと訊いてくる男に気圧されながら事務所の名前を答えると、男がパッと目を輝かせた。


「やばー!きみパッと見若いから○○○とか■■■とか同期そうだけど、そうだったりする!?」


華々しく芸能界デビューしていった仲間達の名前が男の口から出た瞬間、思わず顔をしかめてしまった。

別にあいつらが嫌いなわけじゃないけど、怪我さえしなければ自分にもあいつらみたいな未来が待っていたんだと思うと心が苦しくなるから。

俺の表情に気づいた男が「えっ」と目を丸くした。


「ごめん何か気に障った?」


「いや、特に」


「あ、マジで?良かったー」


ホッと胸を撫で下ろした直後、男は上司に呼ばれて仕事へと戻っていった。




それから男もとい金本は何かと俺に話しかけてくるようになった。そのうち金本の先輩や上司、事務のお姉さん達も俺に話しかけてくるようになって、仕事に行くのが楽しくなった。

ある日、金本から突然「食細くない?」と訊かれた。


「大丈夫?食パン食べる?」


言いながら金本がコンビニ袋から3枚入りの食パンを出してくる。その香ばしそうで柔らかそうなその見た目に俺は唾を飲み「良いんですか?」と手を伸ばしたが、金本は「おっと」とパンを天高く掲げた。


「ただ食べるのも良いけど、やっぱ一番美味いのはトーストっしょ」


そう言って金本は俺を休憩室に連れていき、備えつけのオーブントースター(どんな会社だ)にパンを乗せてつまみを回した。1分程でパンの香ばしい香りが漂い始める。


「パンだ…!パンの匂いだ…!何ヵ月ぶりだろう!」


「そんなに!?」


「1日1食カップ麺だから…」


「1食!?」


驚く金本に対し、俺は堰を切ったように愚痴をこぼし弱音を吐いた。怪我で芸能界デビューに漕ぎつけなかったことも、今の所属先が劣悪なことも、しかしそれらが全てこういうホシの下に生まれた故のことであって『仕方無い』と言い聞かせるしか無いことも。

金本は一通り黙って聞くと、こう返してきた。


「ウチさー、長期で入れる清掃員募集しようかって話てたのよ。一応は事務として入ってもらって、事務作業の傍らで掃除とか施設整備とかしてもらうの。どう?」


「どうって言われても…」


戸惑う俺に金本がこう続けた。


「きみが『仕方無い』って言い聞かせてきたことは全然仕方無いことじゃないよ。故郷のは何とも言いがたいけど、でも今の状態は全然仕方無いことじゃないから。埋もれて潰れる前に救われなきゃ」


金本が言い終える前に、俺の目から涙が溢れ出していた。俺を引き抜く為の口実だとしても、そんなに優しい言葉をかけてくれるのが嬉しかった。

金本にすがりつき嗚咽を漏らしていると、いつの間にか入ってきていた金本の上司から声をかけられた。


「焦げてるよ」


金本と2人であっと声を上げ、慌ててオーブントースターを開けトーストを取り出す。網と接していた面が真っ黒に焦げている。


「アウトー!これ廃棄ー!」


「わー!食べる食べる!」


『聖域』と書かれた青いゴミ箱へ向かう金本の手からトーストを奪い取り1口かじる。焦げたトーストは、苦いのにやたら美味しかった。

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