第43話 禁足地

注連縄とは、神聖なものと不浄なものの境目を示す為に張られる縄である。基本的には神社等の神域にあたる場所の周りを囲ったり、御神木のような神の依り代を示す印として使われたりするが、時には禁足地、つまり俗物が足を踏み入れてはいけない場所に張られていることもある。

しかし最近の神社だったり祠だったり注連縄の張られた場所を訪れてみると、自称無宗教であろう観光客の皆様がまーまーまーまー御神木にベタベタ触るわ注連縄くぐって禁足地にズカズカ入っていくわで神域もクソもないといった状態である。別に神が信仰がと言いつつ人間が作ったものなので境界線を越えたところで祟りとかそういうことは無いのだろうが、しかしマナーとしてよろしくないのでやめてほしいところである。やめないだろうけど。

だいたい御神木はともかく禁足地として扱われる場所は実際足場が悪かったり鬱蒼としていたりして危なそうな場所が多い。なので神様云々以前に安全にお出掛けを楽しむ為に足を踏み入れないのが一番なのだ。

1年程前に雑誌編集者の金本氏と取材で訪れた神社だってそうだ。某県の山中に存在するその神社は参拝目的でない観光客にも寛容な所で、本殿前は平日でも多くの人間でごった返している。

そんな本殿の裏側には自然そのままといった風な雑木林が広がっているのだが、よく見るとうっすらと人が地を踏み固めて作った道が見える。私と金本氏がその道に気づいたのは、女子大生風の参拝客2人組が「なんか道あるよー」と言いながら入っていくのを見たからだ。私達ははじめ参拝順路の1つだと思って気にも留めなかったが、ガイドをして下さった社務所の方が「禁足地なのに」と呟いたので、気になって追いかけることにした。

2人組の声を辿りつつ雑木林を進むと、注連縄に囲まれた池に辿り着いた。池の水は驚くほど澄んでいて美しく、感嘆した女性の1人がパンプスを脱いで池の中に侵入しその様子をもう1人が写真に収めていた。


「あー、ああいう子って注意しても聞かないんですよ」


ガイドさんがぼやく。

わかるわかる、承認欲求の為なら手段は選ばないって感じですよねーと相槌を打ちつつ女性達を陰から見守っていると、突如悲鳴が聞こえてきた。


「足が抜けない!」


池に侵入した女性が喚く。どうやら池の正体は底なし沼だったらしく、女性の身体がもがく程に引きずり込まれていく。

こんなに水が澄んでるのに泥が堆積しているのか?一瞬そんな疑問が過ったが、しかし深く考えている暇は無かった。私はすぐさま女性達のもとに駆けつけ「じっとして!」と叫んだ。


「もがくと危ないよ!」


突然現れた眉無しの男に女性達は余計にパニックに陥った。

落ち着かせたかったのに。豆腐並みのメンタルをぶっちゃりと砕かれ打ちひしがれている間に、金本氏とガイドさんが降りてきて池に侵入し女性を引っ張り上げようとし始めた。その時、金本氏の口から「ここ岩じゃん」と訝しげな声が聞こえたが、そんなことより私も助けに行かねばと池に近づいた。するとどこからかこのような怒号が響き渡った。


「ちょっと待ちなえ!!」


声の方向に目を向けると、修験者の服装に身を包んだ中年の男が雑木林の奥から現れた。


「悪いけど眉無しのお兄さんはここ入らんで」


私だけが池、厳密に言えば注連縄の中に入ることを拒まれた。

なんでなんだ。人相悪いからか。ついその辺で見かけた女性に何かするような人道から外れた人間ではないのに。

豆腐メンタルがぶっちゃりを超えて液状化するのに打ちひしがれている間に、修験者の男が何やら唱えながら女性を池から引っ張り上げた。


「お姉さん、ここ注連縄張ってあるでしょ。これは禁足地といって立ち入り禁止って意味なの。わかるね、お姉さん」


修験者に諭され、救い出された女性と側に寄り添う女性が泣きながら頷く。


「ここの神様が今ちょっと怒ってるからね、神社の方にお話しして後からちゃんと謝りなさいね」


はい、と女性達が力強く頷く。修験者はそれを認めると、ガイドさんに「付き添ってあげて下さい」と女性達を引き渡した。

女性達がガイドさんに連れられこの禁足地を去った後、私は修験者に声をかけた。


「あの子たちも懲りるでしょうね」


すると修験者は「いやぁ~、どうかな…」と首を傾げた。


「わたしゃ気休めに"神様"なんて言ってみたけど、実際ここにおるのは神様なんて有難いものや無いんよ…多分懲りる前に…」


し、と口を動かしかけたところで修験者が「ごめんね、聞かなかったことにしてね」と言い直しさっさと池を離れてしまった。

底なし沼に対して何をそんなに恐れているのか、と疑問を抱きながら修験者の背中を見送っていると、池に入っていた金本氏がズボンを半分濡らして戻ってきた。


「君は無事なのか…」


「変なんですよ。底が岩なんですよ」


「は?」


「確かに女の子は足から飲まれてたんですけど、でも僕が立ってたとこは岩なんですよ」


「は?」


女性の立った場所がちょうど泥のある場所だった。そういうことにして、私達はガイドさんと合流し取材の続きを始めた。




それから1週間後、あの神社の池で女性が行方不明になった。女性は近隣の大学に通う女子大生ということで、パワースポットを訪れるのが趣味だったそうな。


「底なし沼に飲まれたか」


テレビを前に独りごちながら、やはり安全の為に注連縄の張られた所は立ち入らぬが吉だと思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る