第5話 再会と逃亡
時は過ぎ——女子寮の管理人を任命された当日を迎える。
「とうとう来ちゃったよ……この日が。指パッチンで時間止められたら良いのに……」
「バカ言ってるんじゃないの。ちゃんと住み込みの準備は出来てるんでしょうね?」
「うん……、母さんの車に荷物詰めてるよ。春服と夏服と生活用品」
蒼太の移動手段はバイクである。こうした荷物は運べないため車持ちの理恵に頼む他ない。
「え、あんた冬服は詰めなかったの。二度手間になるでしょう」
「いや、静子おばあちゃんがいつ退院するか分からないでしょ? 俺はそこまでの代わりなんだし、この仕事を長く続けようとは思ってないからさ」
「そうなの? かなり意外ね……。貯金も出来るからかなり良い職場だと思うけど」
「俺もそこは同じ意見だけど女子寮に男一人はどう考えても肩身狭いじゃん。その環境に馴染めたらまた別なんだろうけど、流石にその自信があるわけじゃないから」
「あぁー、だから容姿だけでも自信つけようと美容室に行ってきたのね」
「そう言うこと。気休め程度にしかならなかったけど……」
頭髪を整えてもらい、容姿が多少なりと良くなったところで中身が変わるわけではない。これは悲しい現実である。
「私の息子なんだからもっと自信持ちなさいよ。上中下で例えたらあんた中くらいの顔はしてるから」
「ねえ、普通はそこは上って言わない? 俺に自信持たせるために」
「この年になって親があんたを『カッコいいー』とか言うほど嘘くさいものはないでしょう? 正直に言った方がマシよ。芸能人じゃないんだから」
「バッサリだね本当……」
「まあ赤ん坊から育ててきたあんたを私が中って判断するんだから、周りから見たらそれよりも少しは上になるんじゃない? 知らないけど」
「うん、最後の『知らないけど』は余計だと思うんだよね」
と言うものの多少なりと勇気を貰えたのは事実。
『まあ赤ん坊から育ててきたあんたを私が中って判断するんだから、周りから見たらそれよりも少しは上になるんじゃない?』
この理恵の見解は間違いとは言えないだろう。
だが、完全に不安が払拭されたわけではない。
「あーもう、緊張がヤバイよ。胃が痛い。バイク上手く運転出来るかなこれ……」
「だからバカ言ってないの。ほらもうこんな時間じゃない。寮の説明もあるし早く行くよ」
「うぇっ」
カエルのような鳴き声を口から漏らす蒼太。理恵が首元を掴み外に引っ張りだそうとしているのだ。首が締まっている蒼太なのだ。
「ひ、引っ張らないでも行く! 行くから!! あー、最後に一つ聞きたいことある!」
「なによ?」
首を傾げて引っ張っていた手を離してくれる理恵。もちろん、蒼太は時間稼ぎをしているわけではない。本当に疑問があったのだ。
流石にこの状況で駄々を
「えっとー。流石にこの時間だし寮には今誰もいないよね? みんな外に出てるよね?」
現在の時刻は10時20分。大学生なら学校に登校している時間であり、社会人なら仕事をしている時間ではある。
「あー、この時間だと小雪ちゃんって子がいるかもね。手作りのアクセサリーを売りながら空いた時間でアルバイトしてる子よ」
「こ、小雪……?」
その名前にちょっぴり引っかかりを覚える蒼太。
数日前、ファミレスでミスをした店員の名前も小雪と言う名前であったのだ。
しかし、そんな偶然は無い……と思うのが普通である。
「なにその聞き返し。あんたに言っとくけど小雪ちゃんに喧嘩を売ったりしないでよ? その子、そっちの業界じゃアクセサリーを販売してすぐに売り切れするほどの、ブログの収入もあるほどの有名人なんだから」
「いやいや、喧嘩売るつもりはこれっぽっちもないけど……その人凄いね。それだけ収入源があるならアルバイトしなくても良いと思うけどなぁ」
「何か理由があるからアルバイトをしているんでしょうね。気になるなら聞いてみれば良いんじゃない?」
「いや、遠慮しとく。そこまで踏み込む勇気ないし」
「全く、これだからあんたは……」
呆れ切ったようなため息を吐かれるが、『これが俺だ』と豪語するように数回頷く蒼太。
そんな家族間のやり取りが行われながら外に出る。理恵は車に、蒼太はバイクに乗って女子寮に向かうのであった。
****
「着いたわよ。そう言えばあんた初めてここに来るわよね?」
「うん。ってかめっちゃ綺麗だね……。お高いペンションみたいな感じだし」
理恵の母方に当たる静子おばあちゃんの所有する寮は蒼太の言葉通り、民宿の家族的雰囲気とホテルの機能性を兼ね備えたような造りをしていた。
外見だけならイタリアの首都に立っていても浮くことはないだろう。それくらいに洒落た外見をしている。
「お高いって言ったけど正解よ。ここの家賃10万円だから」
「え、10万って……じゃあ一年で120万円!? マジか、働いてた頃の年収の二分の一取られるんだけど」
「そこに一ヶ月2万で住めてなおかつ本来の家賃以上の貯金が出来るんだからお得でしょ?」
「ま、まぁ……そうなるけど」
この条件なら例え女子寮であり、肩身の狭い思いをしても悪くないのかもしれない。そして高家賃なのだ。外装だけでなく内装もしっかりしていることだろう。
「え、ちょっと待って。じゃあ海外留学してるって言ってた人、ここに住んでないのに毎月10万納めてるってこと?」
「あー、その子は半額の家賃を納めてもらう代わりに部屋を残しているの。本当なら正規の金額を納めてもらうべきなんだけど、静子おばあちゃんが気を利かせたみたいね」
「それでも十分高いって……。ん? あ、その家賃を納めるくらいにまた住みたいってこと……なのか」
と、自己完結した瞬間に今度はお腹が痛くなってくる蒼太だ。
『やばい。俺、この寮の評価絶対下げられない……』との重圧を感じたわけである。
「ね、ねえ母さん。俺のバイクここに駐めてても問題ない……?」
「大丈夫よ……って何お腹押さえて聞いてるのよ」
「な、なんでもない……」
「じゃあ続けるけどこの寮に住んでる人で車を持ってるのは二人だから、基本は空いてるスペースに駐める感じね。特に場所の指定もないから」
「り、了解……」
駐車場の利用方法を聞いた後、手に持っていたバイクヘルメットをトップケースに入れ、蒼太は理恵の元に近づいていく。
「じゃあとりあえず中に入りましょ。あんたの荷物は自分で運んでね。私が運んだら腰をやられるから」
「う、うん……」
そして蒼太はどこかぎこちない返事をした。理恵の車の少し奥に止まっている黒塗りのアウディーを見て。
「ね、ねぇあれってもしかして……」
「小雪ちゃんの車ね」
「へ、へぇ……」
と、声を震わせてしまう蒼太。その理由は複数あるが、一番を挙げれば、小雪が寮の中にまだ居ると悟ったからである……。
蒼太からすれば今日初めて寮に住んでいる者に会うわけである。緊張するのは仕方ないだろう。
「ほら、ぼさっとしてないで荷物運ぶわよ」
「う、うん……」
心強い点は親である理恵が居てくれていること。もしもの時は間に入ってくれると言うことだ。
車の中から荷物の入ったダンボールを抱えた後、働きアリのようにして理恵に付いていく。
砂利の敷かれた駐車場を二人で歩き、ペンションの木製階段を上がる。その入り口に近づいた理恵が玄関鍵をポケットから取り出した矢先である。
『ガチャ』
理恵が玄関のバーハンドルに触れることなく、女子寮の扉が独りでに開いたのだ。
そうして中から出てきたのは——長い脚を白のデニムを黒のブラウスで合わせた女性。綺麗な水色髪をお団子にした美女……。
「お! 小雪ちゃんおはようー」
「あ、理恵さんおはようございます」
初対面——理恵を挨拶する小雪を見た蒼太。
「ど、どうも……」
「えっ、あっ……っ!?」
次に小雪と視線が交差する。
初対面ではなかった。お互いに忘れたわけではなかった。一度会っていることを覚えていた。
「……」
「……」
お互いに無言。まさかの展開に心構えなど出来ているはずもない。
なんとか笑顔を作ろうとする蒼太。その一方で小雪は曇りのない群青色の瞳孔をぱっちりさせる。
肉つきの薄いピンクの唇をぱくぱくさせている。
「小雪ちゃん、コレが私の息子。話してた通り今日から管理人することになってるからちょっとサポートお願いしてい——」
「ごっ、ごめんなさいっ……!」
「え……!?」
そんな蒼太のフォローを入れる理恵の声は……小雪が真横を走り抜けた音で散る。
おばけから逃げるような速度で自車のアウディーに乗り込んだ小雪は、エンジンをかけて去ってしまった……。
「……」
「……」
何が起こったのか、状況把握が追いついていない理恵は空きになった駐車場を呆然と見ていた。蒼太も蒼太で重いダンボールを抱え続けながら同じ行動を取っていた。
「ねぇあんた、さっき小雪ちゃんを睨んだでしょ。顔見知りなのよあの子は」
「いや、全く睨んでないけど……。『どうも』って挨拶したじゃん俺……」
「じゃあ小雪ちゃんになにしたの?」
「だ、だから特に何も……」
「嘘つかないっ! 何もしてないなら小雪ちゃんがあんな行動取るはずないでしょ!!」
「いやいや本当なんだってッ!」
女子寮の玄関前。
小雪の行動から状況を掴むこともが出来るはずもなく、親子喧嘩が勃発してしまう。
ただ、その中で言えることがある。
蒼太は本当に悪いことをしたわけではない……と。
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