第16話 小雪、美麗への想い
「え、えっと……一つ疑問なんですが父からの虐待を受けていた時、美麗さんの母は庇ったりされなかったんですか……?」
父親が虐待を行なっていた。ならその時に母親はどうしていた? との疑問が浮かぶのは当然でもある。
「それが……美麗の母親は美麗が中学の時に上がると同時に亡くなってしまったの。元々、体が弱い方だったらしくて」
「……そ、そうなんですか」
「父親が虐待を始めたのはその母親が他界して、そのショックからだと聞いているわ。……それでも本当、酷いものよね」
「……否定はしませんよ」
パスタを食べていた時の明るい表情とは一変、怒りを懸命に抑えたように声を震わせる小雪。
初対面であれだけ文句を言われた蒼太だが、この実情を聞けば当たりどころを美麗に向けることはできない。
むしろ擁護するような立場に回っていた。
「美麗が父親から受けた虐待は半年以上……。近隣の住人による通報でなんとか美麗は救われたんだけれど当時は全身アザだらけ。衰弱も激しかったそうよ。学校に通えてたら早期の発見もできていたんでしょうけど……そんなことを受けていたせいで不登校になっていたのよね」
「……」
「父親はもちろん逮捕。関係も断ち切って美麗は母方のおばあさんに引き取られたのだけれど……美麗の精神的ショックは取り除けないくらいに深かった。カウンセリングを受けたりもしたらしいのだけど、効果が得られたとはお世辞にも言えなかったらしいわ」
痛ましい過去に蒼太は言葉を失っていた。こうして第三者から聞いているわけだが、なんと返せばいいのかも分からない。
心には重石が乗せられているようだった。
「あの……その事実を踏まえたなら、男の自分が管理人をするって状況はかなりの問題ですよね?」
その中でも、蒼太は現在の問題点を正確に割り出していた。
「美麗さんは女子寮でなおかつ管理人も女性だったからこの寮に住むことを決めたんだと思いますし、美麗さんのおばあさんが文句を言わないはずありません。すみません。事実確認のために少し母さんと電話してきま——」
と、勢いに任せたようにリビングにある椅子から立ち上がろうとした瞬間だった。小雪は蒼太の手を優しく掴んだ。
「安心して。美麗のおばあさんは理恵さんと合意の元、この話を進めたと聞いているわ」
「えっ!?」
「美麗のトラウマを少しでも克服してもらうために。……もちろん美麗には内緒にしていることだけれど」
「いやいや、そんなことを言われても……。そっちでラインを作ってたとしても当事者に教えないのはどう考えても問題でしょ」
今回の件を思慮したら蒼太は被害者に当たると言ってもいい。
管理人になる際に寮に住む者の心の問題を聞かされていなかったのだから。
「もしかしたら……と言うよりも理恵さんのことだから、あえてあなたに教えなかったのだと思うの」
「あえて? もう少し詳しくお願いします」
こういった情報はあればあるだけ冷静に対処できる。
「もしあなたが虐待の件を聞いていたら、美麗さんに
「た、確かに一理ありますけど——」
もし本当にその狙いがあったとしても、蒼太としては不満なことがある。
「——勝手に進められちゃ美麗さんが怒るのは当然じゃないですか。辛い精神状態であるのにいきなり男が管理人って決まるって相当なストレスだと思います。美麗さんのトラウマは克服しなければならないものだとは思いますけど、そんな
『美麗のことをもう少し考えてくれよ……。逆効果になったらどうするんだ』なんて含みを効かせながら言葉を続ける蒼太だが、皆、美麗のことを考えた行動であるのはこの先に知ることになる。
「……美麗が克服するチャンスはここしかない、
「み、みんなって……」
美麗のおばあさんも、理恵も、琴葉も、ひよりも。全員が総意であるように言う。
「美麗はひよりと同じ高校三年生。だけど大学に進学するのか定まっていないのよ。当然、来年卒業をしたら働きに出る可能性だってある。もしそうなった時、言葉は悪くなるけど美麗は社会に潰されるでしょう……。自己防衛とは言え、あの口調、態度で雇ってくれる会社はどこにもないもの」
「そ、それは間違いないですけど……」
美麗の将来を考えるならここが勝負なのだと伝えられる。
「……今回の件は蒼太さんにかなりの負担が行くと思うの。だからその分、わたしをがあなたを全力でサポートするわ」
「サ、サポート……ですか?」
「み、美麗の発言にどうしても心が痛んで……た、立ち直れない場合もあるでしょう……。そ、その時は……」
ここでいきなり挙動がおかしくなる小雪。言葉に突っかかりが増え、みるみるうちに顔を赤くしながら——最終的にボソッと言った。
「い、い……い、一夜の関係を持つことも……考える……わ」
「は、はぁ!?」
蒼太の声はおそらく二階にまで聞こえただろう。いや、この反応を取ってしまうのは仕方のないことだろう。あの真面目な小雪から突然のシモが入ったのだから……。
「ふ、不満……なの?」
「そ、そうじゃなくって!」
「っ!?」
「って、そっちのそうじゃなくって! ちょっと落ち着いてください」
「それはあなた
「す、すみません……」
自身を含めた指摘をされたら蒼太は謝るしかない。
『ふぅ』と深呼吸。一間を開けて蒼太は口を開く。
「あの、美麗さんと小雪さんの関係ってどうなっているんですか……? 母方の連絡先を知っているなんてそうそう無いと思いますし、あの発言だって……」
「……わたし、美麗とは同じ日にこの寮に入居したのよ」
「へぇ、すごい偶然ですね」
「それで先に引っ越しが終わったのがわたしで……どうせならってことで隣室の美麗の引っ越しも手伝うことにしたの」
この行動に大きな違和感を覚えないのは小雪と多くの会話を交わしているからだろう。
「その時に美麗のおばあさんも一緒で……いつの間にか美麗をお願いされてね。
してやられた。との言い方をしているが嫌味はこれっぽっちも含まれてはいない。
「そして……いつの間にか美麗には姉のように頼られるようになったの。わたし星を観察することが好きなのだけれど、美麗もよく付き合ってくれるのよね」
「それはまたロマンチックな趣味ですね?」
「ふふ、ありがとう。そんな星をゆっくりと観察している時、美麗は少しずつ話してくれるのよ。昔のこととか、今日あったこととか、いろいろ」
それが今まで話してきたことの内容の一部であることには違いない。
美麗のことを一番詳しいのが小雪であることにも頷ける。
「あのね……
「は、はい?」
「わたし、美麗の気持ち……
「ッ!?」
「……だから、美麗が今陥っている辛さも、克服できた時の生きやすさも知っているつもり。だからこそ今回のやり方には本当に感謝しているし、この機会を無駄にするわけにもいかない」
「……」
「ソウタさん。もしソウタさんが美麗を救ってくれたのなら——」
そして、小雪は言う。
「いくつか
『こればかりは本気』と今度は照れを見せることもなくしっかりと声を届けてくる。
これからの頑張りにはそれくらいの報酬が必要。自身でそう思っているからこその発言だったのだ。
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