第80話 小雪の想いに勘づく琴葉
太陽が沈み、満月が顔を出したそんな時間である。
リビングのテーブルで夕食を囲んでいる琴葉は、対面に座っている小雪に疑問符をつけた声をかけていた。
「ユキちゃん、何か考えごとですか?」
「……えっ、どうしてそう思うのかしら」
小雪からして唐突だったのだろう。どこか呆気に取られた顔で聞き返す。
「難しいお顔をしてキッチンを見ていたので……ですね」
「ごめんなさい。ただぼーっとしてただけよ。特に何もないわ」
「それなら安心ですけど、体調が悪かったりしたらすぐに教えてくださいね。最近は気温も高くなっていますから」
「ええ、ありがとう。琴葉も同じようにしてちょうだいね。わたしよりも外に出る時間が長いから」
蒼太が手を焼いていない点を挙げれば、入居者同士の仲が良くトラブルが少ないことだろう。嫌悪な雰囲気になることがない分、蒼太にとって働きやすい職場になっているのだ。
「私、こう見えても丈夫ですから平気ですよ」
「それでいて珍しく体調を崩した時は隠し通そうとするわよね、琴葉は。だから厄介なのよ」
「な、な……なんのことでしょうか」
「でも、今回からはそれも通用しないでしょうけどね。アレを掻い潜るのは困難でしょう?」
顔をキッチンに向ければ在庫を紙に記しながら真剣に確認している蒼太がいる。
小雪がぼーっとして見ていた理由は
「やっぱりユキちゃんもそう思いますか……。あの観察眼は鋭いですもんね」
「ええ、これは誰にも言っていなかったのだけれど、わたしは簡単に見破られてしまったのよね。自信のあったことを」
「見破られた……ですか?」
「このお話をすればある程度は察するとは思うけれど、睡眠不足でクマができた時、琴葉はどうやって隠すかしら」
「もちろん化粧品を使いますよ。コンシーラーですね」
お互いに化粧をしていることもあり化粧品の名称には詳しい。迷うことなく正解を出す琴葉である。
「正解。そのコンシーラーがバレたのよね。上手く塗っていたのに」
「えっ!? 男性がそこに気づくものなんですか……? それもユキちゃんのメイクはお世辞抜きで上手なのに……」
「バレるだなんて予想もしてなかったから本当びっくりしたわよ。その後はすぐに昼寝を取るように命令されたわ」
「ユキちゃんの体調を心配してくれたんですね。さすがは蒼太さんです」
「ん? 今呼びましたか!?」
琴葉がこの名を出したことで大きく反応をする蒼太である。聞き耳を立てていたわけではなく、ふと耳に聞こえてきたとそのような感じだった。
「ええ、成人組で集まっているのは珍しいことだと思って」
特に呼んだわけではないが、いち早く反応をして蒼太を会話の中に招き入れる小雪だった。
「あぁ……それは確かに。ひよりと美麗はいち早く2階に上がっていきましたからね。確か友達とゲームをする約束をしているんでしたっけ」
「そうですね、4人対戦をするらしいですよ」
「本当学生らしいわね。この年になれば友達とゲームをする約束はしなくなるもの」
「あー、俺もいつの間にかゲームの話題とかなくなりましたよ」
「社会に出ると関わる年齢層が変わるからかもしれないですね。あっ……そういえばユキちゃんは何かゲームをしたりするんですか?」
さすがは受付嬢と言うべきか、話の内容が終わるタイミングで新しい話題を提示してくれる琴葉だ。
「そうね……。男勝りかもしれないけれどスマホでできるFPSとパズルゲームをやっているわ。ソウタさんは?」
「俺は特には何も……。あ、強いていえばオンラインでするお絵かきしりとりですね。琴葉は?」
「私はウーパールーパーの育成ゲームと農業のシミュレーションゲームです。育てる系のものが好きでして」
「あら、こんなにも噛み合わないことがあるのね」
上手い具合に発言されていない穴を突いていった3人である。総括するように小雪が苦笑いを浮かべてみせた。
「俺は小雪さんがガンゲームをプレイしてることにちょっとびっくりしましたよ」
「私もそこは意外でしたね」
「相手を倒した時に聞こえる断末魔が面白いのよね。あれは気持ちがいいわ」
「あ! それツイッターで流れてきたことがありますよ。もうボイストレーニングしているくらいの
「なんだかそれは面白そうですね……。私も入れてみようかなぁ……」
「それなら今度わたしとやってみる? 1人でするよりも2人でした方が面白いもの」
「はいっ! 是非とも……!」
「ふふふっ、爆弾を投げていじわるしてあげるわね」
「な、なんでそんなことするんですか!? 初心者には優しくしてくださいよぉ」
この時、蒼太は思う。この2人と一緒にプレイするよりは、2人がプレイする様子を遠目から観察したいと。
『3人倒したから一気に前に詰めましょう。わたしが
そんなリーダー格の指示をクールに出す小雪と、
『わあ、凄く撃たれちゃってますね〜私。
冷静な分析で強キャラ感を出しながらあっけなくやられてしまう琴葉をなんとなく想像する。それだけでも面白いものがあるだろう。
「ふふっ。お話も盛り上がってきたところで……ソウタさんも休憩をしたらどう? もし良かったらわたし達のお相手をしてほしいわ」
「あぁ……すみません。ありがたいお誘いですけど遠慮しておきます。ちょっと今日は
「えっ、蒼太さんがサボるなんて珍しいですね?」
「騙されちゃダメよ琴葉。サボるといってもノルマはこなしているから、ソウタさんは」
「あっ、それはそうですね。危うく騙されるところでした」
厚い信頼を寄せているからこそ、小雪の言葉に疑問を持つことも否定することもせずに肯定する琴葉だ。りんご色のまんまるお目目を細めて柔らかい笑顔を見せていた。
「そ、そんなに素直に呑まれると素直に嬉しいなぁ……。っと、それじゃあ俺は管理人室で残り仕事をしてくるので何かあれば呼んでください」
「ええ、わかったわ。その代わりお仕事が終わったら構ってちょうだいね、ソウタさん」
「あははっ、任せてください」
そうしてキッチンの電気を消した蒼太は、在庫を記入した紙を持ってリビングを横切る。そのまま扉を開けて管理人室に向かっていった。
「……」
「……?」
よくある状況。よくある状況なのだが……この時である。琴葉は正面にいる小雪に違和感を覚えた。偶然にも小雪のあからさまな行動を目に入れたのだ……。
蒼太がリビングを去るまでの間、小首を左から右に動かしながら熱視線で追っていたことを……。
リビングと廊下を繋ぐ扉が閉まった瞬間、子どものように拗ねた表情をしていたことを……。
この違和感の正体をすぐに導き出した琴葉だった。
『ごめんなさい。ただぼーっとしてただけよ。特に何もないわ』
——これがキッチンにいる蒼太を見てのことだったら。
『ええ、成人組で集まっているのは珍しいことだと思って』
——気まずい空気にならないように作った話題ではなく、ただ単に蒼太を話に交ぜたかったのだとしたら。
『騙されちゃダメよ琴葉。サボるといってもノルマはこなしているから、ソウタさんは』
——蒼太の立場が悪くならないようにフォローを入れたのだとしたら。
『ええ、わかったわ。その代わりお仕事が終わったら構ってちょうだいね、ソウタさん』
——距離を縮めたいとのあからさまなアピールなのだとしたら。
全てが繋がるのだ……。
「ユ、ユキちゃん……」
声色に緊張を含ませながら言葉を繋げる琴葉だった。
「わ、私の勘違いならそれでいいんだけど……」
「うん? なにかしら」
「も、も、もしかしてユキちゃんって…………」
しかし、そこから次の言葉は出なかった。頭では整理のついてる言葉なのに口にすることができなかったのだ。
「あっ! や、やっぱりなんでもないです」
『蒼太さんのこと……好きになった?』
それが、言えなかった。声にして伝えてしまったならどんな状況になるのか瞬時に理解したのだ。
「もう……どうしたのよ。気になるじゃない」
「す、すみません。言おうとしていたことをなぜか忘れてしまって……」
「じゃあ思い出したら教えてちょうだいね」
「は、はい。多分すぐ思い出すので……」
これは琴葉が初めて小雪についた嘘だった……。
(そう……だよね。蒼太さんが相手だもんね……。ユキちゃんでも、そうなっちゃう……よね)
そしてこれが、モヤモヤとした胸中で呟いた言葉だった……。
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