第79話 人一倍……。

 買い物後、数時間が経ち16時50分になった。

 18時までに作り終える夕食はすでに作り終え、今ある仕事をひと段落させた蒼太はあくびを我慢しながら管理人室から布団を持ってきていた。

 梅雨時期から今まで、この光景を数回と見ている小雪は特に動じることもなくハンドメイドの仕事を続けながら蒼太に声をかけていた。


「ようやく仮眠が取れるわね」

「あ、あはは……。すみません。小雪さんは仕事中なのに」

「そこは気にする必要ないわ。一度生活バランスが崩れると大変よね」

「正直……そうですね。最初は頑張ってたんですけどやっぱりダメですね。睡魔がもう凄くて凄くて」

 お互いに触れてはいないが、蒼太が生活バランスを崩している理由はただ一つ、梅雨時期、深夜帯に美麗の世話をしていたからである。その負担が今になって蒼太に襲ってきているのだ。

 もちろん、蒼太が生活バランスを崩していることは小雪しか知らず、内緒にしていることでもある。

 これは二人で相談したことで、美麗に罪悪感を与えることなく、入居者の皆に心配をさせないための配慮であった。


「早めに戻さないとなんですけどね。これだと仕事をサボってることになっちゃうので」

「ソウタさんがサボっているだなんて誰も思わないわよ。今日だって休憩時間を全部後回しにして仮眠に当てているわけでしょう?」

「一応はそうなりますね」

「やるべきことはやっているんだから文句言う人は誰もいないわよ。もしもの時はわたしが擁護するから任せておいて」

「ありがとうございます。……でも、普段よりは働けていないことに変わりはないので早く戻せるように努めますね」

 仮眠を取ろうが与えられた仕事はしっかりとこなしている蒼太であるが、普段は休憩を返上する勢いで働き続けている。

 ノルマ以上のことを毎日行ってきていた分、どうしても思うところがあるのだ。


「真面目の域を超えて大真面目おおまじめよね、本当……。わたし、年下でそのくらいの方は見たことがないわ」

「そうですかね? 俺は当たり前のことを言っているだけですから」

寝過ごさない、、、、、、ようにリビングで仮眠を取ろうとしている時点で大真面目よ、あなたは。常に仕事が頭に入っているってことだもの」

「それは節電ですよ。クーラーを二箇所使うのはもったいないですからね」

「なら正確に言うけれど、リビングで寝ることによってわたしに起こしてもらえるからでしょう?」

「違います。節電です」


 断固として答えを曲げない蒼太だが小雪にはバレてしまっている。

 アラームは便利だが、人の手で起こしてもらった方が確実に起きることができる。それも二度寝をする可能性もない。

『節電』よりはこっちの方の気持ちが強い蒼太なのである。


「素直になってくれないのなら自室で仕事をしようかしら、わたしは」

「そ、それはやめましょう!? ほ、ほら広いスペースで仕事をした方が仕事の効率もいいでしょうからね?」

「今焦ったわね。やっぱりわたしをアラーム代わりにしようとしているじゃない」

 綺麗な瞳をギロリとさせ、疑ぐりの目を向ける小雪だ。

 それでも怒ってはいないのだろう、『しょうがないんだから』と言うように口角は上がっていた。


「っと、ごめんなさいソウタさん。そろそろお休みしないと仮眠をする時間がなくなるわ」

「そ、そうですね。それでは小雪さん、俺は仮眠を取らせていただきます」

「ええ、いつも通り17時50分でいいかしら」

「はい。それでお願いします。もし何かあったら遠慮なく起こしてくださいね。すぐに対応するので」

「わかったわ」

「それではおやみなさい、小雪さん」

「お休みなさい」


 そうしてソファーに横になった蒼太との会話が終わる。ここから新しい会話が生まれるわけでもない。

 小雪は仕事に取り組んでおり、蒼太は仮眠を取ろうとしている。

 お互い邪魔をしないように……なんて気持ちを持っているのだ。


 そうして静寂が支配したまま30分が過ぎた頃である。

「ふぅ……」

 リビングに小さく吐いた息、その音が霧散する。

 集中の糸を切ったように手を止めた小雪は両腕を上げて上半身を伸ばした。今日のノルマがようやく終わったのだ。


「もう30分が過ぎてるのね……」

 リビングに備え付けられている時計に目を向けた小雪は、テーブルに置いてある目薬をさしてアイテムの片付けを進める。

 慣れるまでは時間のかかる作業だが、小雪はこれを何十、何百と行っている。しまう箇所も頭に入っている分、迷いなく終わらせる。


 ケースに全て戻した頃には17時35分だ。

 蒼太を起こすまで15分となったところで小雪は椅子から立ち上がる。

 向かう場所は蒼太が寝ているソファーである……。


「すう、すう……」

 そこには寝息を立てた蒼太がいる。完全にスイッチを落としているのかソファーから力のない腕が床に下がっている。


「もぅ……大人げなさすぎるわよわたし……。寝顔これを見ただけで美麗に嫉妬しちゃうだなんて……」

 美麗の境地を一番に知っている小雪がそう思ってしまう。蒼太の寝姿を自由にしているのはみんなが知っていること。


『あれだけ私に注意していた美麗ちゃんがコロッといっちゃいましたね……』

『ソウタさんにあれだけ優しくされたら仕方がないけれどね。それまでの工程がしっかりとあるわ』

『でも……蒼太さんを好き放題にしているところには少し思う部分がありますけど……ね?』

『あら、美麗が羨ましいのかしら? 琴葉は』

『そ、それは……はい、そうです。やっぱりいいものですよ。私も蒼太さんと一緒にお休みしたことがあるのでわかりますけど、熟睡した蒼太さんはなかなか起きないのでそのお体は自由にできますからね』

『そう……』


 これは数日前に琴葉と交わした内容。小雪の心をチクリとさした要因。

 そして、ひよりについてもそうである。

 ひよりは学年成績で半分を切れば蒼太と一緒に寝られる約束をしているのである。


 ——入居者の皆とを感じるには十分過ぎるものだった。


「はぁ……コレ、、はどうにかならないのかしらね……本当」

 コレというのは嫉妬心と独占欲が混じった感情である。

 人間が誰しも持つ気持ちだが、小雪は人一倍に強かった。


「ソウタさん……」

 小雪はソファーから垂れ下がっている蒼太の手を取り、優しく体の上に戻す。

 ただ、その手を取った形は常識とは違う。

 蒼太の指と指の間に手を入りこませ、ぎゅっと強く握った恋人繋ぎで戻していたのだった。

 嫉妬心と独占欲。この二つを少しでも気持ちを鎮めるために……。


 小雪が蒼太を起こしたのは17時46分。


 余裕を持って起こしたといえばそれまでだが、他の入居者が帰ってくる前に……。他の入居者に寝顔を見せないために……。そんな気持ちが8割以上を占めていたのだ。

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