第89話 小雪の看病②

「小雪さん、22時になりましたけど起きてますか……?」

 美麗から粋な計らいを受けた後、蒼太は強い意志を瞳に宿して小雪の部屋に声をかける。


「……ええ、鍵は開いているから入っていいわよ」

「わかりました。では失礼します」

 本来なら小雪から招き入れるのだろうがキツい状態に侵されている分、それができないのだろう……。

 小雪からの返答を聞き、もう一度声を出した蒼太はお盆を片手に持ち替えて扉を開けた。


 最初に蒼太を出迎えたのは暖色系の光。次に映し出されるのは薄ピンクの絨毯に同色のカーテン。白色の丸テーブルにハンドメイド用の小物が入った同色の棚。白のブランケットがかかったベッドには紫、黄、緑の蛍光色のクッションが三つと小さめの観葉植物。

 無駄な物が置かれておらず、シンプルかつ清潔感がある小雪の部屋は甘い匂いが漂っていた。


「……えっ」

 そんな部屋主であるパジャマ姿の小雪は、ベッドに腰を下ろした状態で目を見開いていた。

 視線の先は蒼太ではなく……蒼太が持つお盆だった。


「そんなに驚くことではないと思いますけどね。俺は今朝から小雪さんの容態ようだいを知ってますし」

 淡々とした口調で丸テーブルにお盆を置いた蒼太は真顔のまま小雪に面合わせる。

 その一方で、小雪は蒼太とお盆を交互に見ながら表情を歪ませていた。

 お盆の上にあるのはおかゆやスポーツドリンクの他に市販の風邪薬。

 蒼太の言いたいことがこれに全て込められている。


「……な、なにを言ってるのかしらソウタさんは。わたしなら平気よ。今朝となにも変わっていないわ」

 今日一日、キツい体に鞭を打って入居者にバレないように取り繕っていた小雪なのだ。今さら素直になるような行動を取るはずもなく……、そんな望まない答えを聞き、瞳を鋭く変化させる蒼太である。


「座っているだけで上半身がふらついているのによくそんなことが言えますね、小雪さん。顔も赤いですし体調が悪化しているのは目に見えてますよ。それに仕事をしていた形跡もありませんし」

「ふらついてなんかいないわ。それはソウタさんの気のせいよ」

「……」

「それに、顔が赤いのはソウタさんがくる前に掃除をして動いたから。形跡がないのもその理由よ」

「正直に話してくださいよ。夕食を食べなかった……いや、食べられなかったのは体調が悪化して食欲がなかったからでしょう?」

「こほっこほっ……。そんなことないわ。仕事が詰まっていたからそっちを優先しただけ」


 お互いに引けないところがあるのは同じなのだ。いくら蒼太が攻めても小雪は上手に回避してくる。

 しかし、そんな小雪の逃げ道を閉ざす方法は簡単に思いつくこと。


「そうですか。そこまで言うのなら体温計を持ってくるので測ってもらえます? もしそれで平熱でしたらこのようなことはすぐにやめますので」

「……」

 熱がないのなら素直に従えばいいだけ。それなのにも関わらず目を伏せる小雪は、頷きもせずに無言になる……。もう答えは出ているようなものだ。


「あの、前に俺は言ったと思うんですよ。『困った時はお互いさま』って」

「そうね……」

「それに小雪さんは言いましたよね。俺に対して『甘えさせてもらう』って。それがどうですか。実際、そうなってないですよね。俺にかけた言葉は嘘だったんですか?」

「…………」


 小雪はまた口を閉ざす。いや、返す言葉がないからこそ黙秘をするのだ。

 芯の強さというのか、ここまで攻めてもなお小雪は口を割ろうとはしない。

 やり方を変えなければジリ貧であり、かえって小雪の体力を削ることになる。


 ——切り札を使うのはこのタイミング以外になかった。


「生意気を言うんですけど、こんな時だけは年長だからとかそんなことを気にするのはやめにしましょうよ。無理をして風邪を長引かせて影響を受けるのは小雪さんだけじゃないんです。……あなたを慕ってる美麗、、はどうなりますか」

「……っ」

「小雪さんは美麗に負担をかけさせたいんですか?」

 心無いことを発しているのは蒼太が一番に理解している。それでも折れさせるには小雪が特に気にかけている美麗を引き合いに出すしかなかったのだ。


「……ごめんなさい。こほこほっ、わたしが間違っていたわ……」

 その切り札は予想以上の効果を発揮した。

 言い逃れをするわけでもなく、言い訳をするわけでもなく、頭を下げて謝罪をする小雪。


「わかっていただけたらいいんです。俺の方こそいろいろすみません」

 風邪を引いている小雪をもっと苦しめるためにこんな話をしているわけではない。

『美麗のためにも年長ということは気にせずに甘えてほしい』

 これをどうしても伝えたかった蒼太なのだ。こればかりは自己満足ではなく——小雪を楽にさせるために。


「それでも体調が良くなりましたら覚悟してください。管理人として小雪さんには説教をしないとですから」

「ふふ……人非人にんぴにんね、ソウタさんは。謝っているわたしに追い打ちをしてくるだなんて」

「正確に言うのなら、謝っていて熱も出ている、、、、、、、ですよね」

「……その通りね」


 これでようやく話が前に進む。熱があることを素直に認めた小雪だった。

 そして重い話はもう終わりである。

 蒼太は圧のある顔を元に戻して会話を続けた。


「ちなみに熱は測りましたか? 持ち合わせがなければ体温計を持ってきますよ」

「ええ、以前に買ったもので。21時頃に測って37.6度だったわ」

「……小雪さん。俺、本気で怒りますよ」

「い、言い間違えたわ。38.8度……よ」

「えっ!? そ、そんなにあるんですか!? って……さすがにその逆サバは酷すぎますって……」

「……本当、蒼太さんには敵わないわね。でも、どうして気づいたのかしら。一瞬で見破られるだなんて思わなかったわ」

「平熱の個人差はありますけど、小雪さんなら37度の発熱はもっと上手に隠せたと思いましたから。でもまさか39度近くあるなんて…………。と、すみません。体調が悪いのにこんなに長話をしてしまって」

「大丈夫よ。まだ余裕はあるもの」

「大丈夫な人間はそんなトロンとした目はしませんよ」

「こほっこほっ……。もう正論は言わないでちょうだい」


 小雪はベッドに両手をついてお尻を後ろにずらし、そのまま壁に背中をつけて体育座りをした。体を楽にさせようとした体勢だが……蒼太の視点では小雪の素足からくるぶし、膝から太ももの裏まで綺麗な脚が見えてしまっている。

 目のやり場に困りながらも、なんとか本題に移すことに成功する。


「あ、あのそれで本題はもうわかってると思うんですけど……今日は小雪さんの看病をさせてもらえませんか?」

「……嫌だと言っても聞かないでしょうに、疑問で言うのね?」

 風邪にやられているせいで、熱っぽい視線で、紅葉した顔で小雪は小首を傾げる。不謹慎だがそんな姿は目を奪われるほどに色っぽいのだ。


「い、一応は聞きますよ。一つ二つ甘えていただいたらですけど」

「ふふっ……それはもう強制じゃない」

「さっきは美麗を引き合いに出しましたけど、俺自身、それくらいに小雪さんのことが心配ですから」

「も、もう……そんなこと言われたら熱が上がっちゃうわよ……」

 タイミングよく視線が交わり合う。

 今の言葉は事実、先ほどよりも顔に赤みを増す小雪は素足を重ねて空色の髪で頰を隠していた。


「あ、あはは……それはすみません。それでは話を変えるんですけど、今の食欲はどうですか? 一応、食べやすいものを用意しまして……他にはアイスや栄養ドリンクも買ってきてます」

「こほっ、本当にありがとう……ソウタさん。お金はあとで返すわね」

「今はそんなこと気にしないでください。それで……どうですか?」

「おかゆ……食べたいわ。生姜のいい匂いがしていて」

「ほっ、食欲があるようで少しは安心しました」


 少しの食欲があることに胸を撫で下ろす。胃に食べ物を入れるだけでも気分は楽になるものだ。

 お盆からおかゆが入ったお皿とスプーンを手に取った蒼太はそのままベッドに座る小雪に近づく——その時、こんな声をかけられることになる。


「ソウタさん……」

「どうしました?」

「い、言いにくいことなのだけれど……そのおかゆ、わたしに食べさせてもらうことってできるかしら……」

「んっ!?」

「そ、そんなに驚かなくていいじゃない……。甘えるようにって伝えてきたのはソウタさんじゃない……」


 両指を重ね合わせ、前髪の間から上目遣いで視線を送ってくる小雪は耳まで赤くしているが、それでも撤回する様子はない。


 今の今まで一人で風邪と戦っていた小雪だが、その内心は『心細い……』『寂しい……』『助けて……』そんなヘルプを出し続けていたのだ。

 その心の声を上手く取られた小雪。救いの手を差し伸ばされたこの状況に甘えたい気持ちがあふれ出したのだ。


「だ、だから……食べさせてもらえるかしら……」

 ぎゅっとソウタの手の裾を握る小雪……。そこには普段から見えるお姉さん質の小雪はいない。

 今まで我慢していた甘えたが溢れたような、風邪と相交わったような……か弱い姿を見せていた。

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