第88話 小雪の看病①

 その後、蒼太が買い物から帰宅したのは1時間と半分以上が過ぎた21時。

 予め買う商品が決まっていたため20時過ぎには用を済ませられた蒼太だったが、ひより、美麗、琴葉の三人が夕食を食べ終わり自室に戻っただろうタイミングを見極めて帰宅をしていたのだ

 こんな回りくどいことをする理由はもちろんあり——それは小雪の気持ちを汲み取ったからこその行動だったのだ。


 利き手に大きな買い物袋を持つ蒼太は、誰もいない静かなキッチンに移動する。

 

 ドスンと袋を置き、中から取り出した物は、のど、発熱、鼻、全ての症状に効く風邪薬。飲む点滴と呼ばれる箱入りの栄養ドリンクにスポーツドリンク。

 その他、小雪の好物である桃、プリンにヨーグルトにアイス。レトルトのたまごおかゆが2袋。


 風邪薬はポケットに。次に冷蔵庫を開け、夕食の残りや調味料を使って壁を作り、その奥にドリンク類やデザート類を隠すように入れる。その後、冷凍庫を開ければ冷凍食品や冷凍うどんの下にバニラアイスを入れ、最後にレトルトのおかゆはふりかけや乾麺が入っている棚の奥に押し込む。


 さっきの時間に買ってきたものは全て見えない位置、、、、、、に置く蒼太。

 これは他の入居者に食べられないためではなく、風邪を引いている、、、、、、、、入居者がいると知られないための策。

 リビングで一人になれる時間を図ったのはコレをするためでもあった。


 小雪の言動を見れば全てわかる。

 入居者に心配をかけさせないよう体調不良を隠そうとしているのだと。熱が襲う体に鞭を打つくらいに強い意志があるのだろうと。


「ふぅ……」

 蒼太は小雪の気持ちを十二分に理解していたからこそ、買い物の詳細を教えることもせずに、他の入居者にバレないように行動したのだ。

 それでも蒼太が譲歩できるのはここまで。


「……小雪さんからしたら譲れない行動だったんだろうけど、俺にだって譲れないことはあるんだよな……」

『今日だけは一人にさせて』『今日だけはそっとしておいて』

 そんな小雪の心情は察しているが、体調が悪化していると看破した以上、管理人として見逃すわけには絶対にいかない。

 たとえウザがられても、空気が読めないと思われても、嫌いになられても。

 ——仕事として割り切る。これが重要なのだ。


 蒼太は買い物袋を三角に折り、ビニールの専用棚に入れてリビングを抜ける。

 そのまま二階への階段を上がり、小雪の部屋前で立ち止まる。


『コンコン』

「小雪さん、起きていますか?」

 軽いノックをして呼びかける。

「……」

「小雪さん、小雪さん」

「……こほっこほっ。な、なに……かしら」

 数秒の間が空いたが、咳と共に中から小さな返答が蒼太の耳に届いた。扉を挟んで顔を合わせていないからだろう、キツそうな声色を露わにしている小雪だった。


「いきなりすみません。22時から少しお話したいことがあるんですけど、時間を作っていただけますか?」

「……ご、ごめんなさい。こほっ……仕事中だから明日でもいいかしら」

『仕事中』と都合の良い言葉を出されるが、それが嘘であるのは明白。


「無理を言って本当に申し訳ないですけど、重要な話なので今日中でお願いします」

「…………」

 心を鬼にする蒼太に小雪からの返事がなくなる。熱のある頭でなんとか断りの言葉を考えているのだろう。

 その隙間を縫って蒼太は追加の言葉を出した。隣部屋にいるだろう他の入居者に聞こえるように少し大きな声で——、

「咳き込んでいるようなので、体調が悪いのなら考えますけど」

 悪印象に取られるのはもう覚悟していること。ズルい方法だが、小雪の気持ちを逆手に取る動きをしたのだ。


「ふ……ぅ。へ、平気よ……。わ、わかったわ。22時……ね」

「ありがとうございます。リビングか小雪さんの部屋、どちらで話す方が都合がいいですか? いきなりのことなので小雪さんに任せます」

「そ……それなら、わたしの部屋で……」

「わかりました。それでは22時にお邪魔しますので。では失礼します」

 小雪の姿は見えないが、扉の前で頭を下げた蒼太は真顔のまま階段を降りていく。


 再びキッチンに戻った蒼太は、頭を掻きながら罪悪感に染まった表情を作っていた。唇の色が変わるほどに強く噛み締めていた。

「はぁ……。俺があんなこと言ったから辛い思いをさせちゃってるだろうな……」

 22時に約束を結びつけた蒼太。小雪が選んだとはいえその部屋でだ。

 室内の掃除や、時間の調整でキツい体を無理やりにでも動かすのは予想するまでもないこと。

 それでも少しでも楽になってもらうために、看病をするためにはこの以外に見つからなかったのだ。


「はぁ……。嫌われるよりも辛いな。こんなことって……」

 自分がどう思われようが特に気にしない蒼太だが、相手にキツいことをさせるとなればワケが違う。

 それも体調が悪い時期に……なのだ。

『申し訳ない』と心に抱える負担は何よりも大きい。


「って、切り替え切り替え……。後悔してる場合じゃないんだから……」

 その15分後、22時に合わせるように蒼太は看病に合わせた準備を始める。


 耐熱容器にレトルトのたまごおかゆを移し、ラップをかけてレンジに。

 その間に鶏ガラスープの素を用意し、まな板でネギと生姜をカットしていく。

 レトルトのおかゆに少しのアレンジを加える蒼太なのだ。


『それなら最初からおかゆを作ればよくない?』と思うかもしれないが、レトルトを採用した理由は鍋を使うこともなく、短時間で作れるため。他の入居者にバレないように用意をするため。

 全て、小雪を想っての方法で作っている蒼太なのだ……。

 最後に時間いっぱいまで冷やした桃を一口大にカットすれば準備の完成である。


 そうして約束された22時になる。

 蒼太が両手に持つお盆には生姜入りのたまごがゆにカットされた桃。プリンにスポーツドリンクに風邪薬が乗せられてる。

 栄養ドリンクはこのご飯が食べられなかった時の最終手段。できることなら胃に食べ物を入れて欲しいと願う蒼太なのだ。


 用意した物をこぼさないように慎重な足取りで階段に向かう。

 視線を下に、一歩一歩の足を確認して無事に最後の一段を登り切る。そのまま顔を上げた途端、

「あっ……」

 予想外の人物を目に入れてしまう蒼太である……。


 22時のこの時間を待っていたかのように、二階で佇んでいた入居者がいたのだ。

 その人物は綺麗に上がった翡翠の猫目を持ち、艶のある黒髪に作った触角をピンクに染めた二色の髪、胸に大きな膨らみがある。

 蒼太のことを一番に嫌悪していた……美麗だった。


「……」

 そんな美麗は一言も口を動かすことなくポケットからスマホを取り出し、蒼太にとある画面を見せてくる。

 真っ黒の背景に、白の文字が浮かぶその画像は——

「っ!?」

『小雪さんをお願い』

 液晶の指書きには慣れていなかったのだろう、少し震えたようなぶきっちょな文字が記されていた。


 美麗は21時過ぎにした二人のやり取りを、小雪の咳を隣部屋で聞いていたのだ……。そして、蒼太と同じように小雪の心情を汲み取っていたのだ。

 美麗が一言も声を出さないのはそのため。他の入居者にはバレていない。体調不良を隠し通せたと小雪に思わせるため。


 小雪と深い関係がある美麗だからこそ、今、自分ができる最善のことを考えたのだろう……。


『任せて』と伝えるように蒼太が頷けば、画面をまた右にスクロールする美麗。

「っ!!」

 そこには蒼太の行動を予期していたように『ホントありがとね』の文字が書かれていた。


「……」

 驚きの顔を浮かべたまま固まった蒼太にまた画面がスクロールする美麗。次の文字も蒼太のリアクションを予期していた文字……。


『早くいってあげて』

 それが最後のメッセージだったのだろう。

 美麗はスマホの電源を落とすと蒼太に手を振り、微笑を見せて部屋に戻っていった


「あはは……」

 この一連の流れに未だ動揺する蒼太だったが、少しずつ状況を理解する。

 一片、全てを投げ出した人任せのような美麗の行動だが、それは違う。


(俺のことをそんなに信頼してくれてるんだな……)

 それは言葉にならないほどに嬉しいこと。しっかり看病を果たそうと再度の決意をする蒼太だった。

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