第87話 小雪の我慢と蒼太の不満
海に太陽が沈みかけ——薄暗い雲が広がる時刻、19時。
小雪のパートが終わるこの時間にファミレスの駐車場でバイクに跨りながら待機していた蒼太。
駐車場にはバイクよりも車が多いからか自然と注目が集まってしまう。そんな周りからの視線に恥ずかしさを覚える蒼太はスマホを弄って時間を潰す。
そこから15分が過ぎ、退勤処理が終わったのだろうマスク姿の小雪が出入り口からこちらに向かってくる。
気配を感じた蒼太が頭を上げればすぐに小雪と目が合った。
「あっ、お疲れさまです小雪さん」
「こほっこほっ……。待たせてしまってごめんなさい、ソウタさん。少し店長さんとお話をしていて」
「いえ、今着いたばかりなので気にしないでください」
「ふふ……ソウタさんのことだから19時には待っていたでしょうに。気を遣ってくれてありがとう。今日も寮までお願いするわね」
「あはは……と、とりあえず運転は任せてください。安全第一でいきますので」
苦笑いを浮かべながら蒼太は予備のヘルメットを小雪に手渡す。お互いの距離が縮まったその時、一つの違和感を覚えた。
「小雪さん……顔が少し赤くないですか?」
「こほっ、えっ、ああ……それは今日が忙しかったからだと思うわ。それにマスクをつけながらだったから少し肌が荒れているのかもしれないわね」
「そ、そうですか? 朝よりも咳き込んでいるので風邪が悪化しているんじゃ……」
「ふふ、悪化しているのならこんなにも普段通りの姿を見せられないわよ」
「た、確かにそうですね。すみません、心配のしすぎは
「その気持ちは嬉しいから大丈夫よ。ありがとうソウタさん」
「そう言っていただけると助かります」
小雪はパート中から決めていた。周りを心配させないように体調を偽る……我慢しようと。それがこの平常を
蒼太にバレないほどの演技をしている小雪だが、退勤時に店長に体調不良の報告をしていた。
もし、次の出勤ができなかった時には取り返しのつかない迷惑を店にかけることになる。
最悪の事態は避け、できる限り周りに心配をかけないよう動くところはなんとも小雪らしいことだが、それが最善の行動とはなんとも言い難いだろう。
「それでは寮に帰りましょうか、小雪さん」
「ええ、そうね」
蒼太のバイクには数回乗っている小雪だ。小雪は不自由ない動きでヘルメットを頭に被った。安全第一と理解しているのだろう、髪型崩れを気にすることもなくしっかりと奥まで頭を入れる。
女性にとって抵抗があることだろうが、ハンドルを握る蒼太にとってそれは好印象に映ること。
「じゃあバイクに乗らせてもらうわね」
「はい、いつでもどうぞ」
蒼太が構えやすいように一声をかけた小雪は長い脚を上げてタンデムシートに跨る。二人乗りの完成である。
「エンジンかけますけど準備は大丈夫ですか?」
「大丈夫よ」
「わかりました。では出発しますね」
何十回、何百回としてきた動作だ。慣れた手つきでエンジンをかけた蒼太はゆっくりとバイクを発進させ、道路に出ようとする。
「こほっこほっ……こほっ」
「……」
その途端、ヘルメット越しから小雪が咳き込む声を聞き眉をピクつかせる蒼太。
順調にバイクを走らせてたこの時、また一つの違和感があった。
体を安定させるためにいつも蒼太に抱きついている小雪だが、その力が普段より弱いものだったことに。
『もう少し強くして大丈夫ですよ?』と、一応の声をかけた蒼太だったが、力が強まった……いや、普段の抱きつきの力になったのは一時的。すぐにまた弱める小雪だった。
態度では上手く取り繕えていた小雪だが、こうしたところでは風邪に抗うことはできていなかったのだ。
****
「あー! 蒼太さん、小雪さんおかえりですっ!」
「おかえりー。もうご飯食べてるから」
「おかえりなさい。二人ともお疲れさまです」
寮に戻れば蒼太が作り置きしていた夕食を囲っているひよりと美麗と琴葉の三人。
突然と小雪を送迎するようになった訳について、『買い出しを手伝ってもらっているからそのお礼』と言うことで納得させている。
ストーカーの件は、『みんなに心配をさせないよう秘密にしてほしい』と小雪からの願いをしっかりと守っている蒼太なのだ。
「ではでは蒼太さんも小雪さんも一緒にご飯食べましょうっ! このお肉野菜炒め凄く美味しいんですっ!」
「そーた、ひよりがその肉を優先的に食べてるから後で説教してよね。『うまうま』とか嬉しそーに生意気言ってるくらいだし」
「なっ!? それチクっちゃだめだよっ!」
「ちゃんと野菜も食べてたらチクることもなかったんだけどー。悪いことしてるのはどっち?」
「うぅぅ……それはごめんなさいぃ……」
分配食べをしていなかったひよりに勝ち目はない。
すぐに軍配が上がった美麗は座っていた椅子から立ち上がり、蒼太と小雪用の椅子を引いて食卓の輪に加えようとしてくれる。
『一緒に食べよう』とのひよりの提案には賛成のようだった。
「うーん……お肉も美味しいから仕方ないよね、ひよりちゃん。これから野菜も食べるもんね?」
「あっ、は、はいっ! これから食べるんですっ。と言うことで蒼太さんも小雪さんも食べましょう!!」
中間ポジションに立った琴葉はひよりをフォローし、最後に上手く締めたひよりである。性格がバラバラの三人ではあるが、絶妙なバランスを取っている三人。そんな楽しげな雰囲気に蒼太が笑みを浮かべようとしたその瞬間である。場を切るような声が入ったのだ。
「……本当にごめんなさい、ちょっとわたし仕事が残ってるからお部屋に戻るわね」
「えっ」
「あ……」
「ユキちゃん……」
上から順にひより、美麗、琴葉。
この三人の声を聞くことなくリビングを出た小雪は階段を上がっていった。いつの間にか、先ほどまでつけていたマスクは取っており、一瞬だけふらっとした足取りを見せたことを蒼太は鋭い目つきで捉えていた。
「……ごめんみんな。俺、ちょっと買い忘れたものがあるから買いにいってくる」
「えっ、今からですか!?」
「明日でもいいでしょ? もう外も暗いから危ないし」
「そうですね、今日はもうゆっくりしましょう?」
「いや、今からじゃないと駄目っていうか、気が済まないっていうか……。そんなわけでちょっと遅くなるかもだから後のことは任せるね」
寮に戻って5分後のこと。席を用意してもらったことに申し訳なさを感じながらもバイクのキーを手に取った蒼太は小雪と同じようにリビングを抜け外にいった。
リビングに残るのは変わらずの三人である。
「な、なんだか蒼太さんの機嫌……少し悪くなかったです?」
首を傾げながら口を開くのはひよりである。
「そんなことないでしょ。まあなんか顔が険しかった気はするけど」
「蒼太さんは責任感が強い方だから、買い忘れてしまった自分に怒ったのかも……?」
「ええっ!? そんなことがあるんですか!?」
「あー、そーたってちょっと変なとこあるし、琴葉さんの言う通りかも。それより小雪さん大丈夫かな。ご飯も食べないでまた仕事するだなんてさ……」
この三人は見てはいないのだ。風邪を引いたと受け取れるマスク姿の小雪を……。そして、態度におかしなところを出さなかった小雪なのだ。
風邪を引いているだなんて想像もしないだろう——が、一人だけ状況を察し、小雪の思考を読んだ者がいる。
気持ちはわかるが小雪の行動は褒められるものではない。そう強く思った蒼太だからこそ、
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