第86話 小雪、風邪の悪化
「ご注文を繰り返します。カルボナーラがお一つ、シーザーサラダのミニがお一つ。コーヒーをお一つ。以上でよろしいでしょうか」
昼の13時。すでに2時間パートとしてファミレスのホールに入っている小雪は慣れた様子で常連からの注文を取っていた。
「ええ、間違いないわ。体がキツいでしょうにありがとうね小雪ちゃん」
「今のところは体調悪くありませんので大丈夫ですよ。こちらこそいつもご贔屓にありがとうございます」
やり取りする相手は40〜50代の女性。いつもこの時間にやってくる親切な常連で、小雪が初めてホールに立った時に初めて接客をした思い出深い客でもあった。
今朝から風邪を引いている小雪はマナーを守りマスク姿で仕事を行なっている。入店にその姿を見た常連客は小雪の体調を心配していたのだ。
「……あっ、申し訳ございません。それでコーヒーにはシュガーとミルクはなしでよろしいですよね?」
「ええ、それでお願いするわ」
「かしこまりました」
寮内では年長ともあり上の立場にいる小雪だが、パート時には当然客よりも下の立場になる。
『〜かしら』『〜でしょう?』『〜よね』などの普段の口調を使わない分、小雪を知る者はこの一歩引いた接客口調に少し違和感を覚えるだろう。
そんな口頭で質問した後、注文を打ち込むハンディー端末の確認ボタンを押した小雪に対し——常連はふと思ったことを声に出していた。
「それにしても、小雪ちゃんは注文の取り方が上手になったわね〜。以前と比べてハキハキと喋れるようにもなって」
「っ……、そ、そうでしょうか」
「そうよ〜。始めはおどおどしていたからとっても心配していたの。でももう立派な独り立ちをしているようね」
「ありがとうございます……」
「水分補給をしっかりしてお仕事頑張ってね」
「労いの言葉もありがとうございます。それでは失礼いたします。少々お待ちください」
注文確認が終わり一礼をして席を離れた小雪は、別の客の配膳をするためにキッチン内に入る。目元だけを見れば表情は何一つとして変わってはいないが、足取りは軽くマスクで隠れた口元はうっすらと上がっていた……。
容姿や接客態度などをよく褒められる小雪。それはもちろん嬉しいことだが、先ほど常連に褒められた内容は胸が弾むほどに嬉しいことだったのだ。
——皆、疑問に思っていただろう。
今現在、ハンドメイドやブログの収入で男一人を養えるほどの貯金と稼ぎがある小雪がなぜパートとして働いているのかを。どのような目的で働き先をファミレスに選んだのかを。
それは先ほどの言葉、『小雪ちゃんは注文の取り方が上手になったわね〜。以前と比べてハキハキと喋れるようにもなって』に全てが込められている。
なかなかの贅沢ではあるが、小雪は生活をするために働いているのではない。
初対面の相手とでも堂々と話せるように、さまざまな場で役に立つコミュニケーション力をつける。そんなスキルを身につけるためにファミレスという職場を選んでいたのだ。
ファミレスは子どもから年配まで来客する。どのような相手にでも対応するには十分の場。ホールになれば接客中心の仕事をすることができる。
小雪は25の歳を過ぎている。それでもまだまだ若い小雪だが、30歳までには結婚をして子どもを授かりたいという光に溢れた将来設計図を立てていたのだ。
そのための出会いから異性と親しくなるために必要なスキルがコミュニケーション力であり、その能力はハンドメイドの打ち合わせや取引にも応用ができる。
身につけておいて損はなく、むしろ小雪にとっては身につけるべきスキルだと考えていたのだ。
『それならもっと早く行動すればよかったんじゃない?』
なんて声が出るかもしれないが、ハンドメイドという個人営業で
趣味を商業に。そんな成功を果たしたことで金銭にも心にも余裕が生まれた小雪はそこから自身の欠点を見直し、『人見知り』や『口下手』を直そうとの結論に至ったのだ。
「よかったですね小雪さん! 褒められているところ見てましたよ」
キッチンで作られた料理を配膳しようと手を伸ばした矢先、隣から声をかけてくるのは同じくホールを担当する同期の明るい女性スタッフである。
「こ、これは恥ずかしいところを見られてしまったね……」
「恥ずかしいことはなにもありませんよ! この調子で頑張っていきましょうっ!」
「ええ、そうね」
客を待たせないためにお互いの会話は手短である。
そのまま料理が乗ったお盆を持ってホールに戻った小雪は10分前に注文のあったテーブルに移動する。
「お待たせしました。唐揚げ定食とご飯は大盛りになります」
「おっ、待ってました」
小雪が配膳した先は、蒼太と同じ年頃の男性客。
常連とまではいかないが、来店すれば必ず小雪に絡んでくる客。美人税というのか、小雪にはこのように接してくる男性客が多いのが現状だった。
「ご注文は以上でよろしかったでしょうか」
「うん、大丈夫。大丈夫なんだけど……小雪さんに一つだけ質問いい?」
「はい。どのような要件でしょうか」
定食を置いて最終確認をした矢先のこと、どこかおずおずとしながら言葉を投げかける男性客。
「えっとー、ここの店員さんから教えてもらったんだけど、小雪ちゃんって最近バイクでこの店まで送ってもらってるの?」
「おっしゃる通りですけど……なにか問題ございますか?」
「そ、そうじゃなくってね? そのバイクの運転手が男っぽい服装だったみたいで……それが本当なのかなってね?」
「はい、男性ですよ」
「そ、そそそれって……彼氏だったり?」
「彼です。同棲してますので甘させていただいてます」
「ッッ!? ど、同棲!?」
淡々と答える小雪は男性客の雰囲気から察していたことがある。好意を寄せてくれているだけに、“彼”だけのワードでは『それは人代名詞の?』と聞き返されるだろうと。
だからこそもう一手を出したのだ。同じ寮に住んでいる=同棲という表現には少し不適切だが、嘘ではないそんな事実を。
「 ……そ、そっか。ど、同棲……同棲ねぇ……」
「意外でしょうか? もうわたしもこの歳ですから不思議ではないと思いますよ」
「あぁ……べ、別に意外じゃないよ、う、うん」
「質問は以上になりますか?」
「もうないよ。う、うん……。わざわざ答えてくれてありがと……」
「いえ、
回答としては間違っていないが、これも相手を諦めさせるためには必要なこと。
仕事でなければ答えることのない質問だった——と。
そう、小雪はすでに定めていたのだ。蒼太とお付き合いができたらと……。
寮の社会人である小雪と琴葉。この二人の違いはこのような好意をスパッと断るか、やんわりと断るかだろう。
客とは一定の距離を保てるパートにつき、独占欲の強い小雪からすればそれは当たり前の行動。また社内で敵を作りたくない若い琴葉からしても同様である。
お互いの環境をしっかり把握した上での対応を取っているのだ。
さすがは『住んでる女子のレベルがとにかく高すぎる』というところだ。
「では、伝票はこちらに置かせていただきますのでごゆっくりお過ごしください」
それを最後に小雪は丁寧な一礼をしてテーブルから離れた。
今日一日で小雪に絡んできた男性客は11名。風邪気味の小雪にはそれが体に応えていた。
「こほっこほっ……。んんっ、体が少しキツくなってきたかしら……」
感覚的にそう思ってもスタッフに迷惑はかけられいとパートが終わるまで我慢し続けていた小雪。
症状が悪化するのは明白である……。
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