第74話 寝静まりの夜に甘えるまで②
明かりのないリビングに伝う音は複数あった。
「すう……すうー」
一定のリズムで吐かれている蒼太の寝息。そして——、
「んっ、んん……」
「んしょ……っ、んーっ……」
美麗は力を使い、体を動かしていた。右腕をソファーに擦らせながら、締まっている蒼太の左脇に手を入れこもうとしているのだ。
この攻防は4分、240秒も続いており——軍配が上がったのは意識を持ちながら攻め続けていた美麗だった。
「んんーっ」
スポッと右手首を入れこんだのだ。硬い城門を突破すれば中の守備は弱い。波のように手を動かせばじわじわと肘まで入っていく。
「あ、温ったかぁ……」
意識のない蒼太を好き放題にして目的箇所まで到達。次に自由の利く左手で薄布団をこちらまで引っ張る。シェアできる長さになればこれも目的達成である。
美麗は自らの体に布団をかけた後、左腕も同様に蒼太の逆脇に入れていく。
こちらは蒼太の体重がかかっていない方。ガードが緩いためにするすると入っていった。
そうして、美麗の両腕が蒼太の両脇に入る。もちろんこれは暇つぶしをしているわけではない。ちゃんとした目的がある。二人っきりの状況の今、どうしても甘えたかったのだ。
「んーっ……」
美麗はその体勢のまま肘を90度曲げると、蒼太の背中に手を回してむぎゅっと抱きつく。そして、石のように固まったのだ。
「ぐ……」
「……」
「ん……」
「……」
コアラのようになり続ける美麗に体を締めつけられている蒼太は苦しそうな声を上げている。それでも慣れは発生するもの。規則正しい寝息はすぐに戻った。
「やっば……。すご……。すごい落ち着く……」
美麗は自身で気づいていないだろう。苦手だった異性に触れられるようになっていることを……。それも、これほどまでに大胆に……。
「やばっ……やばい……」
この『やばい』は今の状況がバレた時を想像したからではない。安心の度合いが、心では抑えられなくなったから。だから声として漏れてしまう。
気持ちがいっぱいになれば、今、心に抱いているものしか口に出ないものである。
「これ、やばい……って……」
背中に回した手で蒼太の服を摘み、もっともっと体温を感じ取っていく。
美麗の体は布団に包まれている。唯一外に出ているのは半ズボンから伸びる素足だけ。
欲しかった温かさはそうそう逃げることはない。
何分と同じ体勢でい続けただろうか。
「ん〜っん」
この寮では小雪しか聞いたことのない美麗の甘え声は、布団の中にこもっていた。
本当は蒼太に抱っこをしてほしかった。しかし、腰を痛めているとなれば無理をさせるわけにはいかない。我慢を選んだ代わりに、こうして抱きついている美麗なのだ——が、大きな腕で、体でされる抱っここそ一番安心できるものに違いない。
我慢し続ければし続けるだけ、抱っこに近い状況にあるだけ、無理やり抑えつけている欲求は緩んでいく。
「抱っこ……抱っこ……」
美麗は蒼太が抱いているうさぎのぬいぐるみの、お腹に顔を当て、呟きながら再び蒼太をぎゅっと抱きしめる。そして、両足まで蒼太の右脚に絡めこんだ後、両足首を動かしてその脚をホールドしたのだ。
まるで蒼太の脚は、蛇に体を締めつけられている生き物のよう……。逃げ場は残されていないように……。
「はぅ……」
満足感のある吐息を漏らす美麗だが、それは当たり前のこと。
美麗は寝る際、うさぎのぬいぐるみを抱き枕のようにして寝ているのだ。
その結果、抱き癖が自然とついている美麗であり、何かと触れ合っていなければ寝ることができない体になっていた。触れ合えば触れ合うだけ、安らぎを得る体になっていた。
「……ん」
しかし、その平穏は長くは続かない。
布団の中でうさぎのぬいぐるみと目があった途端、美麗の瞳に敵意が宿る。
「こいつ……ずるい……」
『ぼふん』
美麗は食らわせた。ずっと大事に扱ってきたうさぎのお腹を潰す……頭突きを。
頭がおかしくなったわけではない。これは嫉妬心が働いたからこそ。
美麗は抱っこの代わりに、抱きつきで我慢しているのだ。
しかし、ぬいぐるみはどうだろう。
蒼太に両腕で抱きしめられている。それはもう抱っこされているも同然……。視線が交差した時、この違いに気づいたのだ。
「ねえ、起きて」
「すう……」
「起きて」
「すうー」
「起きてよ……」
優劣に気づいたなら状況は変えたくなるものである。蒼太を起こし、ぬいぐるみを退かそうと声を上げるが熟睡のせいで目覚めることはない。
腰を痛めているなら横になった状態でもいい。ぬいぐるみのようにしてほしい美麗なのだ。
「抱っこぉ……」
語尾に向かうにつれて萎んでいく。起こすことを諦めた声だった。
「ふんっ、じゃあもういい……」
拗ねた美麗だがもう頭突きはしない。このままでも不満
ぬいぐるみに優しく頭をつけ、蒼太をまた抱きしめる。
そうして、寝る体勢になって言う。
「お、お……おやすみ……、バカ……」
意識のない蒼太に対してではあるが、やっとできた挨拶を……。
力を緩めることなく、蒼太のくっつき虫になった美麗は目を閉じてすぐに寝息を立て始めるのだった……。
こんな穏和な空間であるが、それをぶち壊すほどのやらかしをすでに起こしていた美麗だった。
1階に降りてくる前のこと。自室の扉を空けたまま、このリビングにやってきていたのだから……。
****
時刻は早朝の5時30分。
「ふぁぁ……」
入居者の自室。
あくびと共に体を起き上がらせるのは小雪は、喉の渇きによって目を覚ましていた。
水分補給をする場所は一箇所、リビングのみ。
ぼんやりとする頭で、スリッパを履く小雪は麦茶を飲むために部屋を出る。
そして、二階の廊下に出て気づくのだ。
「……えっ?」
この時間に、美麗の部屋のドアが開いていることに。
小雪は保護者役。普段とは違う状況を目の当たりにすれば確認を取らないはずがない。
開いた扉に足を進め、部屋の中を覗きこめば——すぐに状況を理解することになる。
「えっ!?」
寝ぼけていた頭は一瞬で切り替わる。
いつもいるはずのベッドに美麗がいない。もぬけの殻なのだから……。
「ど、どこ……。美麗……?」
普段の落ち着きはなくなる。焦燥する小雪は走って2階のトイレを確認。バルコニーを確認。
もちろんそこにいるはずもなく、心当たりが全て潰えた小雪は涙目になりながら他を頼ったのだ。
「ひより! 琴葉! 美麗はいるかしら!? 美麗がいないのっ!」
そう、寝ている二人を起こすことで……。
リビングで、蒼太が美麗が一緒に寝ていることなどを知る由もなく……。
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