第75話 人の気が知れない

「み、みみみ美麗ちゃんがいないんですかっ!? ひよりのところにも来てないですよっ!」

「私のところにも来てないです……」

「じゃあ美麗はどこに……」

「え、えと、散歩にいってるとかはないですんか!? メールの返信とか!」」

「この時間から散歩してるなんてことは一度も聞いたことがないわ……。それに、連絡もついていない状態なの」

「ドアを開けっ放しというのが気になりますよね……」


 早朝、5時35分。

 小雪が声をかけたことにより、ひよりと琴葉は起きていた。3人が交わす会話は行方不明になっている美麗に関すること。


「と、とりあえず蒼太さんを起こしにいきませんか? 何か知っているかもですし、探しにいくとなった場合には数を増やした方が効率もいいですから」

「そうね……。琴葉の言う通りだわ」

 小雪を先頭に階段を降りていく。寝起きで機嫌が悪い入居者は誰もいない。皆、心配の表情を浮かべている。


 ——コンコンコンコン。

 小雪は焦りは隠せない。ノック音を早くして管理人室の扉に向かって声をかける。

「ソウタさん……」

「蒼太さーんっ! 蒼太さんっ! 起きてくださーい!」

 小雪の後に続き、大きな声が後押しするひよりだが中から返事がくることはない。

 管理人室のドアノブを下げても、扉が開くことはない。この室内には重要な書類等が全て管理されている場所でもある。問題の発生がないように戸締りはしっかりと行われているのだ。


「どうしましょう……」

 行き詰まりに重い声を小雪が上げた矢先だった。

「——えっ!?」

 小雪とひよりの真横から驚きの声が届く。

 美麗がいるかもしれない。と、リビングを確認した琴葉が目を見開いていた。


「あの……二人とも。蒼太さんはこっちで寝てます……ね。ほら、ソファーの上で……」

「えええっ!? リビングでですか!?」

「ど、どうしてそんな……」

 蒼太の寝床は管理人室と併設されている。リビングで寝る意味もないために三者三様の反応になるのは当たり前。


「とりあえず蒼太さんを起こしますね。リビングにも美麗さんもいませんから……」

 と、寝顔をさらす蒼太に近づいた琴葉は、肩を揺らしながら耳元で声をかける。

 この時、体にかかっている布団がもっこりしていることには誰も気づいていなかった。


「蒼太さん、蒼太さん。起きてください」

「んん〜……」

 おぼろげな意識に届く声。鬱陶しく思うように顔をしかめる蒼太だったが——

「——美麗さんがいないんですっ!」

「……ぅえ?」

 ボディーブローを打たれたような声を出して重い瞼を開いた蒼太だ。

『美麗さんがいない』この言葉は意識をすぐに戻させる。あくびを我慢しながら確認を取る。


「み、美麗さんが……いないって?」

「そっ、そうなんです」

「……ん? って、ちょ本当!? トイレにもいなかった!?」

 少しの間が空けて状況を理解するが、熟睡後にしてはかなりか早い方だろう。

 琴葉の背後にひよりと小雪もいる。冗談を言われているわけでもなく、ただ事でないのは一目瞭然。


 もう横になっている暇などない。寝ぼけている暇などない。

 勢いよく上半身を起こし、床に足をつけようとした瞬間である。

 ——蒼太は違和感を覚えたように一瞬で動きを止めた。

 起き上がる力と止まる力の衝突。勢いに耐えられなかった布団は、蒼太の肩からペロンと落ちる。


 その瞬間である。

「……」

「……」

「……」

 三人の顔が、その視線が蒼太から同じタイミングで外れ……吸いつかれるようにやや下目を向き、ソレを視界に入れた。

 途端に無言になり、目を点にさせる3人は打ち合わせをしていたかのような反応を見せたのだ。


「え?」

 何かに取り憑かれているかのような表情をされれば疑問も浮かぶだろう。首を傾げながら様子を伺う蒼太だが、気づくことがある。

 3人が見ているのは、蒼太の胸元から腰あたりだということに……。

 誘導されるように頭を下に向ければ——いるのだ。

 柔らかい寝息を上げたまま、蒼太にくっついている人物が……。


 視界には黒とピンクの髪色の持った頭が映っている。そしてまた、ひより、琴葉、小雪も同じものを見ているわけである。

 入居者の中で、この色を持つ人物はただ1人。3人が探していた美麗なのだ……。


「……」

 口を閉じたまま蒼太が顔を上げれば、3人も顔を上げてくる。

 静寂の中に混じり合う視線。


「……」

 この状況に心当たりは何もない。何もないが、ヤバイとしか言えないのは間違えようもないこと。

 蒼太は一度だけ首をひねり、あごに手を当て、視線を上下左右に動かしながら荒い息になる。


 そのまま3人を見れば——あの、呆けた顔は変わっていた。

 ムムムと怒ったように頰を膨らましているひよりははちみつ色の瞳を燃やしている。

 無表情でこちらを見つめている琴葉はまばたきすらしていない。

 眉間にしわを寄せる小雪は説明を促す表情を見せていた。

 視線は冷たく、それぞれの圧が合体して蒼太に襲いかかっていた。


「……」

 もう思考停止である。とりあえず布団を美麗の頭にかぶせる蒼太。これこそ危機的状況に陥った時に見せる自然反応、『とりあえず隠してみる』である。


 全員が声を発さない。空気は重苦しく、殺伐としている。


「え、えっと……その……違うんだ!」

 どんなに信頼を得ている人物でも、こればかりは説得力の『せ』の文字も出ない。今現在、確固たる証拠を目撃されて弁明しているのだから。


 だが、忘れてはいけない。蒼太目線からすれば、『勝手に抱きつかれていた』になるのだから。


「とりあえず違うんだ」

「何が違うんですかっ! 何にも違くないじゃないですか!」

「蒼太さん……正直に話してください」

「ええ、そうじゃなければ話が進まないわ」

 何か思うことがあるのだろう、ぷりぷりと怒っているひよりに、琴葉と小雪は説明を求めてくる。


 正直、こんなことになってしまったのは時間の問題であり、前もって対処できていたことでもある。

 蒼太は小雪から頼まれていたのだ。『梅雨時期は普段以上に気を遣ってほしい』と。

 その延長線で美麗を説得した蒼太は、うなされないように一緒に寝るようにもなった。


 管理人としての蒼太がしなければならなかったのは、昨日はこうだった。今日はこうだったと小雪に報告すること。

 どうしてこうなっているのか、その理由を知っていれば小雪が敵に回ることはなく、ひよりと琴葉を上手に言い包めていただろう。


 もちろん、小雪に報告しなければ……と考えていた蒼太ではある。

 それでも思考の通りに動かなかったのは、『こんなことをしているのは誰にもバレたくない』との美麗の気持ちを優先したからこそ。

 

 それでも、後悔する暇はない。

 後出しにはなってしまうが、この危機を乗り越えるためには全てを白状して納得してもらう。これしかない。


「じ、実は——」

 そうして順を追って説明しようと蒼太が口を開いた最中、突然と背面の服を握られる。服が伸びるほど強く……である。


 その行動ができる相手は、抱きついてきている美麗しかいない。


『えっ?』とした表情で布団を小さくめくり上げれば、上目遣いをしている美麗と視線が交差する。

 すでに状況には気づいているのだろう、子どものように首元まで赤面している美麗はふるふると首を小さく横に振っていた。

「だめ、だめ……」

 肉つきの薄いピンク色の唇を小さく動かし、弱々しい声で隠蔽を求めたのだ。


 これをされたのなら、白状するという選択は消える。納得させる道もなくなる。


「——えっと、なんか気がついたらこうなってたんだ……」

「そんなわけないじゃないですかっ!」

「いや、それがそうなんだ」

 強い不信感、不快感を抱かれることを覚悟で、後に美麗からフォローが入ることを信じて誤魔化すことを決心した蒼太である。


 寿命を縮める思いで弁明をし続けた20分間、布団の中にいる美麗は酷かった、、、、

 どさくさに紛れて頰をすりすりしたり、ぎゅっと抱きしめてきたり、素足で触れあわせてきたり……と、絶体絶命の状況を楽しみながらずっと甘えてきたのだ。


 蒼太にとって気が知れないことばかりしていた美麗であった……。

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