第118話 別れと次へ
「——うん、わかった。それじゃあ自分は先に寮から出るから。……いや、お礼なんていいって静子おばあちゃん。本当に楽しい職場だったから。うん、はーい。それじゃあまたね」
ここは寮の管理人室。
椅子に座っている蒼太は耳元に当てたスマホを下げ、電源を落としていた。
通話時間は10分ほどで静子と母親の理恵が一緒になって寮に来ること、その時間帯。他には二人が寮に来る前に蒼太は寮を出てもいいこと、自分の時間に使っていいなどという連絡もあった。
これまでの荷物は昨日のうちに集荷にきてもらっていて、今日の昼頃に実家に届けられることになっている。
その時間には父親も母親も家にはいないため蒼太が受け取ることになる。
結果、この寮を去るのは静子や理恵がこちらに来るよりも早い時間帯だ。
「いよいよ、か……。昨日のお別れ会も本当楽しかったなぁ……」
荷物のなくなった管理人室を見渡しながら最後の整理を終わらせる蒼太はクスッと口角をあげる。
その言葉通り、昨日は入居者の提案のもと蒼太のお別れ会も開催された。
管理人である蒼太は1日フリーであり、入居者が料理を作って、楽しく食事と雑談をして、ケーキもあって。
皆悲しいはずなのにその空気を見せることもなく、ちゃんと送り届けようなんて気持ちが伝わるほど……そんな忘れられない充実した1日だった。
蒼太はライダーズジャケットにデニムズボンを合わせ、いつでも外に出られる服装になっている。
時間は11時10分。荷物の受け取りのためにそろそろこの寮を出なければいけない時間……。
そして——『管理人室から早く出てこい』というのはガラス越しの廊下にいる入居者が訴えてもいた。
ひより、美麗、琴葉、小雪、咲。この5人が並んで管理人室に強い視線を送っているのだ。
もう数十分後に別れが迫っていることは入居者もわかっていること。
これまでにあった寮でのこと、その思い出が自然の脳に流れる蒼太。瞳が潤んでしまうのは仕方がないことだろう……。
それでも涙は見せない。弱くなった姿は最後まで見せたくない。これが男の本質。
蒼太は深い息を吐いた後、小荷物の入ったツーリングバイクを持って管理人室を出る。
ガラスも何もないところで、今までお世話になった入居者に向き合うのだ。
「いやぁ、本当早いね……。もうこんな日がくるなんてさ」
「ふふっ、それは昨日のパーティでも聞いたわよソウタさん」
「おつかれさま。咲もそう思う」
「本当にお疲れさまでした」
「そーたのバカ」
「ちょ、美麗ちゃん!?」
入居者全員、蒼太の言葉に返事を返している。
少し変な言葉もあるが、それは別れたくない気持ちが前に出ているから……。その表情を見れば全てわかるだろう。
「なんだかまだまだ話し足りないわね。ソウタさんとは時間いっぱいお話ししたはずなのに」
「そう言ってもらえると嬉しいですよ。たくさんのサポートをありがとうございました」
「それはわたしのセリフよ」
小雪と……いや、入居者と話したのは昨日のパーティだけではない。今朝もずっとである。
そして、小雪がこの寮にいなければ美麗と打ち解けることはできなかったのかもしれない。この感謝は伝えても伝えても伝えきれないだろう。
「ううーん。夕方まで一緒にいられるとおもっていたんですけどねー蒼太さん?」
「そ、それは本当にごめん。荷物の受け取りしなきゃでね」
「蒼太さんは私たちよりも荷物を優先しちゃうんですねー?」
「いやいや、迷惑にならないようにだって!」
攻撃するようなジト目。その中に優しい視線を向けてくる琴葉に苦笑いをしながらこう返す蒼太である。
「そーた……そーた……」
「美麗ぇ〜ちゃ〜ん」
「ッ、煽んなバカ!」
「あははっ。ごめんごめん」
寂し顔を続ける美麗にはこの対応である。
蒼太まで悲しい空気を作れば周りの空気もそのようになってしまう。ここは最後まで明るく振る舞うのである。
「蒼太さん! お務めご苦労さまでした!」
「最後まで相変わらず元気だなぁひよりは」
「元気なわけないですよっ……。今、泣きたいくらいです……」
「えっ、ちょ!? ひより泣かないでよ? お願いだから!」
いつも明るく楽しい雰囲気を作ってくれるひよりが泣けばもう取り返しのつかない事態に陥るだろう……。
ここはどうしかして耐えてもらわなければならないところ。
「そうたさん今までお疲れさま」
と、ここで空気を読んだのか咲が落ち着きのある声で間に入ってくれる。
「うん、ありがとう。咲さんとはもうちょっと関われる日があるとよかったんだけどね」
「また会いにくればいい。咲は歓迎する」
「あははっ、確かにそれもそっか」
と、これがなかなか叶わないのは咲も蒼太も知っているだろう……。
蒼太がこの寮で何人の入居者に好意を向けられているのか咲は知っているのだから。
気軽にこの寮に訪れられないのは予想をするまでもない。
「
「うん。もちろん」
濁した『ナニ』と『約束』この二つのワードがあれば咲がどんなことを言いたかったのか悟ることは容易。
『そうたさんは逃げないで。好意にちゃんと向き合ってほしい』
この言葉は蒼太にちゃんと伝わっている。
返事を待ってもらった分、蒼太には逃げ道なんて用意されていない。いや、その逃げ道は自らが潰している。
「よしっと……。それじゃ、俺はそろそろ行こうかな。あんまり長居しちゃうと帰れなくなるからさ」
「いっそのことこのまま帰らなくていいんじゃないかしら。みんなもこの気持ちがあるでしょうから」
「あははっ、その気持ちもやまやまですけど遠慮させてもらいます」
この瞬間、蒼太は踏ん切りをつける。
(そろそろここを去ろうと……)
長居をすると帰れなくなる。この言葉は事実。入居者の顔をこれ以上見るのはどこか辛いものがあった。
「じゃ……そろそろ」
これが別れセリフを残す前置き。
「みなさん、今まで本当にお世話になりました。美麗とひよりは受験勉強を、小雪さんと咲さんと琴葉はお仕事を頑張ってください。くれぐれもお体にはお気をつけて」
「ええ」
「はい」
「うん」
「ん……」
「はいっ!」
小雪、琴葉、咲、美麗、ひよりの順に返事。
これを聞くだけでも蒼太は安心だった。
「俺もみんなに負けないように頑張るよ。また機会があれば会いにくるからよろしくね。それじゃあバイバイ」
と、ここからスッと別れようとした蒼太だが、締まりの悪い最後になってしまう。
「って、外までついてこなくていいよ!? ほら、肌寒いから風邪引くから!?」
「最後くらい見送りさせなさい」
「年長さんのユキちゃんが言うんですから蒼太さんは従う以外にないですね」
「うん」
「見送れないなら風邪引いた方がマシだし……」
「美麗ちゃんの言うとおりです!」
「あ、あはは……これは参ったな……」
外に出て、そのバイク前で目頭を抑える蒼太は震えた声を見せてすぐにヘルメットを探す……。
こぼれ落ちそうな涙を見せないためにすぐに頭に被ったのだ。
——そこから蒼太がバイクで駐車場を出るまで、その姿が見えなくなるまでずっと見送った入居者なのだった……。
****
『ソウタさん、もうわたしの気持ちはわかっているでしょうから聞くけれど……どうかしら……。わたしとお付き合いをしてくれる?』
『蒼太さん、あの時の返事をいただいていいですか? あなたが好きです……』
『あたしそーたとまだ関わりたい。少し前にも言ったけど付き合ってよもう』
『しつこくてすみません蒼太さんっ! ぜ、ぜひひよりと付き合ってくださいっ!』
これはバイクで実家に戻った蒼太のスマホに送られた4通のメール……。
蒼太は何度も読み返し、何度も考え……時間をかけて一人一人に長文を返していく。
4通の中に1つだけ——返事の違う文面を送ったのだ。
****
あとがきを失礼します。
お疲れさまでした。
5月の18日から書き始めましたこちらの作品、以上になりまして完結になります。
フォロワーさんが1万4000人、コメントが1940件、お星さまが7780コ。たくさんの応援を、そして約半年もついてきてくださり本当に感謝でいっぱいです……。長くに更新できない日もありましたので言葉にできないくらいに嬉しい思いです。
このほんわかの気持ちを持ったままこれからの活動について報告させていただきます。
ご覧いただきました通りマルチエンドという締め方になりますので、そして、これから所用で更新ができなくなる前に(明日か明後日から)各ヒロインの短編番外をこちらの方で出せたらなと思っております。
付き合ってからのことになりますので大人の描写もありますが何卒、ご了承ください。
また、次話からサブタイトルは空白(マルチエンドという結末をタイトルバレしないため)にしたいと思います。
誰を最初にするのかはわたし自身まだ決めておりませんので、次話の更新はお楽しみにいただけたらと思います。
本当にありがとうございました……っ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます