第64話 弱った美麗と戸惑いの蒼太

 一夜が明けた今朝。


「それでは蒼太さん、学校に行ってきますっ!」

「ああ、気をつけてな」

「はい!」

 玄関でいつも通りに元気のいい挨拶をするひよりだが、一つだけ違う状況がある。

 それは隣に美麗がいないこと。昨晩、体調を崩した美麗は今日の学校を欠席することが決まっている。

 ひよりの性格なら『お休みいいなー!』なんて言ってもおかしくはないが、美麗の過去、、が影響した体調不良だと知っている分、そんな声を出すことはなかった。

 本音でなくても傷つけてしまうことを知っているのだろう。


 そうして、ひよりが玄関ドアを開ける寸前である。


「蒼太さん……。美麗ちゃんをお願いしますね」

 声のトーンを抑え、神妙な顔で頭を下げたひより。今まで見たことのないほど真剣な顔だった。


「嫌だよ。なんでお願いされなきゃいけないんだか」

「はいっ!?」

 そんなひよりを一蹴した蒼太だ。


「それじゃあひよりにお願いされたからって理由で動くことになるだろ。俺は自分の意志で動く」

「こ、ここでひねくれたこと言わないでくださいよっ! 焦ったじゃないですか!!」

「まぁ要するにひよりの仕事は心配することじゃない。美麗さんの分まで勉強頑張ってくること。分かったら元気よく返事」

「は、はいっ! では行ってきますっ!」

「おう。気をつけて行ってこい」

「では、美麗ちゃんをお願いしますーっ!!」

「オラ待て!」

 お願いされるのは嫌だと言った矢先に、再度お願いをされる。

 追いかけようとした時には玄関ドアを閉められて逃げられた蒼太である。


 さらに、仕事前の琴葉までもがひよりと同じ願いを口にしていた。


「……蒼太さん、任せるようで申し訳ないんですが美麗ちゃんの様子の確認をしていただいてもいいですか?」

「もちろん。俺のやれることはしっかりするよ」

 ひよりにはあのような対応をしたが、琴葉にソレをするわけではない。

 一人一人の接し方が違うのは当たり前。不安を取り除く方法もまた違う。


「一つ言わせてもらうとお願いされなくても動くつもりだったけど」

「ふふっ、それは分かってますよ。でも念には念を……です。今の私にできるのはこれくらいですから」

「なるほどね。それじゃあ俺も頑張るから琴葉も仕事頑張ってね」

「それではどれくらい頑張ったか、お互いに教え合いっこしましょう?」

「俺の方が勝つけどね」

「その自信は私にもありますから。ふふっ、それでは行ってきますね」

「行ってらっしゃい」


 そうしていつも通りに琴葉を送り届ける蒼太。

 この寮に美麗のことを冷やかしたり、悪く言ったりする入居者はいない。合間合間で自身ができる気遣いを見せてくれている。

 過去の詳細を知らない蒼太だが、美麗にとっていい環境が作られているだろう。

 管理人にとってそれは一番嬉しいこと。


『みんなに負けないようにしなきゃな……』

 なんて気持ちが蒼太には芽生え、花を咲かせていた。


 その一時間後のこと。


 朝食を食べる小雪と蒼太。この構図が作られていた。

 普段ならここで雑談をしながら時間を過ごす二人だが、今日ばかりは違う。

 とある報告をしたことで重苦しい空気が漂っていた。


「……ソウタさん、それは本当のこと?」

「はい。『欠席する』との報告をひよりから受けてます。リビングにも顔を出していない状態です」

「そう……。悪い夢を見たのね。美麗は」

 お互いに料理を口に運ぶ手が止まっている。食べるような雰囲気ではないのだ。


「不適切な言い方かもですけど、いきなりそんな夢を見ることってあるんですかね。昨日は天気が悪いこともなかったじゃないですか」

「つまり?」

「なにか過去と比べるような、刺激を受けたことがあったんじゃないか……と思って。もしそうなら、美麗さんに見せるようなことはしたくないと言いますか」

「……なかなか鋭い考察ね。確かにその可能性は十分あると思うわ」


 小雪は、何知らぬ顔でをついていた。

『その可能性は十分ある』ではない。全て蒼太の言っていた通りなのだ。


 小雪だから知っている。

 寝る前の挨拶を蒼太にしようとした美麗が、悪口を吐きながら部屋に戻ってきたこと。

 理由を聞けば、『アタシのために一生懸命掃除をしていた……』と。

 原因はコレである。


『あいつにお礼、言いたい……くて』

『向き合い方ってやっぱ変えないとって思って……』

『あいつに八つ当たりすんのはホント申し訳ないよ……』


 苦手な異性に対してこんな想いを漏らした美麗が、こっそりと動いているところを目の当たりにした。


 元父親とは何もかも違う対応。それが美麗にとって『過去と比べるような、刺激を受けたこと』なのだ。


「それにしてもタイミングが悪いわよね。こんな日に限ってわたしにパートが入っているのだから……。ごめんなさい、ソウタさん」

「何をいってるんですか。こんなことを予想するのは誰もできないんですから謝ることはないですよ」

「そ、それでわたしがいないと不安でしょう……?」

「ま、まぁ……。不安じゃないといったら嘘になりますけど、どんな状況にあっても上手く対処するのが管理人の仕事ですからね。頼りないってことで入居者のみんなに心配はかけられませんよ」

「……本当、年下に見えないわよね。ソウタさんは」

「そうですか? 当たり前のことをしてるだけなのでそうは見えないと思いますけど」

「……ふふっ。当たり前……ね」


 蒼太自身が気づいていない。この発言が大人に見える理由であることに。

 蒼太が今まで美麗から受けた攻撃は数知れず。初対面で近づいた時には過去を知らない状態で『◯ね』なんて罵詈ばりを吐かれたほどなのだ……。

 そのような相手に対し嫌悪感を見せることもなく、皆と同じように接していることは当たり前なんかではないだろう。


「あ、あの……小雪さん。心配かけられないなんて頼もしいこと言った後なんですけど、一つだけアドバイスいただいてもいいですかね……?」

「ええ、もちろんよ。なにかしら」

「俺は今の美麗さんにどう接すればいいと思いますか? 正直、どのように対応が最適なのか分からなくて……」

 腕を組みながら難しい顔を作る。蒼太は知らないだろう。かなり威圧的な表情になっていることに。

 だが、それは美麗のことをしっかりと考えているから起こること。小雪にはちゃんと伝わっている。そして、その顔こそが小雪が蒼太のことを好ましく思っている理由であり、頼りにしている所以ゆえんである。


「もぅ……。ソウタさんったら……」

 ぼそり。

 呆れたからではない。嬉しさがいっぱいになったからこその独り言。


「ソウタさんは普段通りで大丈夫よ。むしろ普段通りじゃないと困るわ」

「そ、そうですか? そうしてしまうと美麗さんと口喧嘩してしまうのでさらに体調を崩しそうじゃないですか……?」

「あら? 『どんな状況にあっても上手く対処するのが管理人の仕事』と言っていなかったかしら」

「あ、あはは……。カッコつけたばかりにブーメラン返ってきましたね……」

 恥ずかしさを誤魔化すような苦笑いである。


「……確かに、口喧嘩してしまえば美麗の体調はさらに崩れると思うわ」

「っ! じ、じゃあどうして……」

「苦しいけれどそれ以外に前進策はないもの。美麗の体力を削らないためにするのも一つの手ではあるけれど、結局のところそれは問題を先延ばしにしているだけ。その間に美麗はさらに体調を崩すから」

「か、賭けってことですか!?」

「言い方はアレだけど間違っていないわね」

「あ、あの……それはやめておいた方が……」

 今回、賭けているのはいつでも稼ぐことのできるようなお金ではない。一人の体調なのだ。お金よりも重い賭けものだ。


「こんなことはソウタさんが相手だから言えるの」

「え……」

「人任せになってしまうのは本当に申し訳ないけれど、あなたならどうにかしてくれるって信じているから」

「小雪さん……」

「す、少し柄にでもないことを言ってしまったわね」

 視線を下に向けながら頰を赤らめる小雪は小さくはにかんでいた。


「……ありがとうございます。勇気が出てきました」

「もしこの期待に応えてくれたら、わたしとデートしましょうか」

「と言う名の日用品の買い物ですね?」

「ふふっ、それはどうかしら」


 そうして、小雪の軽口により最後は明るく締めくくられた。雑談をしながら朝食を進める二人だった。



 ——時刻は12時の昼を迎える。

 小雪がパートに出て行った後のこと。


 蒼太がいつも通りに仕事をしている矢先、一つの足音がリビングに近づいてくる。

 この寮に残っているのは一人だけ。

 蒼太は普段とは明らかに異なる美麗を見ることになる……。


「っ、お、おはよう美麗さん」

「……」

 フードをかぶって顔を隠した姿。

 それでもわかることは多数にある……。

 寝ていないのか、生気のない様子で蒼太の挨拶に返事をすることなく、衰弱したようにふらふらとした足取りで冷蔵庫に向かっている。


「み、美麗さん……?」

「黙って。……なにするか分かんないから」

 耳を澄まさなければ聞き取れないほど掠れた声だった。

 美麗は力なく冷蔵庫を開けると麦茶を取り出す。コップに注ぐ量は、ほんの一口……。


「美麗さん……」

 それを見た瞬間、蒼太は強引な手を打っていた。

『ソウタさんは普段通りで大丈夫よ。むしろ普段通りじゃないと困るわね』

 小雪の残した言葉が脳裏によぎったのだ。


 麦茶を直した美麗は変わらぬ様子でリビングを後にしようとする。

 だが、それはさせなかった。

 通せんぼするようにドアの前に先回りしたのだ。美麗を部屋に戻らせる。その選択を絶ったのだ。


 正しい選択ではないのかもしれない。それでも、こんな美麗を放っておくことなんかできなかったのだ。


「……っ、どいて……」

「美麗さんが一口でも食べられるもの、もしくは一口でも食べたいものを教えて。教えてくれたらここから退くから」

「マジで、うざいって……」

「……」

 そんな声に返事はしない。蒼太は静かに佇むだけ。


「邪魔だって……。ど、どけって……」

「……」

「うぅぅ……マジで、ウザいから……、ぐすっ、なにするかわかんないから……」

「っ!?」

 一瞬だけ視線が絡み合い……見てしまう。

 顔は青白く、どれだけ泣いたのだろうか、たくさんの涙跡がある美麗を……。

 そして翡翠の瞳からてさらに涙を流す、弱々しい美麗を……。




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