第116話 寮内の雰囲気
「えっと……これは一体どう言う状況なのかしら」
「私が帰宅した時からずっとあの調子なんですよ。なにならひよりちゃんにもスイッチが入ったみたいで」
「見る限りスイッチが入ったのは美麗もじゃない? 縄張りを張っているみたいで独占欲丸出しだもの」
「た、確かにそうですね……」
そこから数時間後のこと。
パート先から帰宅した小雪と琴葉はとある現場から少し離れた場所で、その光景を見ながら会話をしていた。
「……これは咲のしわざかしらね。なにか入れ知恵をしたのだと思うけれど」
「ユキちゃんもそう思いました?」
「この時間なのにリビングに顔を出していないのがその証拠よね。きっとわたし達からの追及をされないようにしているんだと思うわ」
「……やられましたね、これは」
「抜けがけしようとした罰かしら」
実際、咲が入れ知恵したのはひよりだけ。美麗は蒼太に鎌をかけたことにより状況を把握したわけである。
だが、結果的に言えば歯車が動いたことに違いはないだろう。
二人は苦笑いを浮かべて現場の観察を続けていた。
「ちょ、美麗はいつまでくっ付いてるの!? これじゃ仕事できないんだけど……」
「あたしを注意する前にひよりを先に注意してよ」
「じゃあひより……」
「ヤです!」
「…………」
右腕に美麗。左腕にひより。磁石のように蒼太にくっ付いている。
左右で可愛い言い争いをしながらその腕を離そうとはしていない二人。蒼太がどちらかを注意しても、どちらを注意してもこの体勢は変わらない。
仕事の邪魔をされているわけだが、蒼太からしてあまり強く当たることはしていなかった。この状況を作ったのは突然と管理人の引退時期を伝えたことによる自分の責任。そう感じている蒼太なのだ。
「そもそも美麗ちゃんはずるいよっ! コンビニに蒼太さん連れていってたもんっ。それなのにまた甘えるなんて……!」
「ひよりは毎日ご飯リクエストしてるじゃん。これはその分だし」
「なっ!? それとこれとは話が違うよっ」
「それに今日そーたと出かけるんでしょ、ひよりは。このあと独り占めするんだからあたしと状況は一緒なんだけど」
「うぅぅ……もぉーっ!」
どうしても口では美麗に勝てないひよりなのだ。言い負かされてすぐに牛の鳴き声を出している。
騒がしくもあり、活気があり、明るい光景である。
「……なんだか微笑ましいわね。あのようなやり取りを見るのは。ひよりはもう好きってオーラが溢れてるもの」
「あのやり取りは10代だからできることですよね。私たちがしたら変に映っちゃいますし」
「わたしが10代に戻れたのなら今すぐにあの輪に混ざっているわね」
「またまた。ユキちゃんのことですからあの輪に入る以前に狙った獲物を仕留めているんじゃないですか?」
「そんなことはないわよ。それができていたら今こうして苦労していないもの」
向こうでは騒がしいやり取り。こちらでは落ち着いたやり取りがされている。
成人組らしい雰囲気が生まれている。
「でも……安心したわ。ギスギスした喧嘩にはなっていないようだから」
「ひよりちゃんも美麗ちゃんも中身は大人ですからね。やっぱり尊重し合えているんだと思います。友達を蹴落とすような悪い人はこの寮にはいないですから。まあ……ピリつきはありますけど」
と、寮の空気に生まれているものを感じ取っている琴葉。
「あら、それは琴葉自身にも言えることじゃないかしら。ひよりとソウタさんが出かけるって知ってピリついているでしょう?」
「あ……それはスルーしてほしかったですよ」
「ふふっ、ごめんなさいね。あまりにわかりやすいものだったから。それにしても珍しいわね。琴葉が素直に肯定するだなんて」
「気持ちを知られてしまっているユキちゃんには隠す必要もないですからね。やっぱり二人っきりになられるのは不安にもなりますよ。ひよりちゃんあんな様子ですし」
ひよりを流し見たすぐである。口元に手を当てながら瞳を伏せる琴葉である。
ライバルが狙っている男性と二人っきりになるのだ。モヤモヤした気持ちを抱いてしまうのは自然なこと。
「逆にユキちゃんは凄いですよね。ちゃんと余裕があって……本当に羨ましいです」
「何を言っているのよ。これはただやせ我慢しているだけよ」
「えっ……?」
「だって琴葉はソウタさんに想いを伝えているのでしょう? わたしが必死になってしたアピールを上書きされたのだから余裕があるわけないじゃない」
「あっ……そ、それは……な、なんかすみません」
「すみませんじゃないわよ全く……」
好意の匂わせよりも好意を伝える方が相手にインパクトを与え心にも残る。
「もしわたしが振られて琴葉が付き合うことになったら焼肉奢りなさいよね。一人の恋路を潰したんだからジュジュ
「こ、高級焼肉店じゃないですか……。貯金があるのでなんとか行けますけど……じゃあもしわたしがフラれて小雪さんが付き合うことになればジュジュ
「ええ。その時は飲み放題も付けてあげるわ」
「飲み放題は結構です。飲み放題なしで飲み続けますので」
「わたしに金銭的負担を与える気満々じゃない……。琴葉はお酒に強いもの」
「それくらいじゃないと私の恋路を潰した道は取り返せませんので」
「まぁ……そこまで言うのならわかったわ。負ける気はないから」
かなりもったいないお金の使い方ではあるが、これもまた接し方の一つである。
店側としては嬉しい客にもなる。
「でも……
「その時は負けてしまった3人でジュジュ
「それだとソウタさんと付き合った人が仲間外れになるじゃない。……あ、なるほど。それで二人っきりさせるつもりなのね。その情報をソウタさんが知ればやってくるはずだものね」
「はい。そのくらいしか私たちがやれることはないですからね。戦友として一杯奢らないとですよ。新しい職場に移り住むまでには時間があると思いますから」
「ふふ、そうね」
寮内で争う分、仲違いという最悪な展開にならないようにちゃんと考えている入居者なのだ。
そんな会話がされているとはつゆ知らず、蒼太はひよりとの時間を迎えることになる。
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