第59話 G騒動と変わるキッカケ
朝6時45分。
今日は琴葉に早番があるらしく、朝食を囲んでいるのはひよりと美麗を含めた三人。人数も多ければいつもより賑やかになる。
蒼太はオープンキッチンで両肘をつきながらテーブルに座って朝ごはんを食べる入居者達と会話をしていた。
「蒼太さん! 今日も朝ごはん美味しいですっ。おにぎりが美味しいです!」
「一番手がかかってない料理だし、味付けは塩だけなんだけどなぁ……。美麗さんは美味しい? 今日は卵焼きに自信あるんだけど」
「……普通」
「ふ、普通かぁ……。んー、もしかしたら味が薄かったりするのかな……。今日の夕ご飯はちょっと味を濃くしてみるよ」
「ふふっ、美麗ちゃんはかなり厳しいね?」
「だって……琴葉さんの料理の方が好きだし」
「あー正直、俺も分かるなぁ。琴葉は味付けが優しいんだよね」
「あ、ありがとうございます。な、なんかいきなり褒められると照れますね……」
琴葉を褒める流れになったのはいきなりだ。不意をつかれたようにむずかゆそうな顔をしている。
「あ! つまり琴葉さんの味に似せられるようになれば美麗さんも美味しく感じるってことか! よし、それなら琴葉、今度でいいから分量教えてもらえる?」
「あの……蒼太さんと同じで私も目分量です」
「そ、そうだった……」
蒼太を落とす発言をしたにも関わらず本人はケロっと認めた。それどころか同意までした。挙句に好きと言った方の味付けまで覚えようとした。
この対応こそ罪悪感を積もらせる要因……。
どれだけ失礼なことをしてるのか、分からない美麗ではない。
「……ねえ」
「ん、どうしたの? 美麗さん」
「今日、小雪さんが煮物リクエストしてたから……伝えとく」
「お! 了解。じゃあ今日は煮物を用意しとくよ」
「ん」
その罪悪感が山となり、ついに美麗の容量の限界を超えた。
『あんたのも……美味しいけど……』
初めて誰の力も借りずにリクエストを伝える美麗だったが、その程度のぼかしで届くほど甘くはない。
「蒼太さーん! ならひよりもご飯リクエストしたいです!」
「ひよりはリクエストしすぎ。次は琴葉の番」
「私も煮物をリクエストしたかったから、代わりにひよりちゃんがリクエストしてもいいよ?」
「えっ!? ありがとうございますっ! ではフライドポテトが食べたいです!!」
「煮物とフライドポテトってなんか重くない? どっちも芋が入るし」
「大丈夫です!」
「お、おう……。そこまで言うなら分かった」
朝の段階から夕ご飯の二品が決まる。だが、献立を一から考える必要がなくなるためこれには助けられている蒼太だ。
早速仕事のスイッチを入れ、サラダ、酢の物、酒蒸し……とさっぱりとした副菜を思い浮かべていたその時である。
「——ひゃっ!」
唐突だった。美麗の口から可愛らしい悲鳴が漏れたのは。
「は!?」
「えっ」
「美麗ちゃんどしたの!?」
何が起こったのか分かるはずもない3人。キッチンから声を出す蒼太に続き、琴葉とひよりも同じ反応をしていた。
「お、驚かせてごめん! で、でも今、いたから……カサカサ!」
震えた人差し指をカーテンの下に向ける美麗。
「カ、カサカサってなに美麗ちゃん!?」
「……
「ええええっ!?」
「うそ……」
食事中にこの生き物を目視する美麗に、目撃情報を聞く入居者。朝から最悪の事態が発生した。
「そ、そ……蒼太さん。殺虫スプレーお願いできますか?」
青い顔になって椅子から立ち上がる琴葉は蒼太に震えた腕を伸ばしていた。
迅速に動いてお姉さんを示したいのだろうが確実に怖がっている。
「えっと……まだ殺虫スプレー買ってないんだよね。この時期に出ると思ってなくて」
「……」
だが、苦手な虫であるために文明の武器がなければ無力化する琴葉だ。一瞬で顔に暗黒の影が差した。
「か、買ってきてないってどうすんのよ!」
「どうします!? ひよりはどうすればいいですか!?」
Gがいると思わきしカーテンから距離を取る3人。もう食事どころではないのだろう。テーブルから離れて蒼太のいるキッチンに集まっている。
「美麗さん、ソイツの色は黒だった?」
「赤ッ!」
「ほっ、ならまだマシか。黒じゃなければ大きくはないだろうし」
「マシとか呑気に言ってないでアイツどうにかしてよ! スプレー買ってきてないあんたの責任だから!」
そして、この中で一番怖がっていたのは美麗だ。まるで何かのトラウマがあるように、蒼太と初めて出会った時と同じ表情をしていたのである……。
「そ、蒼太さん。わ、わ……私と一緒にやります……か?」
「ひ、ひよりはごめんなさい! 無理です……!!」
「いや、みんなは無理しないでいいよ。俺に任せて」
たった一人余裕のある者、それが蒼太だった。
あのすばしっこい細長ブラックフォルムGに対してはスプレーが一番だが、それ以外なら蒼太は
「じゃ、倒してくるよ」
レンジ横にあるキッチンペーパーを6枚ほど取り、片手に重ねてカーテンに向かっていく。
腰が引けているわけでもなく、歩調が遅くなることもない。Gに対しての恐怖を全く感じていないのだ。
蒼太はカーテンの前に着くと当たり前に座る。ペーパーを持った利き手に軽く力を入れ、準備は整った。
左手でカーテンを持ち、勢いよくめくり上げた。
「ッ!」
そこには美麗の言った通りに中型のGが潜んでいた。そして目が合った瞬間にカサカサと逃げ始める。だが、蒼太はGの退路を瞬時に読んでいた——『ドン!』と力強い床ドンを放ったのだ。
「……」
蒼太の手には確かな感触がある。それでも数秒は動かさず弱ったと見越して握ったキッチンペーパーを裏返せばGはひんし状態に陥っていた。
「よし、一撃っと」
倒したことを確認した蒼太はGを丁寧に包んで立ち上がる。そのままゴミ箱に向かおうとした矢先、
「……」
「……」
「……」
呆然と視線を送られていることに気がついた。
「え、どうしたの……? そんな顔して」
「あ、あの蒼太さん……。ゴキちゃんは……?」
「倒したけど……」
りんご色の瞳を綺麗な丸に変えて問う琴葉に蒼太は当たり前の顔で言った
「そのキッチンペーパーで……ですか?」
「うん、まだサイズが小さいから」
「私、そんな斬新な倒し方は初めて見ました……」
「ひ、ひよりも……です」
「あっ、手はちゃんと洗うから安心してよ!? 本当ちゃんと洗うから!」
3人は驚いてるだけだが、引かれていると勘違いしてもおかしくない。
「……美麗さんもごめんね。今日中にスプレーは買ってくるから」
「う、うん……」
「また何かあったら教えてくれていいからね。掃除ももっと頑張るよ」
「ん……」
美麗の
誰も気づいてはいないが今の二つの返事は異性に見せた数年ぶりの素直な姿だった。
Gを倒すというのは蒼太からしてみれば当たり前の行動であり、救いを求められたからには当然行うこと。
しかし、美麗にとって異性から助けられるというのは当たり前ではない。
特に誰にでもできる駆除方法でなかったからこそ——苦手なものから一生懸命守ってくれた……そんな大きな行動に映っていたのだ。
過去——苦手なものを
その元凶こそが父親という男、
結果、生まれたものが、
『男は敵。自分にとって嫌なことをしてくる。たとえどんな関係であっても』
硬い固定概念であり、自己防衛の思考。
しかし、今回の件はそれに当てまらない。そして今までに感じていた蒼太の優しい対応がこの大きなネジが緩ませていた。
何気ないこの1日が、美麗を変えることになる一つのキッカケに繋がることになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます