第58話 美麗と小雪と天体観測と

「最近の調子はどう? 美麗。何か困ったことはないかしら」

「んー、特にはないかな」

 小雪と美麗は久しぶりに寮のバルコニーで天体観測を行っていた。

 近くにある丸テーブルには耐熱性コップが二つ。その中には昨日美麗がリクエストしたオニオンスープが入っていた。


「あ、一つあった。うっさいのが1人いるからそいつをどうにかしたい」

「あら? 1ぴきとの言い方はしなくなったのね」

「……1匹」

「ふふっ、もう遅いわよ」

 以前の美麗と対比した小雪は面白おかしく微笑んでいた。


「わたし、今日嬉しいことがあってね」

「う、嬉しいこと?」

「ひよりから聞いたのだけれど、美麗がソウタさんにお料理のリクエストしたらしいわね? わたしの知らないところで打ち解けていたから……そう思って」

「ち、違うって! アレはひよりが無理やり押し通してきたから適当に言っただけ。リクエストとかじゃない」

 リクエストは希望すること。その概念には当てはまらないとさせる美麗ではあるが、対面している相手に通用するはずがない。


「みんなは誤魔化せてもわたしを誤魔化すことができないわよ。美麗が美味しいって言いながら食べたソウタさんの初お料理を知っているもの」

「っ!」

 瞬間、美麗の顔色が変わった。


「わたしが一役買って、美麗を説教して、なおかつこの場所でのことだから覚えているわ。その初お料理と言うのが、ソウタさんの作った煮物と、昨日リクエストしたオニオンスープの二品よね」

「……」

 双眼鏡を覗くのをやめた小雪はエメラルド色の瞳を皿のようにしている美麗に事実をぶつける。


「だからあの味が忘れられなくてもう一度食べたくなったんじゃない? 煮物は手間がかかるからオニオンスープに変えたんでしょうし」

「……もう黙秘する」

「じゃあ一人で喋るけれど、わたしが明日リクエストをしておくわね。美麗も好きな煮物を」

『コクリ』

 最初は否定していた美麗だったが、もう言い逃れはできないと思ったのか頷いて素直な気持ちを表していた。月明かりに照らされた端正な顔はほんのりと赤くなっている。


「ねぇ……小雪さん、初めて食べた料理のことはあいつに言わないでよ。絶対変なこと言ってくるから」

「きっと喜ぶわよ?」

「だから嫌なの。あいつだけは調子乗らせたくないんだもん。何してくるか分からないじゃん……」

 蒼太には絶対に見せない拗ねた口調だった。


「ソウタさんは信頼できる方よ。美麗にも早く知ってほしいわね」

「琴葉さんを連れ込んだ時点で信頼なんてないし……」

「誤解だと分かっているのにどうして意固地になるのか考えたのだけれど、美麗にとって筋の通った叩きどころはもうそこしかないんじゃないかしら?」

「……」

 口を閉ざすほどの鋭い指摘だった。

 そして、『叩きどころがないならもう少し態度を改めても問題はないんじゃない?』と伝えているのである。


「今日、ソウタさんは寂しがってたわよ」

「な、なんで?」

「なんで? じゃないわよ、美麗。あなた……リクエストしたオニオンスープを激マズって言ったそうじゃない」

「っ……!」

 小雪には珍しい険のある声色。美麗が必ず動揺する一つの要因である。


「あ、あれは本当に悪いって思ってる……。で、でもいきなりひよりがからかってくるから……逆のことが……口に出たって言うか……」

「反省できているのならいいのよ。それが確認できただけ良かったわ」

「あ、謝れとか言うんじゃないの……?」

「ソウタさんが寂しがっていたと言うのは嘘だから、わたしからそう言うことはないわよ」

「はっ!?」

「反省しているか見極めるためは必要だったの。ごめんなさい」

「また騙された……」


 手のひらで転がされている美麗だが、反省していないというレッドラインを踏み抜くことはなかった。もし開き直った態度を見せていたのなら前のような説教が待っていただろう。


「え、えっとさ……じゃあどんな反応してたの? あいつ……小雪さんにさ。激マズって言ったこと知ってるなら、聞いたことは間違いないんだろうし……」

「ふふっ、そうね。『次こそ美味しいって言わせてやる』って、笑いながら宣言していたわよ。ソウタさんらしいでしょう?」

「はぁ……。あいつさ、マジでなんなの。頭バグってるでしょ……」


 ため息を吐き、悪口を言いながら頭を抱える美麗だ。とても天体観測をするような体勢とは言えないだろう。


「それはどう言う意味かしら?」

「……小雪さんも知ってると思うけどさ、アタシってめっちゃ汚い言葉吐いてるんだよ、あいつに……。それなのにどうして……寮のみんなと同じように扱ってさ、文句も言ってないとか普通に考えてありえないでしょ……」


 居心地が悪くなったのか、コップに入ったオニオンスープに手を伸ばし場を持たせている。

 ゴクリと一口飲んで口を尖らせた。


「美麗のことを大切に思っていなければできない行動よね。間違いなく」

「だからそれがおかしいじゃん……。仮にアタシの過去を知ってたとして同情してるかもしれないけど、それが言い訳になんないことくらい分かってるつもりだし……」

 美麗は馬鹿ではない。忌々しい過去が言い訳として通用しないことくらいは頭で分かっているのだ。


「はぁ……モヤモヤする。マジでなんなのあいつ……」

「罪悪感が積もるわよね、ソウタさんのようなタイプは。文句の一つでも聞けば違うんでしょうけど、そうじゃないものね」

「正直……いろいろツライ」


 美麗は蒼太からの文句を聞いている。

『美麗さんは口は悪いけどねー』と。しかしそれは罪悪感を薄める内容にならなかった。

『……でもさ、そこを踏まえても凄く優しい人だよ美麗さんは。俺が知らないだけで良いところはもっと、、、見つかると思う』

 この言葉を続けて聞いてしまったばかりに。

 あの時の蒼太の声色は、美麗が聞いたことのないほどに優しいものだった……。


「美麗は優しいものね」

「……あいつには勝てないけどね。あれだけ言っても態度変えなんだからさ……」

 再びオニオンスープを飲む美麗。心も身体も温まる味だ。


『優しい人ほどあんたの対応には感謝してると思うけどね』

 母、理恵が蒼太に対してこの言葉を放っていたことは誰も知らない。


「いつか素直になれるといいわね、美麗」

「今までのことあるんだよ? 恥ずかしくてなれないって」

「わたしには美麗が素直になって、昔のことをソウタさんにからかわれる。そんな未来が見えるわね」

「マジでそうなったら自害する……。恥ずかしすぎ……」

「ふふっ、わたしの未来予知は当たるって言われているのよ」

「絶対、嘘!」


 相変わらず仲のよい二人だ。このゆったりとした時間は23時頃まで続いていた。

 そして……美麗が一番苦手とする梅雨時期もゆっくりと近づいてきていた。

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