第50話 酔うよう琴葉②
『蒼太さん、タクシードライバーさんの鈴さんが言っていたアドバイス……あれはなんだったんですか?』
その突然の疑問には何かと考える時間が必要だった。蒼太は間を開けて答える。
「……あぁ。そ、それなんだけどもう少し待ってもらってもいい? ちょっと時間がかかるって言うか、まだそのタイミングじゃないって言うか……ね?」
『Sになれ』とのアドバイスをすぐに実行できる蒼太ではない。むしろ大半の人間が首を横に振るだろう。
「もしウソをついていたら怒りますからね?」
「さすがに嘘はつかないって。ちょっと心の準備的なのがあるから時間くれると嬉しいかな」
「んー、わかりました。でも……私にちゃんとする。を条件にしますよ?」
「今のうちに覚悟してて」
「あら……ふふっ。ますます楽しみになりました」
俳優ならこのような役も難なくこなすのだろうが、蒼太はその道のプロではない。素人は素人なりに準備をして臨む。変に思われないようなリスクを減らす立ち回りを取っていた。
それは正解の行動だろう。
そこからはテーブルにある料理に手をつけながら10分ほど雑談を続けた。そして、締めに移る頃合いになった。
「じゃあそろそろラストオーダーにしようか。アイスは食後に持ってきてもらうとして他に何か頼みたいものはある?」
「私、もう一杯お酒が飲みたいんですけど……いいですか?」
「お酒のペースにだけ気を付けてくれたら好きなもの注文していいよ」
「ありがとうございます。では最後にハイボールをいただきますね」
「俺も最後に何か飲もうかなぁ……。ちょっと梅酒が気になってるんだよね」
「でしたら一緒に頼みましょう? わがままですけど一人で飲むのはちょっと悲しいです」
あざとく目尻を下げて言葉通りの顔を作る琴葉である。これには断る選択肢が浮かぶはずもない。
「じゃあ俺は梅酒を頼むことにするよ」
「ふふっ、助かります。では注文しますね」
酔いにより雪のような白い頰を赤く染めている琴葉は呼び出しベルを押した。
あとは店員を待つだけである。
「あ、抹茶アイスも美味しそうだなぁ」
この時間にパッとしたものがあれば注文をしようとしていた蒼太。メニュー表の文字に目を走らせていた矢先だった。
理解が追いつかないワードを琴葉は口にしていた。
「それにしても蒼太さんはなかなかのチャンレンジャーさんですね?」
「え……? それどう言う意味?」
「またまたぁ。蒼太さんは知らないフリが上手ですね。このままでは注文時に店員さんに見せつけることになるじゃないですか。テーブルの上で私と手を繋いでいるところを」
「——ッ!?」
琴葉の手を包み続けていた蒼太は指摘を受けると反射的に手を離し——同時に我に帰った。
今の今まで事実がすっぽりと抜け落ちてたのだ。ありえないと思うだろうが、これがお酒の怖い力。判断力を鈍らせる力だ。
「んー、もぅ……。いきなり離すのはダメですよ、蒼太さん。寂しくなるじゃないですか……」
「き、気持ちは分かるけど、見た人は不快な思いするから駄目」
手を握っていれば握っているだけ人の体温、その温もりを感じる。
こうして離されたら優しい温もりは消え、冷たい空気が手に流れ込んでくる。物足りなく感じるのは自然なこと。
「うー、これなら指摘をしなければよかったです。本当に気づいていなかっただなんて……」
「あはは、普通は気づくよなぁ……」
まだお酒に余裕があると自負していた蒼太だったが、その意識は改められる。
「注文が終わったらまた繋ぐから我慢してよ」
「拒否します……。まだ私は満足できてないですもん……」
「そ、そう言われても……ね? 人が不快になるようなことはできないよ。俺も手は寂しい気持ちだけど」
お酒が入っていることを考慮して拒否の次にフォローを入れた蒼太。だがしかし、この行動は間違っていた。琴葉の悪知恵を働かせることにしかならなかったのだ。
「それなら下で繋ぎましょう? 私、まだ蒼太さんと手を繋いでいたいです……」
「下って、掘りごたつの!?」
「これならバレないです……。足が触れてることはバレなかったですから」
「深さがあるから足はバレないけど手は違うでしょ!?」
「違うことはないです。それに蒼太さんが最初に言いました。今日は私の彼氏役を楽しむって」
これが琴葉の強さだった。
『主導権を握ろうと動く傾向にある』
タクシードライバー、鈴の言っていたことは正しかった。琴葉は酔っていても、蒼太を打ち負かす一言を口にしたんだから。
「そ、それ言われたら何も言い返すことできないんだけど……」
「では私と手を繋いでください。……蒼太さん、いいですか?」
「はぁ、降参するよ。分かった」
「ふふっ、やったぁ」
蒼太は思う。
琴葉の彼氏になったのなら言葉巧みに甘える口述を作られるのだろうと。
言い負かされたことで完全に諦めた蒼太は、掘りごたつの下に右腕を突っ込む。それを見た琴葉は続くように左腕を入れた。
すぐにお互いの指先が当たり、琴葉から求めるように指を絡めてきた。
そして蒼太が握り返した瞬間である。視線を合わせ、それはもう嬉しそうに破顔させる琴葉だった。
こんなにも分かりやすく顔を崩すのは本当に珍しい姿だろう。
「店員さん、早く来てほしいですね」
「
「私もです……。すっごくドキドキしています……」
「やっぱり離さない?」
「んっ」
その言葉は地雷だった。
離さないと言うようにむぎゅっと手を握られた蒼太である。
「大丈夫です。見つからなければいいんですから」
童顔、二桁の背の違いがあり、完全に見た目は中学生の琴葉だが、肝の座りようには完全に負けている蒼太である。
琴葉と付き合い始めたのなら、こんなスリルのある日々が訪れることだろう。
****
そして時刻は1時を過ぎた。
ラストオーダーを食べ終え、この居酒屋からお
「じゃあそろそろ行こっか」
「はぁい」
掘りごたつから床に足を上げて先に立ち上がる蒼太。一瞬だけくらっと
そして閉めた障子に手をかけようとする。
だが、蒼太よりもお酒の摂取量が多かった琴葉は違かった。
目眩の酷さは体勢を崩すほどに強かったのだ。
「うわぁっ」
悲鳴に近い琴葉の声が背後から飛ぶ。
蒼太が意識的にそちらを振り返った最中——甘い匂いが鼻腔を通る。
その次に小さく柔らかい体が蒼太に強く抱きついてきたのだ。
「ッ!?」
考えるよりも反射的に抱き締め返す蒼太だ。
「……」
「……」
互いに何が起こったのか理解したのは同じタイミングだった。そして、二人の思考は違う。
「おいおい、大丈夫?」
動揺よりも琴葉を心配が勝る蒼太は小さな体を抱きしめ続けながら耳元近くで呟く。
びくっと体を震わせた琴葉は一言。
「ご、ごめんなさい……」
蒼太の胸元に触れている琴葉は、その顔を上げて上目遣いで謝る。
その途端、蒼太は視界いっぱい琴葉を映すことになる。
今までにないくらい真っ赤な顔。ぱっつんの白髪の間から覗く小さなおでこ。細く整った眉に長いまつげ。潤んだ大きな瞳に小ぶりの唇。
そして、全体に伝う琴葉の体の感触。
「……蒼太、さん……」
「……」
飲みの最中に琴葉のマウントを取ることをずっと考えていた。そんな蒼太にお酒の力が強く加わり、理性が削られ——蒼太の瞳が変わる。
「……琴葉、ちょっとそれは駄目だって」
蒼太の右手が無意識の伸びる。その行き先は琴葉の白髪……。
「ぁ……」
琴葉が漏らした小声。
ポンポンと頭に手を置きながら琴葉の髪を優しくなぞっていた蒼太だった……。
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