第67話 ツンツンとデレ美麗

 料理作りに取り掛かる前のこと。


「ねえ、あんたなにしてるわけ?」

 美麗は整った眉をしかめながら物言いたげな顔を蒼太に見せていた。


「え? 見ての通りボウルに水を張ってる」

「オムライス作るのにそんな工程ないでしょ。アタシでもそのくらい分かるんだけど」

「あぁ、これは応急処置用だよ」

「お、応急処置?」

「俺が火傷やけどする分には全然構わないんだけど、美麗さんを火傷やけどした時にすぐ冷やすことができるように。やっぱり最低限のことはやっておきたくて」

「あのさ、やけどするほどドジじゃないんだけど。アタシ」


 ムッとした表情で口を尖らせる美麗は威圧的に腕を組んだ。舐められているように感じたのだろうか、それとも心配されたことに対しての照れ隠しなのか、それは本人にしかわからないこと。


「美麗さんがドジだとかは思ってないよ。ただ俺の自己満足だからさせてくれる?」

「……でもさ、それだと洗い物が増えるじゃん。めんどくさいこと増やすとかホントばか。先に言っとくけどアタシは洗い物とか手伝わないから」

「もちろん俺から洗い物を強要したりはしないから安心してよ」


 料理作りも洗い物も管理人である蒼太の仕事。そもそも押し付けるような真似を取ることはできないのだ。

 美麗の発言に頷く蒼太は言葉を続けた。


「ただ、めんどくさいことを一つ増やすだけで火傷の傷が残らないようにできるって考えたら凄いことじゃない? 美麗さんには自分の体を大切にしてほしいし、めんどくさいことだとしても無駄になることじゃないよ」

「ふ、ふんっ。そうやってアタシに気に入られようとか思ってるんでしょ。普通にバレバレだし」

「あーあ、バレちゃった。美麗さんに火傷させたくないこと」

「……ッ、もういい勝手にすればいいじゃん!」


 あえての肯定から変化球を投げた蒼太に美麗はそっぽ向いてしまう。心なしか、美麗の頰が赤くなっている。


「はははっ、出端を折るようでごめんね」

「あ、謝るぐらいならさっさとしてよくそ狂人……」

「何か言った?」

「なんにも言ってないし!」

「そんなに怒らなくても……」

「怒ってないしッ!」


 小声であるも聞き逃さなければ美麗がこうなることはなかっただろう。どちらが悪いのかと問われたら間違いなく蒼太である。


 少しギクシャクした空気に包まれるが、重苦しく会話ができないほどではない。キッチンに蒼太と美麗が並んで料理作りが始まる。

 蒼太は玉ねぎと鶏肉を切り、

 トントン——パカ。

 卵を割る音が隣から聞こえてくる。美麗は丁寧に割って容器の中に入れている。


「ねえ、オムライスの卵って一人二つだったっけ」

「うん。あとは牛乳大さじ一杯と塩を少々でお願いね。計量カップはそこに置いてるから。あ、美麗さんのは特別に卵3つでもいいよ」

「じゃあ三つにする。卵はあんたのから取るから」

「え、それじゃ俺のが1個になるじゃん!? たまごに余裕あるんだから取らないでよ」

「ふんっ、そんなのアタシの勝手だし」

「じゃあ美麗さんのチキンライスには塩こしょうぶっかけよーっと」

「そんなことしたらあんたの卵全部取るし」

「その時はチキンライスにマヨネーズ入れるからねー」

「マジで最低じゃん。そんなのしたらオムライスじゃないし」

「卵取られたらオムライスにならないことを美麗さんには分かってほしい」

「それでも食べられるじゃん。アタシは変に味付けされるから食べらんないし。悪質なのはそっちだかんね」

「た、確かに……」


 美麗は分量等をしっかり確認してくれる。その結果、話は広がり思った以上の盛り上がりを見せている。


「……ねえ」

「ん?」

「なんか前に聞いたけど、大さじ一杯とか目分量でホントにできるわけ?」

「完璧とまではいかないけど、味に違和感がないくらいにはできるよ」

「……ふぅん。きも」

「あー、そんなこと言うんだ。琴葉さんも目分量できるのに」

「目分量できるあんたがきもってだけ。琴葉さんが目分量でできるのは流石」

「はははっ、扱いが酷いなぁー」


 言葉は相変わらずだが、声色にトゲはない。例えるなら友達に対して言える悪口のようなものだ。


「あ、美麗さんは知ってる? 卵って片手じゃ握りつぶせないこと」

「は? なに言ってんの。バリっていくに決まってんじゃん。アタシ握力30あるし」

「へぇ、じゃあやってみてよ。卵を手で覆うようにして力を入れるって感じで」

「嫌だし。そんなのしたら卵が割れるじゃん。ウソだってこと分かってるから」

「いやいや、嘘じゃないって!」

「じゃああんたが先にやってよ」

「別にいいけど……」


 そうして蒼太は証明するように卵パックから一つ取り出して、片手で握る。

「ふん……ッ」


 そして、腕が震えるほどの力を込めた。もちろん、蒼太は何一つ嘘をついてはいない。卵が割れることはないのだ。


「は……? マジで演技とかいいって。アタシを卵まみれにさせたいわけ?」

「やってみてって。本当だから」

「じゃあもし割れたらあんたに罰ゲームさせる」

「いいよ。じゃあゲームってわけじゃないけど俺がお金あげるよ」

「じゃあ……100円」

 遠慮するにしても可愛い金額を口に出す美麗である。


「100円? 1万円じゃなくていいの?」

「そ、そんなにいいわけ? マジで余裕だけど」

「3万円までならいいよ」

「……そこまで言うなら3万円にする。割れても文句言わないでよ」

「もちろん」

「じゃあお金もらい」

 かくして3万円チャレンジはすぐにスタートする。美麗は片手に卵を持ち、容器の上で同じように力を込めた。


「んっ……!」

 喘ぐような声を漏らしながらぶるぶると腕を震わす。本気を出しているのは明白である。


「あ、あれ……え? な、なんで!? んんんんっーーっ!」

 割れると思っていただけにすぐにムキになる美麗。力の入りやすい体勢にして再挑戦。それでも卵はビクともしない。


「なっ、なにこいつ!! イラつくんだけど!」

 最終的に腕をブンブン振り、卵の内部である黄身と白身に振動を加えて殻にダメージを与え始めたが、それでも殻にはなんの変哲もない。


「んーっん! ……はぁ!? マジで割れないって! なんで!?」

 子どものように目を丸くして可愛い顔を向けてくる美麗だ。こんな姿を見るのは初めてでもある。


「でしょ? 俺の握力が60だけどそれでも割れないからね」

「え、ちょ待って。あんた握力60もあんの? アタシの2倍……?」

「そうだよ」

「さ、さっきの卵は本当だったって認めるけど、それこそウソじゃん。60とかありえないから! そんなのゴリラだし!」


 美麗はひよりと同様に女子校通いである。男性の握力がどれほどか知るキッカケはなかなかないのだろう。


「いつでも握力勝負はするから声をかけてよ。2倍の力見せてあげるから」

「……じ、じゃあ。い、いつか。いつかは……やる」

「それじゃあその日を待ってるよ」

「マジで生意気じゃん。その化けの皮剥いでやるから」

「お、それは楽しみだ」


 そうして、料理のこと以外の雑談を交わしながら蒼太と美麗は一緒の時を過ごした。

 気づけば1時間以上が過ぎ、オムライス以外にもたくさんの料理を作り終えていた。これで今日の夕食に不備もなく、美麗は最後まで手伝ってくれていた。


「って、ごめん! 先にオムライスできてたのに最後まで手伝わせて! お腹空いてるよね!?」

「まぁ……朝から食べてないし」

「いやぁ、本当にごめん! 声かけるの忘れてたよ……。もう夕食は全部できたから先に食べてて!」

「……あ、あんたは食べないの……? もう料理できてるのにさ?」

 なんで? と言うようにキョトンと聞き返される。


「うん。仕事のスイッチが入っているうちに洗い物終わらせようと思って。それが終わったら食べるよ」

「本気?」

「もちろん」

「……」

 美麗にとってはありがたいだろう蒼太の促し。それなのにも関わらず美麗は口を閉じた。そして不満そうな視線を向けてくる。


「ど、どうしたの?」

「……な、なら……」

「ん?」

「な、ならアタシも……洗い物手伝うし……」

「え!? 俺に気を遣わなくてもいいよ?」

「ち、違うし……! 手伝わせろって言ってるんだし……。一人でご飯食べるのとか、あ、あんまり美味しくないじゃん……」

 ——モジモジ。

「だ、だから……い、一緒に食べてくれても別にいいし……」

 そして、チラチラとした上目遣いをしながら小声で伝える美麗。

 蒼太にとって思いもしない、想像もしていなかったそんな態度。笑いを堪えることはできなかった。


「あはははっ、もしかして美麗さんって寂しがり屋?」

「ッッ!! ち、調子乗んなバカッ!! ホントありえない!」

 最中、ボワっと顔を真っ赤にしながら美麗に暴言を吐かれる。

 主導権は完全に蒼太は握っているも同然で、ニヤニヤと表情にも現れる。


「マ、マジにやけんなッ!」

 顔の色は変わらないまま立て続けに暴言を吐かれる蒼太だった。

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