第68話 過去と夕食と

 あむあむ。あむあむあむ。

 少し早めの夕食。そして美麗にとって今日1食目のご飯。

 よほどお腹が空いていたのだろう、蒼太が正面にいるにも関わらず気持ちのいい食べっぷりを見せていた。


 テーブルにはオムライスとかぼちゃのスープ、えのきの肉巻き照り焼き、マカロニサラダが並べられている。


「美麗さん、今日のご飯は美味しい?」

 ——もぐもぐ

 問いかけるタイミングが悪かった。美麗は半目を向けながら咀嚼をしている。『今じゃないでしょ』なんて言いたげな粘っこい視線を蒼太に送っていた。


 ——ごくん。数秒後、口にあったものを飲み込み、プイッと顔を背けながら声を出す。


「まぁ…………美味しい方」

「おっ!」

 蒼太にとって美麗の口から『美味しい』の感想を聞いたのは今日が初めてのこと。

「それはよかった」

 一度は目を大きくした蒼太はすぐに嬉しく微笑む。見るだけでわかる幸せそうな表情。

 そんな顔が気に食わなかったのだろう美麗は即、メスを入れた。

 恥ずかしそうに視線を左右に動かしながら……である。


「か、勘違いしないでよね。ア、アタシが手伝ったから美味しいってだけで、あんたの単体料理は普通なんだし……」

「それでも嬉しいことに変わりないよ。ありがとう美麗さん」

「ふん……っ!」

 顔は背けたまま荒い息を出している。嫌いなものを口元に近づけられ、首で抵抗しているような形を取っている美麗である。


「あーあ、拗ねちゃった」

「拗ねてないしっ! ただムカついただけだし!」

「本当は照れてるだけだったりして」

「あんた相手に照れでもしたら自害してやるし。そのくらいありえないから」

 オムライスという可愛い料理を食べながらだろうか、翡翠の瞳で牽制している美麗だが全く反映されていない。


「自害とか言わない。体は大切にしてって言ってるでしょ」

「そ、その発言マジでやめてよ。あんたに心配されてもこれっぽっちも嬉しくないんだから。アタシが喜ぶとか勘違いしないで」

「俺の本心だからそこだけはわかってほしいな」

「だ、だからそれやめてって言ってるんだけど! その意味理解できないとかマジでバカ」

「はははっ」


 声色にトゲが抜けたからだろうか、普段よりも美麗の表情を見て取れる。照れたように怒ったように不満があるように、コロコロと変わるその顔は見ていて面白いのだ。


「あんたってホント気味悪い。なんでそこで笑うわけ?」

「美麗さんと話せて嬉しいからかなぁ」

「はぁ……。失礼なこと言ってんだから怒ればいいのに」

「ううん、それが俺とのコミュニケーションの取り方なんだから怒ることはしないよ。よほどのことがない限りは」


 蒼太と美麗の年齢差は5つほど。社会にも出ている蒼太の方が当然大人の対応ができる。


「あっそ。悪口言われて興奮するとかきもすぎ」

「そう言ってさらに興奮させようとしてる美麗さんもきもすぎー」

「ッ! アタシはきもくないし! ってかMって認めたのマジで無理なんだけど! もう近寄んな!」 

「ごめんごめん、冗談だって」

 多少なりに蒼太も悪口を返せるようになった。他と比べ独特ではあるが距離が縮まっているのは間違いないだろう。


 そうして、楽しく食事をしていれば17時30分前になる。


「ねえ、そろそろひよりが帰ってくる頃だからあんたに一つだけ釘刺しとくけど」

「な、なに?」

「ア、アタシが泣いてたこと……誰かに教えたりしたら許さないから」

「もちろん誰にも言わないよ。言う必要のないこと、、、、、、、、、でもあるし」

「……ん?」

 蒼太にとって当たり前の返し。だが、それは美麗にとって十分に引っかかる言葉。


「……あんたさ、もしかしなくてもアタシのこと知ってんでしょ」

『過去』をあえて抜かして言う美麗に蒼太は誤魔化したりしなかった。


「もちろん知ってるよ」

「冗談抜きにして誰に聞いたわけ? 教えて」

「管理人を務める前に母さんから」

 小雪から教えられたことは内緒にする蒼太である。もちろんそれは小雪と美麗は対立しないように。


「ふーん。じゃあ理恵さんから怒るなとか命令されてたわけね。それなら今までの対応に納得できるし」

 気に触れることがあっただろう美麗の声色が急に冷たくなる。食事の手を止めて睨みを効かせた瞳を注がれる。


「いや、そんなことは何も言われてないよ。管理人がそんなことしたら権限がなくなるでしょ?」

「じゃあなに。同情してアタシに優しくしてるってこと? 勝手に聞いてアタシのこと惨めだとか思ったわけ? そんなのマジでくそじゃん」

「同情?」


 美麗にとって過去はデリケートな問題。殺伐とした空気がリビングを包んでいる。先ほどまでの打ち解けた空気はもう無い。


「そうじゃないと今までの対応おかしいでしょ。アタシがあんなに攻撃してたのに態度変えないとか」

「おかしなことはなにもないよ」

「は?」

「まず、俺が美麗さんに同情することはできないよ。美麗さんを貶めるわけでも煽るわけでもないけど、俺にそんな経験はないから」

「……」

「管理人として入居者のみんなと平等に接することは当たり前のこと。美麗さんはその部分を同情とか勘違いしてる」


 可哀想に思うこと。あわれみ。思いやり。それが同情の意味。

 人間とは難しく、同情されたいこともあれればされたくないこともある。

 美麗にとっては後者なのである。


「じゃあなに。あんたはアタシの過去を全く意識してないってわけ? 綺麗ごと並べないでよ。変に気遣われるとかマジでウザいから」

「美麗さん、落ち着いて」

「落ち着いてるし!」


 スプーンを持つ手が震えていることを瞬時に見切る蒼太。

「……」

「……」

 あえての無言を作ることで美麗の気をしずめ、タイミングを測って再び言葉を続ける。


「俺が美麗さんに対して気遣っているのは二つだけ。話しかける時とかプライベートを聞く内容ね」

「ホントきも。同情とかすんなし」

「これは同情じゃないよ。それに美麗さんだって同じようなことしてるでしょ? 一番最近だと俺と琴葉が飲みに行った時の内容とか詳しく聞かなかったり」

「それと何の関係があるわけ? 言い訳とかいらないから」

「要は気分を悪くしないようにプライベートに深く干渉しないようにしてくれたんだよね。俺もそれと一緒」 

「……」

「美麗さんが同情されたくないのは知ってるよ。その逆でひよりは同情されたいっぽいね。性格を見ればある程度はわかる」

 蒼太の発言に美麗は反論することはない。同じ意見だったからこそ二の句が継げないのだ。


「まさかこんな話になるとは思ってなかったけど……せっかくの機会だから話させてもらうよ」

 それを前置きに、蒼太は怖いほどに真剣な顔を作る。


「俺は入居者のみんなには特に嫌なことはしないようにしてる。だから同情されたくない美麗さんには同情しないし、特別扱いをしてるつもりもない。ただ管理人として、、、、、、当たり前のことをしているだけ。そこは勘違いしないでほしい」

 この瞬間だけ、美麗は蒼太の圧に呑まれていた。二人っきり。そして普段見せることのない顔だからこそ。二つの条件が重なったからこそ。


「そう言えば……俺がひよりをバイクで連れ出す前、美麗さんは熱弁してくれたっけ。『住人のトラブル対応、解決は管理人の仕事』って」

「ッ!」


 当時のことを蒼太は鮮明に覚えている。

『住人のトラブル対応、解決は管理人の仕事』

 これは蒼太を動かすために言ってくれた言葉。本来、管理人の仕事は入居者同士のトラブル解決だけ。


 入居者の通学先などのトラブル解決は管理人の仕事に割り振られてはいないこと。だが、蒼太はこれを逆手に取る。


「美麗さんの言ってたことには間違いない、、、、、からさ、信じてくれとは言わないけど管理人としての俺を頼ってよ。俺にとってそれは仕事の一つだし、迷惑とかそんなのはなにもないから」

「……そんなの、嫌だし。あんたになにされるかわかんないじゃん……」

「んー、それならさや付きの包丁を美麗さんに渡しとくよ。俺を頼る時は二人っきりの時だと思うから、もしそこで俺が変なことしてきたら遠慮なく使ってくれていい」


 めちゃくちゃな方法ではあるが、美麗の過去を考慮すれば仕方のないこと。

 なんかあった時には自分で身を守れる、そんな方法や武器が必要なのだ。


「な、なにそれ……。そんなのあんたが辛いじゃん……。アタシが頼ってるのに、あんたを信じきれてないとか……」

 その行動を取ることで蒼太がどう思うのか、そこを考えられる美麗は本当に心が優しいのだろう。


「俺は入居者のみんなが元気でいてくれるだけで満足だから。……だから、もしもの時は頼ってね。管理人って時間に調整が効く分、いつでも大丈夫だから」

「……」

 蒼太がここまで言及する理由はただ一つ。それは今日の深夜——天気予報が雷雨になっているから。美麗が過去を思い出し、体調を崩してしまう。その可能性が高いからである。


 小雪は言っていた。

『美麗を安心させるためにわたしが一緒に寝たりもするのだけれど、朝には部屋からいなくなっているの。……恐らくうなされて、その声でわたしの睡眠を妨げないようにしているのだと思うわ』


 トラブル解決が一つの仕事となるなら、その分の気遣いも少なくなり、頼ってもらえるかもしれない。蒼太は思ったのだ。


「……あんたって天気のことまで知ってんだね」

「ごめんね、あんまり思い出したくない話なのに」

「別に……。あんたのこと包丁で刺せるって話聞けただけ十分だし……」

「それでいいよ。美麗さんがしてほしいことがあれば何でもするから」

「……あ、あっそ。あんたなんか頼るつもりもないけど……さ。頼り甲斐も全然ないし」

「それはその……ごめん」

「あ、謝んなし……。変な空気になるじゃん」

「ごめん」

「ッ、今のわざとでしょ。マジでくそ!」

「はははっ! バレちゃった」


 そんな話も終わりを告げ、10分が過ぎた頃である。

 何の前触れもなくガチャと玄関ドアが開く音。そしてドタドタと足音を響かせて騒がしい声がリビングに届いた。


「お帰りひより。そんなに急いでどうし——」

「あー! やっぱり、、、、してた! 美麗ちゃんずるいよっ!」

「は? なにが?」

 嫌な予感がしてたのか、指をさしていきなり美麗に攻撃するひよりである。


「蒼太さんと一緒にご飯食べるのがひよりの楽しみなのにっ!! 美麗ちゃんが全部取ったぁ!!」

「ち、違うし! こ、これはアタシと一緒に食べたいとか言うから! こいつが!」

美麗はひよりに感化されたように蒼太に指をさす。


「えっ、俺を誘ったのは美麗さんだって!」

「は、はぁ!? なんでアタシがこいつを誘わないといけないわけ!? こいつ嫌いだし一緒になんか食べたくないし!」

「じゃあなんで一緒に食べてるのっ!」

「いや、だから美麗さんが……」

「だからアタシじゃないし! もーこいつ嫌いッ!」


 どうも他の入居者の前では素直になれない美麗であった。

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