第36話 連れ去りと思考
「心配だなぁ……こればっかりは」
蒼太がこんな声を漏らす理由は一つ。
時計の短針は9と10の間。長針は6を差している。現在の時刻は21時30分。
この時間になっても『あとで食べますね』と言ったひよりがリビングに降りてきていなかったのだ。
ひよりが抜けた夕食時、琴葉と小雪、美麗がいる中、もちろんこの話題を出した蒼太だが、返ってきた言葉はこれ。
『ひよりちゃんのことですからもうすぐ降りてきますよ』
『ふふっ、ご飯が大好きだものね。ひよりは』
『……』
蒼太よりもひよりとの関わりが長い3人。ひよりの性格やご飯に対する欲求を知っているからだろう、この件を重視していなかった。正直、蒼太もその一人ではあった。
美麗に発言はなかったが、ひよりのことを相手にしていない様子。と言うよりも琴葉と小雪に便乗していたから何も言わなかったのだろう。——が、21時を超え、さらに30分も過ぎても降りてこないのなら蒼太を含めた入居者の予想は完全に外れていると言える。
「とりあえず呼びに行かないとだよな……」
『今日のご飯はいらない』なんて連絡を受けていない蒼太。管理人として確認をしなければならないことでもある。心配は募る一方だった。
****
『コンコン』
軽いノック音が二階の一室に響く。
「ひよりー、飯できてるぞー? 美味しくできてるから一緒に食べよう」
「…………」
「ひより?」
ドアの隙間からは室内の明かりが漏れているも返答はなかった。
(電気消さずに寝ているのか?)
当たり前の想像を働かせた蒼太は頰を掻きながら立ち尽くすも、次にドアに耳をつけて中の音を確認してみる。するとガサガサと布団を動かしているような音を拾った。
起きているのか、寝ているのか、微妙な音にもう一度ノックをする蒼太。すると今度は返事があった。
「……す、すみません。今日はやっぱり遠慮しておきます」
「お、……え、遠慮? 遠慮しなくてもたくさんあるよから揚げ」
「あはは、ありがとうございます……。でも、今日は大丈夫です。明日には絶対食べられますから」
「……?」
『食べます』ではなく、『食べられます』と言ったひより。
それは気持ちを切り替えるための時間がほしい。その時間があれば
しかし、それはひよりの事情を知らなければ理解することはできない。蒼太からすれば違和感のある発言にしか捉えられない。
「ひより、何かあれば相談に乗るよ……?」
「だ、大丈夫です……っ」
「そ、そう……? じゃあから揚げとかのおかずは全部冷蔵庫に入れてるから、食べたくなった時に温めて食べてよ? 本当、遠慮しないでいいくらいの量があるから」
「……ありがとうございます」
食べることを強制できない蒼太が言えることはこれくらいだ。
まだまだ話したいことはあったが、ひよりのことを考えて長居することなくリビングに戻った。
皿洗いも終わり、施錠の確認も終わっている蒼太の仕事も今日は終わり。後は管理人室で睡眠を取るだけだが、睡魔の限界が来るまでこのリビングでひよりが降りてくることを待つことにしたのだ。
テレビを付けることはなく、スマホをいじって時間に身をまかせる蒼太。
そこから10分ほど進み……22時を迎えようとした頃だった。
静寂のリビングに聞こえてくる階段を降りる足音。その音はリビングに近づいてきた。
「おっ!?」
ひよりか!? とスマホを置き、テーブルに手をついて椅子から立ち上がった蒼太はリビングと廊下を繋ぐドアを見る。
その数秒後、ドアノブが下に引かれその足音の人物を目に入れることになる。
先に黒髪のツインテールの片側、次にピンクの触覚。そして綺麗につり上がった翡翠の瞳。最後に全体の姿。
「み、美麗……さん?」
「……」
目を見開く蒼太は予想外の人物に呆気に取られていた。
夕食を食べる際には必ず入居者の誰かと一緒にいる。そんな蒼太を一番に警戒している美麗が、自ら一対一の空間を作ったのだから。
「……ねえ」
「ん?」
美麗は声を二階に漏らさないようにドアを閉め、蒼太を睨むように見た。二人の距離は4mほど離れている。
「ひよりのことなんだけど」
「う、うん……。な、なにかな」
そして、蒼太はここで知ることになる。琴葉や小雪がいた中、どうして美麗は発言をしなかったのかを。
「言わせてもらうけど、ひよりは
「は……い?」
突然だった。
「ひよりはアタシと違って優しいからそれを言わないだけ。あんたを庇って一人辛い思いをしてる。だから元気ないだけ」
「ど、どう言う意味……そ、それ。俺のせいって……」
呆けるわけでもない。本当に心当たりが見つからない蒼太なのだ。
「さあ、詳しいことはひよりに聞けば? アタシそんなことに興味ないし、ってかこれから友達と電話しないとだから話すなら外でして。なんか相談の声とか聞こえてきたらこっちが萎えるから」
「……ねえちょっと待って! さすがにその言い方はどうかと思うよ」
美麗の発言を全て聞いた瞬間、ここで初めてピキッと額に青筋は浮かんだ蒼太だ。自身のことを悪く言われるのは平気だが、知人に対し心配した素ぶりを見せることもなく、電話があるからと自己中に進めたのはどうしても許せなかった。
「いや、なにキレてんの? これは
「……」
「管理人なのにひよりがヘルプ出してるの気づかなかったわけ? ってかひよりの性格からしてああやって自分を犠牲にして抱え込むの分からないの? まあ分からなかったから強引にもなれないで、様子を伺うようなことばかりするんだろうけどさ」
蒼太の怒気に自身の怒気をぶつけて勢いを相殺している美麗はかなりの度胸がある。萎縮することもなく考えを全て述べているくらいなのだから。
「住人のトラブル対応、解決って管理人の仕事じゃん。それなのに問題を長引かせるような行動取るとかわけ分かんないから。それってただサボってるだけじゃん。言わせてもらうけど仕事もできないような管理人とかアタシは認めないから」
トゲのある去り言葉だった。キッと再び睨みつけた美麗はドアノブを引いてリビングから出て行った。
ドタドタと走って二階に上がって行く足音が耳に流れていく。
ピリつきの残るリビング。
管理人になって初めて怒りが沸点まで達した蒼太だったがが、頭の片隅に冷静さを取り戻していた。
美麗はある程度の真実を知っているからこそ、ここまでして気持ちをぶつけてきたはずである。
それは異性が怖いと言う思いを我慢しても伝えるべきことだったのだと。そこまで勇気を振り絞って対面したのに気にしていないはずがないと……。
「要は、いろいろ抱え込むひよりには強引に行けってこと……か。美麗さんの言いたかったことってさ」
大人になっている蒼太だがらこそ、辛辣だった美麗の意図を汲み取っていた。
ただ、そこまで理解しているのになぜこちらに託すような行動を美麗が取ったのかを読むことはできなかった。
「様子を伺う……問題を長引かせるような行動……ね。確かにその通りだったなぁ……はぁ」
美麗に正論をぶつけられ、怒りを覚えたことにすら情けなくなる。
が、反省会をするのはまだ早い。聞いてもらわなければならない人物がいる。それが本人が一番に理解していた。
ふぅと息を吐く蒼太。次に取る行動はもう決まっていた。
再度二階に上がりる蒼太はひよりの自室まで移動する。そして、着いたと思いきやドンドンドン! と強い力でノックをした。
「おーいひより! バイクでドライブ行こう! 高台か海、どっちか選んで」
「……え?」
「ほら、拒否権はないから。早くここ開けないとマスターキーでぶち開けるよ」
「やっ、やややめてくださいよっ」
「なら早くズボンと防寒服着て出てくる。じゃないと汚い部屋もついでに見るから」
「そ、そんな強引な……って、汚くないです……っ」
「じゃあほら早く行く。とりあえず俺に付き合ってよ。その分、ひよりのお願いも俺にしてくれていいから」
「ぅ、もーぅ……」
「いや、そんなにゴネてると開けるよ? もうマスターキー持ってきてるんだから」
「わ、わわわ分かりましたよぅ……」
押しに弱いのだろうか、拗ねた声を出すひよりをなんとか着替えさせた蒼太はドライブを強引に決行させることに成功したのである……。
****
『ガチャ』
と玄関のドアが閉まり、外のバイクに乗り込んでいる蒼太とひよりを二階のとある部屋から見る6つの目。この一つの部屋には三つの声があった。
「美麗、さっきのはさすがに言い過ぎよ。あれじゃあソウタさんが怒るに決まっているじゃない。それに蒼太さんのせいでひよりがトラブルに巻き込まれているって言うのは完全なこじつけでしょうに……」
「私もびっくりしたなぁ。聞いていた話とかなり違かったから……」
「それはごめん。でも、よくよく考えたら
全て見通しているような落ち着いた声。
「……美麗は本当にこれでよかったの? このままじゃ自己犠牲しているようなものでしょう」
「う、うん。もう少しやり方はあったんじゃ……」
「この方法が一番てっとり早いしアタシは全然平気だからいい。そもそも最初からあんな態度をアイツに取ってたから嫌われるの当然だし。……まぁ昨日
お願いをして蒼太を動かすよりも、自ら動いてもらう方がその言葉に偽りはなくなる。言葉の伝わり方も変わってくるだろう。
相談に乗ってくれるような人物は、まさしくそんな相手が適正。そのために美麗は一役を買っていたのだ……。
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