第35話 ひよりの悩み
「じゃあまた明日ねーひより! 彼氏とのイチャイチャ報告待ってまーす!」
「だっ、だから彼氏なんかじゃないってば! 今日何度目だと思ってるのっ!」
「多分5回くらい?」
「8回だよっ!!」
彼氏疑惑が浮上したその翌日である。
昨日は美麗と楽しい時間を過ごしたからだろう、誹謗中傷の手紙を気にした様子もなく普段通りの学校生活を送っていたひより。
今はその放課後。からかわれながらバレー部に所属している友達と別れたひよりはスリッパとローファーを履き替えるために靴箱に向かっていた。
「……」
そこでふと蘇る昨日の記憶。そして、以前にも何度かあった体験。
なんとなく嫌な予感を抱くひよりは靴箱に近づけば近くだけ心臓の鼓動が大きくなっていた。
人気者の宿命とも言えるこの出来事だが、そんな軽い気持ちで考えられるものではない。バレなければいいなんて軽い気持ちで行われる一方で、誹謗中傷は人の命を奪うほどに劣悪なことなのだから。
ふぅ……と息を吐くひよりはようやく靴箱の前にたどり着いた。
すぐに靴箱を開けるわけではなく、そこで立ち止まって靴箱を睨むように真剣な顔つきになっていた。
あの誹謗中傷は昨日の今日あったこと。こうして警戒してしまうのも仕方がないことだろう。
勇気を奮い起こすように、そして昨日のことを忘れるようにひよりは首を左右に振って頭を空っぽにする。
靴箱の取っ手にゆっくり手を伸ばし、握った。
(な、何も入っていませんように……)
そんな願いの元、目を瞑りながらひよりは靴箱を開ける。一秒、二秒と経ち——恐る恐ると目を開くひより。
「……あっ」
その途端に安心した声を漏らしていた。先ほどの不安を打ち消すように靴箱には何も入っていなかったのだ。
「よ、よかったぁ……」
安堵の声にほっとした笑顔を作ったひよりはスリッパを脱いで靴箱の下段に起き、下段にあるローファーを持って引き出す——その瞬間だった。
ローファーの中をサラサラと何かが移動したような感覚。その違和感が手に伝った。
ハッと靴底を見るひよりだがそこには何もない。が、さっき感じた違和感はそれだけでは拭いきれないくらいに確かなこと。
ひよりはローファーのかかと部分を下に持ち、つま先を叩く。すると再び何かが動くような感覚が伝い、その正体が靴底に現れることになる。
「……ッ!?」
左右のローファーから出てきたのは6枚の手紙。それも、昨日と同じ柄の手紙でその量は昨日の3倍。
すぐにキョロキョロと周りを見渡すひよりだが、近くに怪しい者は誰もいない。友達と楽しそうに話しながら外に出ていく学生だけ。
「ま、また……こ、こんなに……」
中身を見らずとも内容は分かっていた。手紙を読んでほしければローファーの中に入れたりはしない。見やすい位置に置くはずである。
自衛に走るなら手紙を読まずに捨てればいいだけ。……しかし、それはひよりの性格的にできないことだった。
(もしかしたらいい内容の手紙があるかも……だよね。いい手紙だったら、お返ししないと……)
限りなく低い可能性だと理解しているも、可能性はあるのだ。
6枚の紙を手に持ったひよりは再びスリッパに履き替えてトイレに向かっていった。
誰にも見られない個室で……確認をするために。
そのトイレで、全ての手紙に目を通したひよりは唇を噛み締めていた。その箇所が白くなるくらい強く噛んでいた。
『お前なんなの?(笑) ヘラヘラすんなよマジで』
『彼氏マウントとかいらないから。ウザすぎだから』
『あ、人気あるとか思ってる? 自意識過剰すぎてキモい』
『アンタ見るだけで鳥肌立つんだけど(笑)』
『こんなのが彼女とか彼氏がカワイソウだわ』
『元気いいだけのやつなんて学校こなくていいよ。ジャマ』
6枚中、6枚が昨日と同じような内容。トイレの個室の床にその手紙が散らばっていた。まぶたを閉じて手を握りしめ、やり場のない気持ちを必死に抑え込んでいた。
「あはは……。ひ、酷いなぁ。ま、全く……」
『こんなの平気平気!』と笑い飛ばそうと軽口を発すひよりだが、笑顔なんて浮かんではいなかった。ただ『あはは』と言っただけ。声を震を震わせて顔を天井に向けていた。
涙腺が緩んで視界が滲む、うるうるとした蜂蜜色の瞳はいつも以上に輝いていた。
「か、帰ろ……っ」
こぼれ落ちそうな涙を必死に堪えてひよりは立ち上がる。無理をしたように出した明るい声。それが今のひよりができる自分らしいこと。
床に転がった一つ一つの手紙を拾い上げ、個室のトイレを開ける。
手洗い場の側にあるゴミ箱に全ての手紙を投げ捨てたひよりは両目を手で拭ってトイレを後にするのであった。
用を足していなくても、トイレに入った時は毎回手を洗うひより。そんなひよりが手を洗うことを忘れるほどに心は傷ついていた。
****
「た、ただいま帰りました」
時刻は17時45分。一番早く寮に帰宅したのはひよりだった。
「おっ! おかえり! ちょっと聞いてくれよひより!」
いつもと同じようにリビングから廊下に出て出迎えをする蒼太だが、今日のテンションは少し高めだった。
「ど、どうしたんですか……?」
「今日は揚げ作ってみたんだけど結構美味しくできたんだよ! もう食べるよねっ!?」
ひよりが帰宅する時間は蒼太が夕食を作り上げる時間とほぼ同じなのだ。
その結果、すぐにできたての料理を食べるのがひよりの日課でありいち早く夕食の感想が聞くのが蒼太の日課。まさしくwin-winの関係と言えるだろう。
今日は特に自信作の感想が聞ける……と気持ちが高ぶっている蒼太だったが、その考えはすぐに崩されることになる。
「ご、ごめんなさい。あとで食べますね。い、今はちょっとそんな気分じゃなくて……」
「え……? 食べないの? あのから揚げだよ? 揚げたてだよ」
「す、すみません……」
「もしかしてどこか調子悪い……? な、なんかあるなら相談に乗るよ」
「そ、そんなことはないですよっ。す、少しコンビニでおにぎりを食べてきちゃって……」
お腹いっぱいと言うように苦笑いを浮かべたひより。
「ではひよりはお風呂に入ってきますね……。ご飯は食べにきますので」
「ちょ、ちょ待っ——」
そんな蒼太の引き留め声を無視するようにひよりは駆け足で二階に上がっていった。
「な、なんなんだ……。あんな様子見るの初めてだよ俺……」
この時、ひよりに避けられたと初めて感じた蒼太。ひよりらしくない発言も多々あった。
コンビニのおにぎり程度でから揚げも入らないくらいにお腹がいっぱいになるひよりじゃないと。
ひよりなら夕食に備えておにぎりを食べる量をセーブするはずだと。
それは夕食を提供している蒼太が一番に知っている。
「元気……なかったな」
最初に見せていたテンションはもう消えている。難しい顔をしながら神妙に呟く蒼太だった。
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