第49話 酔うよう琴葉
「琴葉、もう少しお酒を飲むペース落とそっか。まだまだ平気かもしれないけど自分の体を大事にするためにそうしてほしいな」
「そ、そう……ですか?」
「うん。だから落としてくれる?」
「分かりましたぁ」
居酒屋、アンジュに来て3時間が経過していた。
琴葉が今、何合目のお酒に手を出しているのかは分からない。しかし、明らかに飲みすぎと言える量を口に入れていた。
度数の違いもあるだろうが、速いペースで蒼太の倍近くは飲んでいた。
「琴葉は気持ち悪くなったりしてない? お冷頼んでおく?」
「まだ大丈夫です。ありがとうございます」
「我慢するのはよくないから何かかあればいつでも言ってよ」
「はぁーい」
蒼太の耳には時折、ふにゃふにゃした琴葉の声が聞こえている。
リズムを取るように頭を揺らしている辺り、多少なりにお酒が回っていることは間違いないだろう。
「んー、やっぱり蒼太さんは優しいですね。そんなお声をかけられるとは思いませんでした」
「そう?」
「私をお持ち帰りをするのなら止めない方がいいんですよ? お酒……」
「もし俺が管理人じゃなくて、美麗に釘を打たれてなかったら今とは別の行動を取ってたかもね。俺も酒が入ってるし、言うならば男だからさ」
「ふふっ。それは残念です」
「ざ、残念って……」
冗談にも取れないような返事。琴葉にしては本当に珍しく、お酒の影響を受けているのは間違いないだろう。
そんな琴葉は蒼太の足の上が気に入っているのか、少し前からずっとソコを足置きにしていた。時にニーソの足を動かしたりしている。
もしくは酔いで蒼太の足の上に置いていることに気づいていないかのどちらかだろう。
テーブルの上にあるスマホの電源ボタンを押し、時刻を表示させればもう0時を過ぎ、日を跨いでいた。
この居酒屋、アンジュの閉店時間は深夜の2時30分。ラストオーダーが2時となっている。
大体、1時頃には店を出ようと
ここまで蒼太が頭を働かせられている理由を挙げるとすればお酒の量、ペース、飲み方に気をつけていたからだろう。
『ソウタさんはソウタさんのペースで飲むことを進めるわ。琴葉に合わせたら二日酔いにやられるもの』
と、小雪が注意喚起をしてくれたのはもちろんのこと、管理人として安全に琴葉を寮に帰さなければならないためには当然の対応である。
「まぁとりあえずはテーブルにあるものを全部食べてから次にラストオーダーを取ろうか。時間的にはいいくらいだと思うから」
「私、最後はアイスクリームを食べたいです」
「ははっ、了解。じゃあ早めに食べよ」
飲みの時にスマホをいじるのはあまり好ましいことではない。スマホを裏返して液晶をテーブルに置いて蒼太は目の前にある料理に口をつけていく。
だが、その箸はすぐに止まことになる。
『食べよう』と促した蒼太は視界に入れていたのだ。正面に座る琴葉に動きがなかったことを。
蒼太が顔を上げれば、琴葉はとある箇所を惚けたようにじっと見つめていたのだ。
「……」
「……」
珍しく間の空いた個室。
「えっと、何かあった?」
その問いはごもっとも。そして首を傾げた蒼太に琴葉は言った。
——本当に唐突だった。
「ご、ごめんなさい……。なんだか蒼太さんの手を見たら……握りたく、なりまして……」
「へっ!? 手?」
「はい……」
お酒は不思議なもので、その人の、その時の状態を大きくするアイテムだ。
琴葉は蒼太に視線を変えて照れたように返事をしていた。
「あの……俺の手、握りたいの?」
「握りたい、です……」
「そんなに」
『こく』
お酒にやられているのだろう。とろんとした瞳でひよりのような素直さが浮かんでいる。
「別に手くらいならいいけど……」
先ほど握力勝負のようなことをしている分、特に気にすることもない蒼太だ。
「えっと、ここに置けば握りやすい?」
そして左手を伸ばし、琴葉の近くに手を置いた。
「ありがとうございます。ふふっ、やったぁ……」
琴葉には普段の遠慮がなかった。欲に任せたように自身の手を上に重ねた。
忘れているかもしれないが掘りごたつに隠れている両足も同じ……。
完全にカップルのような行動を琴葉
「琴葉ってお酒を飲むと人肌が恋しくなるタイプ?」
「今は、そうかもです……」
「って、今気づいたんだけど、琴葉は右手で俺に手握ることになるから料理食べられないんじゃない?」
「私はもうお腹いっぱいなので残りのご飯は蒼太さんに任せます」
「了解。……あとくすぐったいんだけど」
「ふふっ、ごめんなさい」
普段の琴葉からして考えられないことばかりが起こっている。
琴葉は嬉しそうな顔で蒼太の手をなぞったり、にぎにぎしたり、指と指の間に手を絡め合わせたり——そう、おもちゃのような要領で感触を楽しんでいる。
「蒼太さんの手……本当に大きいですよね」
「手の作りも違うらしいからね、男と女じゃ」
琴葉の手は小さく、少しひんやりとして柔らかい。
お酒が入っているからでもあるのだろう、琴葉の手の感触だけでも興奮を覚えていた……。
「蒼太さん、今度は私の手を包んでほしいです……。握力の勝負をしたように」
「あ、ああ……」
今度は琴葉が蒼太側に左手を伸ばしてくる。
その白い手を蒼太は上から握り、要望通りに優しく包み込んだ。
「なんだかきもちい……ですね」
「だ、だね……」
「……」
「……」
無言が生まれた。視界が自然と移る。
琴葉は蒼太と目があった瞬間に微笑を浮かべてきたのだ。まるで、今が本当に幸せであるかのように……。
それは蒼太にも伝染する。管理人だから……そんな理性が琴葉の小さな手の感触と、タイツ生地による足の感触によって奪われていく。
——危うい。直感的に悟った瞬間だった。
「……あっ」
不意に琴葉がこの声を漏らし……続けた。
「蒼太さん、タクシードライバーさんの鈴さんが言っていたアドバイス……あれはなんだったんですか?」
「ッ!?」
それが蒼太の煩悩を一瞬にして振り払った……。次に脳裏に流れるのは自信に満ちていた声色の鈴の言葉。
『サディズム《S》寄りを演じてみてください』
『憧れる性格と性癖は全く別物です。それをしましたら一風変わった姿が見られると思いますよ。
そんな琴葉の姿を見てみたい。蒼太が率直に思ってしまったのはお酒の力が攻囲したからでもあった。
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