第48話 攻撃の琴葉

「ふぅ……美味しい」

「琴葉って日本酒が好きなんだ?」

「そうなんです。甘いから苦手とおっしゃる方もいますけど私は好きですね。蒼太さんは焼酎しょうちゅうがお好きなんですか?」

「そうそう。貧乏臭いこと言うけど安く飲めるってことでずっと焼酎飲んでたからこれが一番落ち着くんだよね」


 琴葉が日本酒の3合目に入り、蒼太は焼酎の水割りの2杯目に入っていた。

 テーブルには焼き鳥や揚げ物、刺身の盛り合わせにサラダなど摘める料理が並んでいる。

 この居酒屋で1時間以上が経っているがお互いまだ正気を保てていた。酔いの要素を挙げたら琴葉の頰がほんのりと赤みがかかっている程度だろう。


「蒼太さんはお酒の失敗をしたことはないんです?」

「情けない話、何回もあるよ。汚い話にもなるから詳しくは言わないけど、それでどこまで飲んだら失敗しないのかのアウトラインが大体分かってきたって感じで」

「なるほどです。失敗して学ぶことって多いですよね」

「お酒の失敗は辛いけどね……。二日酔いとかもあるし」

「ふふっ、この流れで言うのもなんですが、蒼太さんが酔いつぶれましたら私に好き放題されてしまうので気をつけてくださいね?」


 さて、このような言葉を琴葉からかけられた場合、酔いつぶれようとしない男性はどれだけいるだろうか。

 作者が取ったアンケートによれば『90%の男性が酔いつぶれるためにいっぱい飲みます!』と答えている。

 さすがの人気を誇る琴葉である。


「うーん、酔いつぶれたら俺に好き放題されるってそれは琴葉にも言えることだからね? 琴葉も気をつけないと」

「私は気をつけることはありませんよ。酔いつぶれてしまえばそんなことをされても仕方がないと、そう割り切っていますから」

「達観しすぎだって! もっと身体は大事にしなくちゃ」


 蒼太の返しはごもっともだが、琴葉からすれば本当に気をつけることはないのだ。


「安心してください。簡単にそうされる気はありませんし、飲み会で酔いつぶれたことはないですから。こうしたサシ飲みも異性では蒼太さんが初めてだったり……?」

 琴葉がサシ飲みするの条件、それは信頼している相手のみ。その枠もかなり狭い。

 もし蒼太が管理人という立場にいなければ信頼を勝ち取ることは難しかったことだろう。それほどに琴葉のガードは固いのだ。


「いやいや、俺が初めてとか絶対に嘘」

「あら、断言ですね?」

「だって琴葉のスマホには男の連絡先が3桁近く詰まってるくらいだからねぇ……。もし本当に琴葉が男とのサシ飲みが初めてならこの飲み代は全部俺が持つよ」

 蒼太は言ってしまった。自信があるばかりに禁断の一言を。


「えっ? どうして蒼太さんがそのことを……って、小雪さんに聞きましたね?」

 その一言を聞いた琴葉は一瞬だけ口元をほころばしていた。そして違和感のないように言葉も続けていた。


「申し訳ないけど、情報提供者は秘密で」

「もぅ……。確かに男性の連絡先は持っていますけど、仕事用の、、、、スマホで登録しているのでプライベートで会うことはないですよ。勤務時間外では返信することもしないですから」

「きっちりしてるなぁ……」

「私以外の受付嬢もこうしている方はいますので珍しいことではないですよ」

「でも、それを見越してる男もいるだろうから……直で琴葉を飲みに誘ってきたりとかもあるんじゃない?」


 これは蒼太も一人の男である分、行動を見越しているように言えるのだ。


「ええ、確かにその通りです……が、丁重に断っていますよ。蒼太さんには信じてもらえないかもしれませんけど、私、職場で関わる男性とは距離を置くようにしていますから」

「それはどうして……?」

「真面目は話になってしまうんですけど、やり甲斐のある仕事に勤められているのでそうしたトラブルを起こしたくないんです。もし私が恋愛をするなら職場の方以外です」

「じゃあ俺は恋愛対象に当てはまってるわけではあるんだ?」

「ふふっ、この際に私とお付き合い始めてみますか?」

 お酒の影響を受けていることは間違いないだろう。恍惚とした瞳を作り、それでいて楽しそうな表情で小首を傾げている琴葉だ。


「こーら、軽口言わない」

「ふふっ、そう言われるだろうと思っていました」

「試すんじゃないよ……。俺に付き合おとか返されたらシャレにならないだろうに」

「私……冗談を抜きにして蒼太さんとお付き合いをするのはアリだと思っていますよ」

「へ!?」

 なんの前触れもなく突然とアタックをかけられ、目がこぼれ落ちるくらいに見開く蒼太である。


「社会に出て分かりましたけど、仕事ができて家事もできて、優しい性格の男性って本当に珍しいんです。……ですので私が知る中で自慢の男性ですよ、蒼太さんは」

 まさかの褒め言葉の連続である。先ほども言った通り、お酒の影響を受けていることは間違いないだろう。このレベルで褒めてくるのは今までないことだった。


「ふふっ、もし蒼太さんのことを他の受付嬢に紹介しましたら必ず狙われてしまうので内緒にしてはいますが」

 そうして日本酒が入った容器、とっくりを傾けて酒を猪口ちょこに移そうとした時である。そのとっくりから日本酒が出てくることはなかった。


 一時間過ぎで3合目を完飲していたのだ。

 口が軽くなるほどの酔いが回ってしまうのも無理はないだろう。


「……飲み、楽しいですね。もう無くなってしまいました」

 ピンク色の細い舌をぺろっと出した琴葉は、どこか恥ずかしそうにとっくりの底をテーブルに戻した。

 いつもは大人げのある琴葉が、少しお茶目に見える。

 蒼太も蒼太でお酒が回っている。普段以上にドキッと心臓を大きくしていた。


「お、俺もそろそろ飲み終わるから焼酎注文しとこうかな……」

「私、もしかしたら今日は酔いつぶれてしまうほど飲んでしまうかもしれませんね。なんと言っても蒼太さんの全部持ちですから」

「え?」

「とぼけるのはダメですよお」

 と、琴葉がニヤリと表情を崩した矢先である。

 蒼太の両足の甲の上に乗っかったなにか、、、。人肌に温かく、蒼太の靴下の上からおもちのような柔らかい感触が伝わる。


『ん?』となるのは当然だろう。

 テーブルから上半身を離し、掘りごたつの中に視線を向ける蒼太。

 そこには生地の薄い黒タイツにまとわれた細い脚が蒼太の足に伸びていた。


「……っ!?」

 1秒、そして2秒が経ち理解する。


「『もし本当に琴葉が男とのサシ飲みが初めてならこの飲み代は全部俺が持つよ』との蒼太さんの言葉を私は聞きましたので」

「い、いやいや!? ちょっと待って!? さすがに嘘だよねそれ!」

「ふふふっ、ではどう証明すればよいですかね?」


 顔を朱に染めた琴葉は瞳を細めて口元に手を当てている。

 その表情を見ただけでは誰も気づかないだろう。

 タイツの履いた足の指をゆっくり動かし、もぞもぞと蒼太の足の甲を掘っていることに……。


「えっ、あ……とあ」

「ん? その返事はどう言う意味でしょう?」

 初めて、、、そんな攻めを食らっていた蒼太はそっちの意識を取られタジタジになっていた。

 その一方で、今度は蒼太の足を滑り台にするようにして足の底で優しく撫でる……本当に楽しそうな琴葉であった。


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