第47話 握られる手
「本当いい店だなぁ……。琴葉がオススメするのも納得だよ」
「ふふ、それはよかったです」
居酒屋アンジュは琴葉が先に予約を取ってくれていたため店員に誘導されスムーズに客席に移動した二人。
この個室には座布団が4つ置かれ、
掘りごたつ付きの大きなテーブルがあり、店の通路側は
二人は個室の空間を選んでいるが、開放的に飲みたい場合には障子を開けた状態でもいいらしく、その時の気分によって二つのシュチエーションを楽しむことができるらしい。
今日は土曜日ということもあって客の入り度は多いが、そこがまた居酒屋特有の雰囲気を感じれる。
「……さて、今日は飲みのルール等は気にせず互いに好きなものを頼みましょ? 正直、これは私の願望なんですけどね」
「俺も同意だから気にしないでいいよ。やっぱり会社の飲み会とかになると疲れるしね。気を遣い続けるっていうか……」
「ありがとうございます。そうですよね。飲みの最中に上司からマナーの指摘を耳に入れたりしますと気分も落ちますし……。社会人でこれを言うのはどうかとは思いますけど、やはり親しい仲でなければ飲みには参加したくないですね」
会社の飲み会は強制参加がデフォルトであることも多いだろう。中には飲み会代が給料から事前に引かれてしまう会社も……。
嫌々参加している社会人、その中の一人が琴葉である。……が、琴葉側の社会人の方が割合的には勝っているのかもしれない。
「お、つまり琴葉は俺のこと親しく見てくれてるんだ?」
「もちろんです。私たちは一つ屋根の下で暮らしているわけですから」
「言い方は間違っちゃいないけど、誤解されてもおかしくないなぁそれ」
「ふふっ、今日はそのようなスリルを味わいながら楽しみましょうか」
「まぁそれも面白いのかもね。了解っと」
飲みのスイッチはもう入っている。お互いにテンションが上がりつつある。
「とりあえず注文決めましょうか。私は生を頼みますけど蒼太さんは何を頼まれますか?」
「俺も生で。あとはキュウリの叩きお願いしようかな」
「では私は揚げ物を……このイカリングを頼んでおきますね」
「いいねー」
速やかに最初の注文が決まった二人。琴葉はテーブルの端にある電子音タイプの呼び鈴チャイムを体を伸ばして押す。その際、
「むむっ……」
なんて可愛らしい小声が漏れていた。
『ピンポーン』
その音が店内に鳴り少しの時間が経過。
——閉められた障子からノックがされ、ゆっくりと開けられながら店員の声が発される。
「失礼いたします。ご注文をお伺いいたしま——って琴葉さんじゃないですか! お久しぶりぃ!」
「あっ、お疲れさまです。今日は出勤されていたんですね」
と、突然に顔見知りの会話が始まった。
琴葉を見た瞬間にニパッとした笑顔を作って接客口調を崩すボーイッシュな女性店員。
「そうそう。残念なことに出勤ですわ〜。いやぁ、入店時に案内できなくてすみません。今日もクソ忙しいもんでホント人件費ケチんなって感じですよ」
「一言一句漏れのないように店長さんに報告しましょうかね?」
「アハハッ! 内緒で頼んますよ!」
楽しそうな雑談をしている矢先、女性店員が視線を変えて蒼太を視界に入れた。話しかけるタイミングを伺ってはいたのだろう。
「ってか琴葉さん今日は彼氏連れじゃないですかぁ! ひー、レベルの高い彼氏さんと来ちゃってぇ!」
「お世辞をどうも……と、初めまして、琴葉の
「いえいえゆっくりしてって下さいな! あっ、それで注文の方はどうされます?」
「生を二つにキュウリの叩きにイカリングをお願いします」
「かしこまり〜! それでは少々お待ちを!」
琴葉の声を聞いてササッと注文のメモを取った女性店員はすぐに去っていった。務めているこの居酒屋に対し文句を言ってはいたが、かなりデキる店員……頼りにされていることに違いないだろう。
「……」
「……」
ここで一間が空き、琴葉はクスッと微笑んだ。
「蒼太さんも食えないですね。あんなにも平気で嘘をつくだなんて」
「ちょっと悪いことをしたけど、今日はこんなスリルを味わいながらーって話だったから。否定するぐらいなら思う存分に役得の彼氏を楽しもうと思って」
「私の彼氏で役得……ですか? 蒼太さんのことですからもっと素敵な彼女さんがいたのでは?」
「いないいない」
片手を振りながら分かりやすくアピールする蒼太。実際にこれは事実である。
「ふふっ、軽く返される辺り黒だとは思いますが……それでは役得を楽しみやがりくださいな」
「そりゃあもちろん。楽しみやがらせてもらうよ」
「ふふふっ」
「ははっ」
同い年と言うのはいつになく距離が縮まりやすいものだ。
アルコールを含んでいない今の段階からいい雰囲気が漂っている。
「それでちょっと聞きたいことがあるんだけど、さっきの店員さんと琴葉はどんな繋がりがあるの? かなり仲よさそうだったけど……琴葉ってこの店の常連だったり?」
「いいえ、今日が4回目なので常連とは言えないですね」
「へぇ……。4回目でもあんなに店員さんと仲良くなれるもんなんだ?」
「それはあの店員さんが特殊だからですよ。私がこのお店に初めて来た時なんですけど、あの店員さんにしつこく年齢確認をされまして……それでお互いに印象に残っていると言いますか……」
「ハハハッ! なるほどね」
「笑いごとじゃないですよ?」
「ごめんごめん」
もしかしたらコレが小雪の言っていた居酒屋で起こった年齢確認の件だと悟った蒼太である。
「仲良くなる理由はわかったよ」
「失礼でしたので本当は怒りたかったですけど、店員さんは仕事で確認をしているので仕方がないですもんね。……仕事外で同じことをされたらもちろんパンチで攻撃をしてましたけど」
すぐにジト目を作り、口を尖らせ、右手に力を入れて握りこぶしを作った琴葉だ。不満時の感情がとても豊かである。
「おー怖いなぁそれは」
「蒼太さんー。最低でも『怖い』に感情を乗せてください」
「うーん、乗せたいのは山々なんだけど……実際のところチカラあんまりないんじゃないかなぁって思ってね?」
「そんなことはありませんよ。これでも力持ちと言われるんですからね、私は」
「えぇ……」
「む。その疑いの目はもう見逃せません……。では握力で私と勝負してください」
「もちろんいいよ」
二人の身長差は20cm以上ある。この身長差と性別の関係もあり、どちらに軍配が上がるのかはお互いに理解していること。
ただ、琴葉は
「じゃあはい」
蒼太は琴葉の利き手である右手をパーにして差し出す。
「……で、では握ります……。本気の評価をくださいね」
「了解」
「……い、いきます」
どこか緊張した面持ちで一言。
次に琴葉は蒼太の手を握った。柔らかく、白く小さい手を絡ませた。
掴まれたことを確認した蒼太は大きな手で琴葉の手を包みこみ、逃場を塞ぐようにむぎゅっと優しく包む。
これで握力勝負に準備が完了する。
……だが、なぜか琴葉は動かなかった。熟れた林檎色のまるい瞳を握られた手に向けて固まっている。
今、なにが起こっているのか。……自身の発言の大胆さに気づいてしまったのだ。
これは握力勝負とは外れていた。もう蒼太からの握手だ。それも……
「ほら、チカラを入れて琴葉」
握力勝負と意識しかない蒼太には照れる要素がない。
「っっ!?」
しかし、琴葉は違かった。
——その蒼太の声で我に返ったのか、まばたきを数回。
顔を上にあげ視線が絡み合った瞬間である。
「……」
雫がしたたり落ちるように顔が下がっていく琴葉。
最終的に蒼太が見えるのは琴葉のつむじ。小さく整った顔は全く見えないが、両耳は瞳以上に赤みを増していた……。
それがフィニッシュである。
「こ、ここここ降参です…… 。降参、します……」
「えぇー!? まだ勝負してないよ!?」
この男らしい手の感触……。大きく包まれる感触は琴葉にとって効果ばつぐんで効いてしまうのだ。
性知識はある琴葉だが、このような異性慣れはひよりと同レベル……。
この件は琴葉の飲みのペースを早めるスイッチをONにもさせてしまったのである。
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