第23話 小雪と美麗の震え
「や、やばい……これはやばい。これは成功した……」
コトコトと煮込んでいる鍋を見ながら独り言。キッチンに立つ蒼太は瞳を輝かせながら自画自賛をしていた。
蒼太の左手には小皿。その上には鍋から取った煮物がある。蒼太は煮物の味見をして感想を言っていたのだ。
今日の夕ご飯は
「こ、小雪さん、仕事中にすみません! ちょっといいですか!?」
「ど、どうしたの?」
オープンキッチンからリビングに声を飛ばす蒼太。アクセサリー作りで手先を動かし続けていた小雪は手を止めてこちらに振り返った。
「ちょっとこの煮物を味見してくれませんか!? 本当に美味しくできまして」
「ふふっ、自らハードルを上げるなんて……期待しちゃうわよ? 煮物は大好きだから」
新しい小皿と箸を用意した蒼太は熱々の煮物を注いで小雪の元まで持っていく。
小走りで向かっている様子からは興奮が伺える。
「今日のおかずをリクエストしたくらいですもんね? でも勝負できるくらいあると思います」
蒼太は堂々の自慢しているわけではない。美味しくできた料理を食べさせたいだけ。料理を作る側としてはやっぱり『おいしい』と言ってほしいのだ。
「じゃあ……いただきます」
「ど、どうぞ」
手を合わせ、箸を持とうとする小雪。
「——っと、その前に手を洗わなくちゃね」
「で、ですね」
緊張の一瞬を迎え、その一言に二人して苦笑いをする。
手洗い場に向かった小雪は再びリビングに戻ってくる、
そんなワンクッションがあり——味見が始まる。
「……」
「……」
小雪は蒼太の作った煮物をモグモグと咀嚼する小雪。素材を味わうようにニンジンからレンコンから鳥肉を一つずつ食べていく。それも感想を言うことなく無言で……。
「…………」
「…………」
静寂に包まれるリビング。小皿に入った煮物を全て食べ終えてもなお……声を出さない。
「え、えっと……こ、小雪さん?」
この空気に耐えられずに感想を促す蒼太。声を耳に入れ視線を絡め合わせる小雪。面持ちに変化はない。真顔である。
「な、何を言われないのが一番怖いんですけど……。も、もしかしてマズかったですか!?」
「ち、違うわ。……ソウタさん、もう少し大きめのお皿に煮物を注いでくれるかしら」
「えっ!?」
「お、美味し……かったから、今、もう少し食べたいの……」
小皿に上に箸を置き、目を伏せながら伝えてくる小雪。
食い意地が張っていると思われるのが恥ずかしいのだろう、チラチラと上目遣いをしながら照れた様子を見せている。
「あっあははっ、それでしたら早めの夕食を食べますか?」
「えっ、それっていいの……?」
「もう作り終えているので18時を待たないと食べられない……みたいなルールは別に守らなくてもいいと思うんですよね、自分的には。やっぱりできたてを食べてほしいですから」
「か、管理人さんがそう言うのなら……お願いしたいわ」
「分かりました。すぐに用意しますね」
「ありがとうソウタさん。わたしは仕事道具を片付けるわね」
「お願いします」
現在の時刻は17時32分。
28分夕食の提供時間は早いが、これこそ管理人権限だろう。
蒼太は再びキッチンに戻り、お皿に盛り終えた夕飯をお盆に乗せていく。
今日の献立は煮物、お刺身、もやしとニラの卵とじ、和風オニオンスープの4品。
昨日は洋食であったために今日は和風で攻めていた。
「お待たせしました」
時間にして3分。お盆に料理を乗せた蒼太は小雪の元に配膳した、そんな時である。
『ガチャ』
玄関の開く音がリビングにまで聞こえたのは……。
「お、誰か帰ってきましたね。出迎えしてきます」
「ソウタさん、わたしも行きましょうか? 『ただいま』の声が聞こえなかったので美麗ですので」
帰宅時、玄関からリビングに向けて挨拶するのはひよりと琴葉である。それがないと言うことは消去法で美麗しかいない。
「そのお言葉はありがたいんですけど遠慮しておきます。美麗さんにだけクッションを挟むようなことをしたら失礼ですし……印象も悪くなると思いますので」
「そ、そう……?」
「自分は平気なので任せてください」
心配そうな小雪に笑顔を向けた蒼太は平然と玄関に向かっていく……が、内心は少し怖がっていた。
今日は何を言われるのかと……。当然の不安である。
****
そんな気持ちを抱えたまま廊下に出た蒼太は玄関に体を向ける。
昨日と同様、こちらに背を向けてローファーを脱いでいる美麗がいた。誰が帰ってきたのか、小雪から教えてもらっていただけに心構えはできている。
「お、おかえりなさい、美麗さん」
「……っ」
昨日の反省を生かし今日は玄関に近づかない。廊下に出た瞬間に足を止め、距離を開けて出迎えの挨拶をする。
その声を聞いた美麗はピクッと動きが止まり……またすぐに動き出す。
「……今日の学校はどうだった?」
「……」
相変わらずの無視に重苦しい空気が生まれる。
ローファーを靴棚に入れた美麗はそこでようやく蒼太に振り返った。
二階に向かうには絶対に廊下側に正面を向けなければならない。この状況は当たり前でもある。
「……」
「……」
目が合った瞬間、美麗も美麗で一歩も動かない。そして……罵声は浴びせてこなかった。ただただ蒼太を殺すような鋭い目つきで睨んでいる。
「……お、おい」
そこで初めて美麗に話しかけられる。ヤンキーのような第一声を。
「な、なに……?」
「み、右手……ま、前に出し……出せ」
「えっ……右手?」
「早く、して……」
美麗が高圧的な口調に変えている理由……。それは下にみられないようにするため。
いじめや暴力を受ける理由は単純、相手が下の立場であるから。弱いものと認識されているから。
過去を引きずり続けている美麗は、自衛のためにこの口調を作っているのである。
「わ、分かった……。み、右手だね……?」
蒼太は刺激を与えないように美麗の指示に素直に従う。その場で右手を前に出した。美麗との距離は10mほど。
「手……ひ、開け……」
「は、はい……」
追加の要求にグーの形からパーに変える。
「……手の甲、し、下にして」
「はい……」
次に美麗に指示に従えば、『ちょーだい』とするような手。
この時点で何が目的なのかはさっぱりである。
「そ、そのまま……う、動くな。ぜ、絶対……」
「わ、分かった」
「もし動いたら、な、殴るから……」
「は、はい」
ここでも素直に返事をした矢先である。
ギィと少しだけ床が軋む音。
「……っ!?」
蒼太は目を見開いて固まる。
美麗が一歩ずつ、ゆっくりゆっくりと蒼太に距離を縮めてきているのだ。
恐ろしく怖い形相で、右手を拳型変えて……。
よくよく見れば全身が震えていた。
異性という恐ろしさに耐えているのか、はたまた異性に対する怒りを押し留めている結果なのか、全く判断はつかない。
ただ、動けば殴られるということは確定されていること。
恐ろしいプレッシャーに息をすることも忘れる蒼太。
時間の経過と共に一歩、また一歩。
そして美麗が手を伸ばせば触れ合うほどの距離になった……。
「……ぅ」
言葉にならないような声が美麗の口から漏れた。次に小刻みに震えた細い腕が蒼太の広げた右手に伸びていく。
『な、何をする気!?』
予想外の行動にさらなる恐怖が蒼太を襲った瞬間である。
「……っ!!」
拒否反応を示すように震えの増した美麗の右拳が開かれた。
その途端、蒼太は銀色と金色の硬貨を視界に入れる。次に手のひらにその感触が伝い、弾かれるように高い位置から床に落ちる。
床に硬貨がぶつかり甲高い特有の音が廊下に響き渡った。
このアクションが美麗の最後。
「ッ」
内情を噛みしめた美麗は蒼太の横を駆け抜け、逃げ去るように階段を登っていった。
「えっ!? な、なに!? 何!?」
状況を何も掴むことができず、頭が真っ白になる。
階段を駆け上がっていく美麗の背に視線を向け、次に床に転がった硬貨を見る蒼太。
「700円……」
100円玉が2枚。500円玉が1枚。
とりあえず全ての硬貨を拾い上げ、蒼太は首を大きく傾げる。
「な、なんで720円……? これ俺にくれるってこと……? え、どういう意味……?」
何に対しての700円なのか理解に苦しむ。眉間にしわを寄せ、どんな意図があるのか頭を回転させようとした時である。
視界の端にもう一つの
「な、なんだこれ……」
それは正方形に畳まれた小さな紙。
(掃除した時には落ちてなかったはずだけど……)
思うことはこの一つ。スッと紙も拾い上げる蒼太は両手で折り目を開いていく。
四つ折りにされた紙を全て開いた瞬間である。
「……えッ!?」
そこには、予想もしないメッセージが書かれていた。
『軽食ありがとう。余計なお世話』
『余計なお世話』の文字は大きく、『ありがとう』には何か想いがあったのだろう震えを刻んだ文字。正真正銘、美麗が書いた手紙……。
「うん……。やっぱり悪い相手じゃないんだよな。美麗さんは……」
蒼太がそう思うには十分の行動をしていたのだった。
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