第45話 琴葉の躱し方
11時45分から12時50分の1時間に昼休憩を組まれている琴葉は、ビルの中にあるカフェでランチを取っていた。
琴葉のような受付嬢はこの昼休憩時間にも制服を着用ルールがある。
レストランや社員食堂に行った場合、意外と目立つだけでなく制服に匂いが移ったりもする。
ありとあらゆる可能性を考慮し、こうした落ち着きのあるカフェなどで過ごしているのだ。
琴葉は平日には1回から2回、このカフェに顔を出す常連客だ。店員に覚えられ、注文時には雑談などを交わすほどである。
そして、店側は琴葉は休憩で立ち寄っていることはしっかりと理解している。琴葉が席に着いた時にはそれ以上話しかけるようなことはしない。
要は休憩の邪魔をしないようにしてくれているわけである。
今日はサンドウィッチと紅茶の二品を頼んでいた琴葉。その簡単な食事を終え、今はスマホから猫動画をずっと鑑賞していた。
「ふふっ、可愛い……」
琴葉のスマホ履歴には毎日のように『猫』のワードが調べられている。
そんな猫好きの琴葉ではあるが、相性最悪と言える猫アレルギーを持っている。実際に猫に触れることができないからこそ、こうした触れ合い動画で感情移入しているのだ。
とろけたような顔を浮かべながら休憩終了まで残り30分を切る。
猫種、スコティッシュフォールドの動画を見終わった琴葉は次の関連動画をタップして胸を高鳴らせている。
そんな充実した時間を過ごしていた矢先だった。
「あれ、琴葉ちゃんいるじゃん」
「っ、あ、お疲れさまです」
カフェの注文窓口から呼ばれた琴葉。スマホから視線を変えればそこには別の課である斎藤がいた。異性ではあるがお互いに顔も知る仲であり、琴葉をよく飲みに誘ってくる相手でもある。
3つ歳が離れた相手である分、すぐに気を効かせる琴葉はスマホの電源を落とした後、立ち上がって対面にある席を引いて斎藤の到着を待つ。
「座っててよかったのに琴葉ちゃん」
「このくらいはさせてください」
「オレは気にしないのになぁ」
注文を終えた斎藤は引かれた椅子に座って琴葉と対面する。ランチを共にする、そんな形である。
「悪いね琴葉ちゃん。もう食べ終わっちゃってるけど、お腹に入るものがあれば何か奢るよ?」
お盆にパスタとハンバーガー、ルイボスティーを乗せた斎藤は明るい笑顔を浮かべながら琴葉に優しい言葉をかけていた。
「ありがとうございます。でももうお腹いっぱいなので」
「そう? 遠慮しなくていいよ?」
「もしかして私を太らせようとしています?」
「ハハハッ、そんなわけないって」
「では、今回はお断りさせていただきますね」
と、営業スマイルで断る琴葉だが実際にはお腹がいっぱいになっているわけではない。が、これは斎藤に遠慮していると言うわけでもない。
琴葉は午後の仕事に影響が出ないように食事量をセーブしているのだ。
「タイミング悪かったかぁー。なんかごめんね」
「ふふっ、斎藤さんが謝ることはなにもありませんよ。また次の機会にお願いします」
「了解、じゃあまた機会があればってことで」
「斎藤さんは今から休憩ですか?」
「そうそう。本当はファミレス行く予定だったんだけど、連れが弁当持ってきててこっちに来たってわけ。琴葉ちゃんは?」
「私は30分ほど前に休憩をいただいているので残り10分ほどで戻らないとですね。お化粧直し等もあるので」
受付嬢はシフトがきっちりと管理されている。要はオンタイムで動かないと必ず業務に支障をきたすと言っていいだろう。業務として会議室の管理もしているため、時間には余裕を持って、時間調整をしながら動くことが習慣化されているわけでもある。
「女性は大変だねぇ。休憩時間でそんなこともしないといけないって」
「それは一理ありますけど、おめかしをするのは苦ではありませんから」
「オレ思うんだけど、琴葉ちゃんって化粧しなくても十分通用すると思うよ?」
「ありがとうございます。ですけど、やっぱり自信が持てるのはおめかしをした姿ではありますので」
斎藤の褒め言葉にも照れることなく澄ました顔で答える琴葉。かなり大人な対応をしていると言えるだろう。
「みんなが琴葉ちゃんを頼りにしてる理由が分かるよ」
「私はまだまだですよ? みなさんにサポートをしてもらっているばかりですから」
「謙遜してるなぁ。琴葉さんの仕事ぶりは耳にしてるのに」
「ふふっ」
琴葉が斎藤相手に接する時と、蒼太相手に接する時では確かな違いがある。
それは——琴葉が促す話題にプライベートなことは一切含まれていないと言うこと。
だが、これは出勤時の琴葉が当たり前に行っていること。さりげなく異性と距離を取ってコミュニケーションを取っているのは第三者しか知らない情報だろう。
「あのさ、琴葉ちゃん何かいいことあったの?」
「えっ? どうしてですかいきなり……」
「いやぁ、本当にいきなりなのはごめんなんだけど、なんか嬉しいことがあったような顔をしてるなぁって思って」
「心当たりがあるとすれば先ほど猫の動画を見ていたのと……今日が金曜日だからですかね。明日明後日が休みになりますから」
「ハハッ、なるほどなぁ」
とある人物との飲みが楽しみ。そんな事実を完全に伏せている琴葉。この斎藤には『お酒は控えている』と飲みの断りを入れたばかりであったのだ。
「でも、それだけじゃあ顔に出ないと思うんだけどねぇ? もしかして土日に誰かと遊ぶ約束してるとか?」
「ふふっ、そうですね。私も大人の女性の一人ではありますからそんな予定が入っている可能性もゼロではないかと」
「ひー、モテる女性は言うことが違うねぇ。オレもそんなことが言えるようになりたいよ」
「……あら、先月に斎藤さんがとある女性からの想いを断ったと私は聞いていますよ」
「ん!?」
「そのような情報はすぐに回ってきますからね」
琴葉はこの瞬間、口元に手を当てながら微笑を作っていた。嘘を見破ったと言わんげの顔だった。
幼げの容姿にこの表情のギャップ。それにやられた男性も数知れず——。
「では、私はそろそろ受付に戻ることにしますね。偶然とはいえ密会のようになっていますので」
『その女性から反感を買わないように』
とのニュアンスを含ませて琴葉は、一礼をした後に椅子から立ち上がる。完食したサンドウィッチと紅茶が載ったトレイを持ってもう一礼する。
「それでは、午後も頑張りましょうね斎藤さん」
「お、おう……了解!」
この最後の挨拶でニコッと微笑んだ琴葉は、真っ直ぐな姿勢でトレイを返却口に直して去っていった。
その後ろ姿を斎藤と
もう一人は当たり前にレジから客席に向かい、声をかけていた。
「また振られましたね、サイトーさん?」
「そのからかいはやめてくださいよマスター……。ってかこっちの様子見ないでくださいって」
「どうしても気になるんですよ。あんなにあからさまな好意をぶつけていましたら」
「マスター、今日の琴葉さんなんか楽しそうじゃなかったですか?」
「土曜日の夜から約束があるらしいですよ」
話した内容を直で伝えるマスター。それは斎藤にとっての火の玉ストレートだ。
「夜ぅ!? な、なんかデキたっぽいなぁ……もー! 誰だよぉ取ったやつ……!」
「サイトーさんのポテンシャルは高いと思うんですけどね? さすがはコトハさんと言うところでしょう」
「ちくしょーだぁ……」
こんな想いを寄せる男性の多い琴葉との飲み。
蒼太は間違いなく役得をせしめていた。
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