第93話 異国と卒業時期

 異国の地——時期は8月である。

 ガラスのような透明度をした青海が広がり、天高く建てられたホテルが立ち並ぶリゾート地。

 炎暑を思わせるような強い陽光から肌を守るようにビーチパラソルに身を潜めている水着姿の人物は、眠たそう……と思われてもおかしくないジト目でスマホをいじっていた。


 今、スマホで開いているのはチャット&通話アプリであるLAINである。

 その人物は華奢な指先を下にフリックして500人以上の友達の中から目的の人物を探していた。

「あ……」

 そして、探す手間を省くための方法を思いついたのだろう。

 検索ボタンを押すその人物は、『koyukiこゆき』と打ち込みすぐに表示させる。


「……可愛くなってる」

 小雪のアイコンがアーティスティックでオシャレなイラストに変わっていることに気づき、素直な感想を漏らすも目の形が変わることはない。

 そのまま電話マークを押し、ショートの黒髪から出る耳にスマホを当てて返答を待つ。


「あれ、むこうは何時かな……。やばいかな」

 呼び出し音を聞きながらの独り言。迷惑をかけないために時差を確認しての電話をするのが普通だが……この人物は少し抜けていた。

 それでも、電話をかけた先の実際の時刻は18時過ぎ。電話をかけるにはちょうど良い時間。

 6コール後のこと、その電話が取られたのだ。


『もしもし、サキ!?』

「やー、咲だよ。ひさしぶり」

 喜びや驚き、そんな驚嘆の第一声を出す小雪に普段通りに返す咲。


『お久しぶり……って前も言ったでしょう、留学してなかなか会えないのだから連絡回数を増やすようにって。連絡がなかったから心配していたのよ?』

「咲、連絡したよ?」

『えっ? わたしの方にはきてないけれど……もしかして通信に障害があったのかしら……』

「あ、したのママかも……。ごめん……」

『もぅ……なによそれ。でも相変わらずの咲で安心したわ』

「うん、小雪も同じ」


 クスッとした笑みが小雪から聞こえ、咲もまた同様に返す。

 お互いに久しぶりの声を聞く。ゆっくりとした会話を広げたいが……それはお互いの環境が邪魔をする。


 ビーチパラソルに身を隠す咲の隣を男女のグループが横切った。

 海が目の前に広がっているからか、うるさいくらいの声量で会話しており当然、小雪の耳にも届くことになる。


『そっち方は少し賑やかな声が聞こえるけれど……今は外に出ているの?』

「うん。こっちは今お昼でビーチにいるの。もう汗いっぱい」

『外に出ればそうなるでしょうね。それにわたしからしたら羨ましいわよ。そっちの海は透き通っているくらいに綺麗でしょう?』

「うん。綺麗だけどクラゲいそう」

『いそうじゃなくていると思うわよ? あっ、脱水症状と熱中症にはちゃんと気をつけるのよ。この時期は何かと事故が多いから』

「ありがとう。でも大丈夫。パラソルの中で休憩してるから」

『ふふっ、カタツムリのようにこもっている姿が目に浮かぶわ。友達と来てるでしょうからちゃんと遊びなさいね』

「うん」

 そうして、咲の方から聞こえた賑やかな声から広がった会話だが——次は小雪側からもである。


『そ、蒼太さん。本気を出すなら今のうちですよ……?』

『えっと……琴葉さん、そーたが本気出したら全部真っ黒になるんじゃない?』

『1対9だ……』

『あ、あはは、それじゃあ本気出そうかな』

『い、今のは手加減をしてって合図ですよ……』


 咲が耳に入れるのは琴葉とひより美麗。そして知らない男の人の声。


「そっちも賑やかそう」

『廊下で通話しているから聞こえたのね? 今、新しい管理人さんとご褒美をかけたオセロをしているのよ』

「新しくきた男の人? 静子おばあさんのお孫さんだっけ」

『ええ。ソウタさんって言うのだけれど本当に素敵な方よ。サキにも会ってほしいくらい』

「ん? 雪がそんなこと言うなんて珍しい……。本当に珍しい……」

『……確かに珍しいかもしれないわね』

「もしかして好き? 雪はその人のこと」


 これまた意外そうな声色で切り込む咲だが、小雪は確信を掴ませない。

 軽く受け流すようにこう言うのだ。


『それはわたし以外に聞く方が面白いと思うわよ。わたしの反応が一番つまらないでしょうから』

「それは雪以外、みんな好きになったってこと? 寮のみんなってチョロくないから信じられない……けど。特に男の人が苦手な美麗は」

『ふふっ、これ以上この件を口にすると敵が増えちゃうから咲が自ら確認をしたらどうかしら。私だけに連絡を寄こすってことはないでしょうから明日明後日にでも他の入居者に電話をするのでしょう?』


 わたしが年長だから一番先に連絡を入れたのよね?

 そんな意味合いを含ませた小雪である。


「うん。それじゃあひよりと美麗に聞く。琴葉は雪と同じような反応すると思うから」

『ふふっ、それじゃあひよりと美麗の今の状況だけ教えておいてあげるわね。これを参考にするといいわよ』

「聞きたい。教えて」


 そうして、小雪から聞くのは咲が想像すらしないこと。


『ひよりは今、ソウタさんの背中にしがみつきながらオセロを観戦をしているわ』

「……え?」

『そしてそんなひよりを美麗は引き剥がそうとしているわね。強くくっついているから引き剥がせないと思うけれど』

「な、なにそれ。何が起こってる……」

 留学する前とした後での環境の違い。これに衝撃受ける咲は初めて眠たそうな瞳を大きくする。海にも負けないほどの綺麗な琥珀色の瞳が露わになった。


「本当に何があったの……」

『ふふっ、咲もこうやって甘えるようなことになれば面白いわね。彼氏を作っていないのなら十分に甘えられるでしょう? ソウタさんは咲の一つ上、先輩でもあるから』

「勉強をするために留学したから彼氏は作ってないよ。あと、多分それはできない」

『あら、多分、、、なのね? つまり可能性はあると』

「ううん。そっちじゃない。その人には会えないの、多分」

『えっ? 咲は寮に籍を残しているから十分会えると思うのだけれど……もしかしてお引っ越しをするつもりなの?』


 蒼太のいる生活が当たり前になっていた小雪は失念していたのだ。

 永久的に管理人を務める蒼太ではないことを。命に別状はないが入院することになった祖母の代わりをしているのだと……。


 小雪も、琴葉も、美麗も、ひよりも、蒼太も。皆が知らない情報を咲は持っていたのだ。


「昨日、咲は静子おばあさんに連絡入れたの。9月に卒業が決まったからもうすぐ帰ってくるって。その時に言ってた。静子おばあさんは8月中に退院するって」

『……』

「だから、咲が帰ってくる頃にはその人は静子おばあさんと入れ替わってると思う」

『…………』

「小雪? もしもし?」

 沈黙が続き、電波を気にする咲だが不具合はなにもない。状況を理解に追いつかなかった小雪だったのだ。


『……聞こえているわよ、咲』

「……」

『そ、そう言うことだったのね……。もう退院の時期になったのね……』

「ごめん。言わない方がよかったかも」


 咲は頭で考えるよりも前に……無意識に謝っていた。

 小雪の声が震えていたことを聞き取っていたのだから……。

 それは、咲からして初めてのことでもあった。


『気にしないで。静子おばあさんの体調が良くなったのだからそれが一番よ』

「う、うん」

『電話をくれたところごめんなさい。わたし……ちょっと失礼するわね』

「わかった。また連絡いれるね」

『ええ、ありがとう……』


 ——その言葉を最後に小雪は電話を切った。

 ツーツーツ。

 通話終了の音が鳴り、切れた画面を見続ける咲は細い眉を寄せながら頭にクエスチョンマークを3つも浮かべる。


「雪は……好きなの? ん? みんな蒼太さんって人を好きになってるの?」

 管理人が変わる。その事実を伝えた瞬間に悲しげな声色を見せた小雪。それも、声を震わせて……。


 なにかしらの特別な感情がなければこうはなるはずがない。

 そして、今の会話からするにみんなが好きになっている……好意がある可能性もゼロではなくなった。


 あの雪が? あの琴葉が? あの美麗が? あのひよりが?

「一人ならまだしも……みんな? そんなのありえない……」

 咲は知っている。入居者の皆がそれだけレベルが高いのかを。そのような想いに対してどれだけガードが高いのかを。


「…………」

 スマホの電源を落とし、澄み渡った海を見ながら無言のまま蒼太という謎の人物を思い描く——そんな矢先だった。


Ohえっ! Still resting Sakiサキはまだ休んでるの!?」

 販売店で飲み物を買いにいったのだろう、友達の一人が偶然にパラソルに戻ってくる。

Yeahうん Just a momentもう少し待って

 一度頷き、単語を組み合わせて綺麗に発音をする咲。がしかし、その要望が通ることはない。今日、海にきた目的はただ遊ぶためではない。思い出を作るためだったのだ。


「モー! ソレダーメヨ! ネムネムソツギョ、モスーグダ!」

 ゴクゴクと、半分以上に減ったドリンクをさらに飲む友達はクーラーボックスに入れると笑顔で咲の手を取る。

『卒業が近いから今のうちにたくさん遊ぼう!』と言っているのだ。

 不慣れな言葉でも、なんとか形になっているのは『教えて!』と友達に頼まれ咲が先生役になったから。それくらいに二人の関係の強いのだ。


That's true確かにそっか……。Okわかった let's goすぐいく

Yesうんうん! Come on急ごうネムネム!」

 ネムネム。これは普段から眠たげな目をしている咲から取られたあだ名。

 少し焼けた太ももに巻いているポーチに防水防塵のスマホを入れる咲は友達に引っ張られながらトコトコと砂浜を歩いていくのだった。



 ****



 英語は赤点へ手を伸ばすわたしです。

 間違いがあればお教えください……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る