第52話 襲う蒼太、お蒼太

「すぅ、すぅ……」

「ぐっすり眠ってるなぁ……あはは」

 首を捻り、背中で気持ち良さそうに寝ている琴葉を見ながら蒼太は笑みをこぼしていた。

 外の空気を長い時間浴びていたこともあり、今はもう自制を保てるほどに酔いがさめているが、タクシーを利用することはなかった。

 乗り合わせの際に琴葉が起きる可能性をしっかりと考えていたのだ。

 

 琴葉の睡眠を妨げない一番の方法は歩くこと。そのため暗く静かな夜道を50分もかけて足を動かし、今はようやく女子寮のシルエットが見える位置にまで近づいていた。


「おいしょっと」

 下がってくる無抵抗な琴葉の体を上げ、蒼太は歩みを止めることなく進んで行く。——その脳裏ではあることばかりを考えていた。

 

「……」

 今回のお持ち帰りについて琴葉にどう言い訳しようかと。


 これは説明するまでもないが、ホテル、、、にお持ち帰りされる気だった琴葉と、にお持ち帰り気の蒼太なのだ。

 琴葉の酔いがさめたのならそれまでの記憶を高確率で思い出すことだろう。そしてなぜホテルではなく、寮にいるのかを疑問に思うだろう。


「と、とりあえず眠ってる相手には手を出せないって言うしかないよなぁ……。これで納得してくれるといいけど……」

 プライベート間のトラブルを仕事に繋げないように連絡先を分けている琴葉は、異性とのサシ飲みでさえも控えているほど。

 そんなガードの固い琴葉が、お酒に酔っただけで簡単に体を許すわけがない。

 何かしらの思いがあり、覚悟があっただろう……と、これが蒼太の見解である。

 

 結論を述べれば、あの雰囲気でヤる気がなかったとでも言えば琴葉が傷つくかもしれないのだ。


『据え膳食わぬは男の恥』

 この行動と真逆を行った蒼太は、それなりのアフターケアを取る必要があるとの思考をしていた——

(正直、本当に後悔だなぁ……)

 ——この素直な気持ちを混ぜ合わせながらも。


 悪党のセリフを借りたのなら、上玉の琴葉なのだ。その女性とのチャンスを逃したのだから当然だ。

 しかし、蒼太は人一倍に責任感が強かった。

 母の理恵から頼まれた仕事であるからこそ、あの状況で入居者に手は出さないとの行動が取れたのだ。


「って、当たり前の行動をしたのに後悔するなんて俺もまだ酔いがさめてないなぁ……」

 欲求に勝ち、今の行動が取れるあたり蒼太は立派な管理人をしているだろう。先のことを考え、理性を保てる行動を取れただけで上出来である。



 ****



 そこからさらに10分をかけ、蒼太は女子寮にたどり着いていた。

 スマホの明かりを頼りに真っ暗闇の中を歩く蒼太は、「やっちゃったなぁ……」と、呟きながら管理人室のドアをゆっくり開けていた。


「すぅ……すぅ……」

 その背中には未だおんぶされた琴葉がくっついたまま。

 蒼太は琴葉の部屋がある二階に行くことはしなかった。いや、行けなかったのだ。


 それは、管理人に課せられたルールがあるからである。

 どのような理由であれ、入居者に許可を取っていない場合、部屋への入室は禁止……と。

 飲みの最中にこの件を話すことができなかったのは蒼太のミスであり、結果、琴葉の寝場所は管理人室しか取れないのだ。


「おいしょ……」

「んんぅ……」

 蒼太は体勢を低くして管理人室に置かれたベッドに琴葉を優しく下ろす。体勢が変わったことで違和感があったのだろう、少しの反応を示した琴葉だが再び可愛い寝息を立てた。

 お酒が入っている分、かなり深い眠りに誘われているようだ。


 当たり前ではあるが、このような無防備な姿は普段の琴葉からは想像することもできないこと。

 優しい笑みをこぼしながら小さな体に布団をかけた蒼太は仕事を終えるようにリビングに向かった。

 

 同じベッドで寝るようなことをすれば寮にお持ち帰りした意味がない。それを一番に分かっている蒼太なのだ。


「はぁぁ、疲れたー……」

 テレビの前にあるソファーにドスンと体を落とし、疲労を吐き出すような声を漏らしていた。

 ポケットからスマホを取り出し、電源をつければ液晶には【2:19】の数字が浮かんでいる。


 暗い室内に明るい画面。蒼太は目を細めながら時計のアプリをタップし、朝の6時にアラームをかけた。

『朝食は作らなくていい』とありがたい言葉をもらっているわけだが、そう簡単に仕事を投げ出すことができなかった。最低でも様子見くらいは……なんて使命感を抱いてたのだ。


「大体……3時間か」

 スマホの電源を落とし、それが寝る前の最後の声。 

 睡眠時間をより多く獲得できるようにすぐに目を閉じた蒼太は5分もしないうちにに夢の中に落ちていた……。お酒の力はまだまだ抜けていなかったのだ。



 ****



「ねぇ、そこで何してんのマジで。おい、ねぇ!」

「ん、ん……」

 それから何時間が経っただろうか、硬いもので頰を突かれる感覚を蒼太は覚えていた。

 現在6時5分。一番に早起きした入居者は攻撃を加えていたのだ。

 

「リビングは寝るところじゃないっての。なんで管理人室行かないわけ? そこで寝たら疲れ取れないじゃん」

「んー」

 トゲのある声と同時に再び硬いもので突かれる蒼太は、ようやく重いまぶたを開け、ぼやけた視界で正面を見る。その瞬間に二日酔いの症状である気持ち悪さと頭痛が襲ってきていた。


 朝の6時にアラームをかけていた蒼太だが、実際に設定していた時間はそれよりも12時間後の18時。酔いにやられて、変な時間を指定していたのだ。


「お、おぉ……美麗……さんか。おはよう……」

 蒼太は歪んだ表情を作ったまま、ぼやけたピントの中で特徴的なピンクの触角を目に入れていた。

 そしてさっきまで突かれていたものが100円ショップでにあるマジックハンドであることには気づいていない。


「いや、おはようじゃないから。早くここから出てって。管理人室行って」

「え? いや……朝ごはん、あるから」

「なに言ってんの? それはしなくていいって言ったじゃん。今日はあんたの料理はいらないの」

「……じゃあ、見るだけ……でも」

「次それ言ったら蹴り飛ばすよ。早く管理人室行って。邪魔」

「えぇ……」


 二日酔いの状態、なおかつ寝起きで美麗との言い合い。出来レースであり勝てるはずなどない。


「早く。ってかそんな状態じゃ使い物にもなんないし。仕事したいならまず寝てよ。話はそこから」

「……」

「早く行って!」

「わ、分かった……」

 

 頭痛のする頭を押さえながら立ち上がる蒼太。その背中にマジックハンドを押し当てリビングから追い出す美麗。リビングから廊下に出た瞬間に閉められる扉。


「うー……」

 蒼太はフラフラと管理人室の扉を開け、銃撃されたようにベッドに倒れこんで寝息を上げた。

 

 蒼太はすっぽりと抜けていたのだ。

 普段は誰も入室することのない場所であるばかりに、とある入居者が寝ていることなど……。



 ****



 次話は琴葉さんSideになります。

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