第53話 side琴葉、反撃

 ——どこかから数人の喋り声が聞こえてきます。それが私の深い睡眠を目を覚ます起因になりました。


「んん〜っ……」

 私が発した寝起きの声。

 ずいぶん長く眠った感覚があり、体全体が心地よく痺れている。私は重たいまぶたを開けて、同時に大きな伸びを行います。


「あ、あれ……ぇ? こ、ここは……」

 違和感にはすぐに気づきました。

 私の視界には知らない天井が広がっていたんです。それだけでなく、私の体には初めて見る茶色のお毛布がかけられていました……。


「んー……?」

 でも、そのお布団はどこかで一度嗅いだことのあるような、落ち着く匂いがするんです。

 確かめるように? ううん、好きな匂いだったから……お布団をたぐりよせてクンクンと鼻を動かしていました。


「これはなんの匂いだろう……。ぅ、ふゎぁわ〜」

 満足感に包まれながら、ふわふわした意識の中では整理はつきません。

 抑えられないくらいの大きなあくびが出てしまい、無意識に口元を手で隠しながら私は上半身を起こしました。


 あれ? なんだか体がすごく気持ちいい……。

 疲れも、ストレスも全部がリセットされたような、そんなスッキリした気分でした。

 起きて早々の充実を感じる私は、あくびから出る涙を人差し指で拭う。


 この時には眠気も取れて、ぼやけていた視界もはっきりと映る。

 とりあえず……と、立ち上がろうと矢先でした。


「っ!?」

 ——私はありえないものを見てしまったんです。

 一瞬、おばけの腕、、、、、だと思いました。でも、それは誤解です。今もずっと私の視界の中にあるんです。重みもあります。

 それは間違いなく……実体。


「 なっ、なななな……!? 」

 布団の上だけど、私のお腹に大きな腕が乗っている。寝ている時にちょっと息苦しかったのはコレのせいに違いありません。


「ぐぅ、ぐぅ……」

「ぁ……!?」

 視線を変えようとした瞬間に聞いたのはそんな寝息……。


「え?」

 その音の根源に目を向けたら……私のベッドの横でうつ伏せになって熟睡してる蒼太さんがいたんです。

 なぜか、蒼太さんが……いるんです。


「……」

 なんで、なんでいるんでしょう!?

 驚きと動揺で言葉がなにも出てきません。でも、これが事実であることを理解した瞬間、目が回りそうなほどの緊張が襲ってきます。


「えっ、ぁ……えっ!?」

 わざとの反応なんかじゃないです。本当に驚いているからこその反応なんです。

 寝起きで隣に男性がいる。こんなことは私にとって初めての経験……。


「な、なんなんですか!?」

 変なテンションです。頭がいっぱいです。真っ白です……。だけど、この時に私はふっと思い出したんです。


 飲みの帰りのこと——


『据え膳食わぬはってことでいいの?』

『はい。して……いただけますか?』

『……じゃあ遠慮なくお持ち帰りさせてもらうよ。今めちゃめちゃ恥ずかしいんだけど』

『私も恥ずかしいので大丈夫です……』

『そ、それならいいんだけど……』

『……ふふっ、男性とのサシ飲みをするとこうなってしまうんですね。勉強になります……』

『お酒の力って凄いよなぁ』

『そう……ですね。現に男性のお体を求めてしまっていますから……』


 この恥ずかしい話を……。


「じ、じじじじじゃあここは!?」

 少ない情報量でホテルだと答えを導き出した私。でも、その回答にバツをつけることが起きました。


『ちょ、ひより!? なんでそんなでかいおにぎり作ってんの!? 朝からそんなに食べられないでしょ!』

『食べるもん! それに大きい方がお腹いっぱいになるのっ!』

『そもそもサイズはもうおにぎりとは言わないって! 食べやすいようにちっちゃいの何個も作ればいいじゃん』

『やだっ!』


 なぜかひよりちゃんと美麗ちゃんの楽しそうな声が耳に届いてきました。

 いっぱいいっぱいだった頭が冷え、次々と結びついていく状況……。


「こ、ここはもしかして……寮? 管理人室……なの?」

 よくよく見れば、カーテンとカーテンの隙間から見える先は寮の見慣れた廊下。


「……」

 ある程度の状況を理解した私は衣服の確認を始める。しかし、特に乱れた箇所は何一つありませんでした。激しく動いた後のような筋肉痛もありません。

 

 ここまでくれば私の身に何が起こったのか、全て分かります。分からないはずがありません。


「はぁ、そう言うことですか……。蒼太さんは私を食べなかったんですね」

 その理由は一つしかないでしょう。私が蒼太さんのおんぶで寝てしまったから……ですよね。


 酔って眠った相手に手を出さないのは、本当に蒼太さんらしいと思います……。

 本当にこんなにも信頼できる男性は他にいませんね……。さすがは理恵さんの息子さんです。


 でも、でも……私には残念でした。女性のみなさんなら分かっていただけると思います。

 男性と同じく、女性にも性欲はあるんです。

 ……なんと言いますか、お酒に酔っていたとはいえ、私はソレをするつもりでいましたから。お財布に正方形のものを入れて、準備していたくらいなんですよ……?


 私もこの年。おうまさんごっこをしたくないわけがありません……。

 最初は痛いと聞きますけど、蒼太さんなら信頼に値します。なにより慣れているでしょうし、優しく気持ちよくしてくれるのは間違いありません。


 小川さんも言っていました。

『酔いヤりは乱れるくらいに気持ちいいからねぇ……。オススメだよ』

 乱れるくらいってどのくらいなんでしょうか。

 正直、体験をしたかったです……。欲望に任せて、蒼太さんは私の体を求めていてもよかったですのに……。


「……もしかして私には魅力がないってことですか? 蒼太さん」

 紳士的な行動を取ってくれたことは分かります。でも、あの流れでしないのは男性としてどうなのでしょう……。

 お持ち帰り先をホテルではなく、寮にしているあたり、そのつもりはないことは明白です。

 ホテルでしたら、お昼帯にでもおうまさんごっこはできますから。

 この寮ではチャンスすらありません。


「……なんだか、してやられた気分です」

 ジト目を作って私は熟睡している蒼太さんに強い視線を送ります。

 紳士はいいことです。認めます。

 でも紳士すぎるのはいけないんです。これも女性なら同感していただけると思いますけど、酔った勢いだとしてもえちぃに誘ったのに答えない男性はダメなんです。


 私の気持ちとは裏腹に蒼太さんの気持ちよさそうな寝顔、ますます許せません。


 ——仕返し。

 その二文字が私の頭に浮かびました。


「ふふっ」

 憂さ晴らしをするようないい案が思い浮かびました。

 私はポケットからスマホを取り出して電源を入れ、写真画面に移動させました。


 もう、分かりますよね?

『パシャ』

 寝ている蒼太さんをいいことに私は正面から一枚写真を撮りました。ブレていないことを確認して『お気に入り』のマークを押し、フォルダーに移動させます。


「ふふ、可愛い寝顔です。100点ですね」

 ですが、私はこれくらいでは止まりません。

 今度は内カメラに切り替えた後、私はお腹に乗った蒼太さんの腕をゆっくりと退かして立ち上がります。


 今だに寝息を上げている蒼太さんの真近くでしゃがみ……あとは簡単です。

 残酷ではありますが、蒼太さんのほっぺたに人差し指を突き刺して私は頰を膨らませます。

 不満顔を作り、

『パシャ』

 今度はツーショットです。

 これまたいい写真が撮れました。そう言えば小川さんに言われていましたね。『飲み相手の写真を見せて』と。これで明日に見せられます。


 一つ、これだけは言わせてください。私は何も悪いことをしていません……と。

 蒼太さんも私が寝ている間にお好きなことをできた権利はありましたから、しなかった方が悪いんです。


「あっ」

 でも、これだけでは私が不公平アンフェアだと思いませんか?

 おんぶの際、蒼太さんは私の太ももや足に触れましたからね。


 女性ですが私は遠慮ばかりする性格じゃありません。蒼太さんのどこかを触ってもいい義務が発生します。


「いい……よね」

 私は無意識に向けてました。蒼太さんの、ズボンを……。い、今なら絶対に触れます……。


 私はゆっくりと手を伸ばし——

「っ!?」

 その寸前で我に帰りました。

 ばっ、バカですか私は! 度を越した行動であるのは考えるまでもありません。

 もし、今のをしてしまえば私は犯罪者でした。男性を痴漢したとして捕まってしまいます……。


 とは言え、ここまできたらどこかに触りたいです……。もったいないですから。


 蒼太さんの頭からどんどん下にいい場所がないかを探します。

 と、私は一つの箇所に目を止めました。


「背中……ならいいですかね」

 蒼太さんの背中、気持ちよかったです……。あんなに気持ちよく寝られたのは、おんぶのおかげかもしれません。


 触る箇所はココに決めました。


 私は横に伸びた蒼太さんの腕を移動させて、こうします。

 その背中に頭と手、、、を置きました。

 おんぶとは違う感覚ですけど、背中の感触と温かさは同じです……。


「私はなにも悪くありません。私に何もしなかった蒼太さんが悪いんですからね」

 この背中は、私のものです。

 頭を撫でられていたひよりちゃんにもう嫉妬することはありません。


 そうですね、せっかくですからここでもう一眠りすることにします……。

 ひよりちゃん達にバレる……そんなスリルが凄くありますけど、蒼太さんが私をここに連れてきたわけですから。

 ……ふふっ、美麗ちゃんのこともありますから、最悪の場合は白状しなきゃですけど。


「すぅ……。お布団の匂いは蒼太さんの匂いでしたかぁ……」

 すごく温かくて落ち着きます。

 次第に私のまぶたはすぐに重たくなりました……。


 背中に私の頭があるので蒼太さんは息苦しく思うでしょうけど、先ほどまで私も腕をお腹に置かれて同じでした。

 だから……我慢してください。

 これが紳士すぎるヘタレの蒼太さんに向けた私の反撃とします。異論はなにも認めません。


 それでは、おやすみなさい……。

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