第108話 咲と蒼太とできること

「わ。まだ起きてたの?」

「お疲れさま。うん、1時には寝ようと思ってるよ」

 日を跨いだ0時30分。

 右手にココアパックを持った咲はリビングの扉を開けた瞬間、驚きの声を上げていた。

 部屋リビングは照明がついておらず、テレビもついておらず、そんな人気のない場所でスマホの光を頼りに一人でご飯を食べている蒼太がいたからだ。


「なんで電気つけないの? 目が悪くなるよ」

「あぁ……この遅い時間にリビングからの光が漏れてると心配して様子を確認してくれる入居者がいるんだよね。だからそれの防止っていうか、睡眠時間を減らさないようにっていうか」

「そんなに気を遣わなくていいって咲は思う。もう一ヶ月もないから伸び伸びするべき」

「いやいや、一ヶ月もないから最後くらいは迷惑はかけたくなくってね

「ん? 今まで迷惑かけるようなことしたの? 咲にはそうは思えない」

「胸を張れるようなことじゃないけど……うん。入居者のみんなが優しくなかったら今の俺はここにいなかったかもね」


 夜遅くに未成年のひよりを連れ出したり、琴葉と管理人室で寝てしまったり、美麗を安心させるとはいえ抱きしめたり。


 必要なことだったとしても、許されたことだとしても、故意的でなくとも管理人としてのルールを破ってしまった蒼太なのだ。

 使命感が強いからこそ、その負い目は感じていた。最後くらいは真っ当にこなしたい気持ちでいっぱいだったのだ。


「えっと……それで咲さんはココアを作りにきたの? そのパックを持ってきたってことは」

「うん。そう」

「俺が作らなくて大丈夫? 咲さんはゆっくりしてていいよ」

 そうして立ち上がろうとした蒼太に咲は手を前に出す。『待って』とのジェスチャーだ。


「そうたさんはご飯食べてていい。咲は自分ができることは甘えないようにしてる」

「ははっ、それはいい心構えだね。わかった」

 バッサリと断れてしまう蒼太だが、咲からすれば食事を続けてほしかったからこその行動。

 決して気に障ったからの発言ではない。


 そうして咲はキッチンに向かい、蒼太は食事を続ける。

 夜が更けていることもあり、テレビがついてないこともあり、リビング内は静かである。聞こえている音とすれば咲がココアを作っている音にレンジで牛乳を温めている加熱音だ。


 しばらくの間、その生活音をBGMにするように食事を進めていた蒼太に——コンとテーブルに置かれるものがあった。

 蒼太の視界が映すのは香りのいいブラウン色の湯気立つ飲み物が入ったコップ。


「はい。そうたさんのも作った」

「お、俺の?」

「うん。飲んで睡眠物質取って」

「……ありがとう咲さん」

 見上げば咲もココア入りのコップを持っている。二つ作っていたようだった。


 刺身やお味噌汁、天ぷらなどが並ぶ和食にどう考えても合わない飲み物、ココアだが……咲の作ってくれた気持ちは嬉しい以外にない。

 ツッコミや文句など入れるわけもなく素直にココアを受け取った蒼太は感謝の言葉を伝えながら笑みを浮かべた。


「……え?」

 そうして、すぐのこと。

 自分用のココアをテーブルに置いた咲は蒼太が座る正面の席に腰を下ろしたのだ。


「なに?」

「えっと……ここに座るんだって思って。もちろん嫌って意味じゃないよ」

「まだ咲眠くないからおしゃべりする……じゃない。咲から話すことがあるから」

「咲さんから?」

「うん。大事な話だから真剣に聞いてほしい。そうたさんが起きててくれてよかった」

「わ、わかった……」

 今、咲が纏う雰囲気は初対面の時とは違う。

 目を逸らすことができないくらいに真剣なオーラを出していた。


 そのまま1、2秒の間を開けて咲は言ったのだ。


「——そうたさんは好きな人っている?」

「…………へ?」

「そうたさんは好きな人っている?」

「す、好きな人!?」

「うん」

 真剣だっただけに重たい話をされると勘違いしていた蒼太。不意を突かれた質問に呆気に取られた顔から頓狂な声を上げていた。


「い、いきなりそんなことを言われてもなぁ。仕事で精一杯ってこともあったからそんなことは考えてなかったことかも……」

「じゃあ質問を変える。入居者の誰かがそうたさんのことを好きだったら」

「えっ!?」

「好きだったらどうする?」

「……」

「答えて」


 華奢な体を持つ咲。年下の咲だが『絶対に答えるように』そんな圧を見せていた。

 さすが留学を経験した女性と言うべきか、一度決めたことの芯は力強いものがある。


「もし入居者が俺のことを好きだった……か。そうだね……。その気持ちは本当に嬉しいけど、付き合うことはしないかな。俺がその入居者のことを好いていても」

「なんで付き合わない?」

「教師と生徒が付き合えないのと同じで、管理人が入居者と付き合うといろいろな問題が出てくるからね。特に俺は母さんから頼まれた側だからそこのラインを超えることはできないよ」

「じゃあ、そうたさんが管理人をやめたら?」

「あぁ……それは問題がなくなるなら付き合…………あれ。ちょっと待って」

「事実、卒業した生徒と先生は付き合ったりする」

「確かに……」


 咲は確かめたかったのだ。入居者から想いを伝えられたとして蒼太がどのような反応を取るのかを。

『誰とも付き合わない』『誰とも付き合えない』

 そのように括っているのなら告白をしない方がマシ。答えが見えていることなら先に伝えて置いた方がいい。

 これが咲の見解であり、変えられない意見なら伝えておくべき……なんて思っていた。


「……そっか。そうだね、うん……。管理人って責任がなくなったら入居者の誰かと付き合うこともあるかも」

「わかった。それならいい」

「えっと、でもどうしてそんな質問を?」

「わ、琴葉よりもとぼけるの上手。咲はいきなりこんな質問をした。意図を察せないわけがないのに」

「……」

「察してないなら、もう少し踏み込む?」

「もっ、もう大丈夫。ごめん。察してるから……」


 蒼太は知らんぷりを続けるわけもなくすぐに折れた。

 管理人という立場が残っているだけに、踏み込まれれば踏み込まれるだけ状況が悪くなることは予想するまでもない。

 最後にもう一つ……、コレ、、は常日頃から感じていたことでもあったのだ。


「……誰とは言わないけど咲はお世話になってるからこんなこと言う。咲はその味方する」

「……」

 蒼太が察すことを確信に変えるように咲は言葉を上塗りする。

 ただ、好意を寄せている人物が誰なのかは絶対に匂わせたりしない。それは入居者を思っているからこそであり、蒼太のことも考えているからこそ。


「咲さんが何を言いたいのか……わかったよ。で、でもそれは怖いなぁ……」

「怖いのはそうたさんだけじゃない」

 ジロリと、視線を強いものにした咲は最後にこう伝えるのだ。


「——だから、そうたさんは逃げないで。好意にちゃんと向き合ってほしい」

『今日はそのためにこの話をした』なんて思いを含ませる咲はココアをゆっくり喉に流し込んだ。

 それは自身の心を落ち着かせるためでもあったのか、

『できることはしたよ』と、そんな意志も小さく閉ざした咲だった……。

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