第61話 美麗の優しさ
梅雨に入り3日が過ぎた。
『ザーッ』と振り続ける大雨。
雨は地面に大きく跳ね、水たまりには波紋が浮かび続けている。周りは白い霧が作られているようなそんな強雨の中、傘に当たる粒の音を聞きながらひよりと美麗は帰路を辿っていた。
「お、おおお! また雨強くなったね!?」
「それはそうだけどさ……今だに納得できてないんだけど。学校に行く前、折り畳み傘入れてるって話だったのに」
「うぅぅ……入れてると思ってたのーっ!」
今日、午後からの天気予報は降水確率は90%だった。
必ず降ると言ってもいいその確率で、今朝のうちに傘を持つよう促していた美麗だったが、傘を入れ忘れていたのだ。
現在、帰り道が一緒だからと美麗の傘の中に寄生しているひよりである。
「ちゃんと確認しなきゃダメでしょ。雨に濡れたら風邪引くし……。今日は用事がなかったからいいけど毎日一緒に帰れるわけじゃないんだからね?」
「次からは気をつけるっ! うん!」
「そんな元気のいい返事して明日には忘れてるのがひよりだけど……。今までに何回もあったし」
「そ、そうだっけ!?」
「自覚ないのがもうダメじゃん……」
ちゃんとして、と言わんばかりに半ば閉じた目をひよりに向ければその本人は誤魔化すような半笑いを見せている。
「全く……。ほら、もっとこっち寄って。体濡れるよ」
「えへへ、ありがとう」
「もっと近づいていいって。ホント世話が焼けるんだから……」
文句を言うように口を尖らせた美麗は空いた右手を使ってひよりの肩を力強く抱き寄せた。雨が強い分、密着をして濡れさせないようにしているのだ。
「美麗ちゃんからすごくいい匂いする……」
「そんなこと言わなくていいから」
「じゃあ心配してもらえて嬉しいなぁ……。えへへへ」
「調子に乗るな」
抱き寄せられているからと、猫が体をこすり合わせてくるようにスリスリしているひより。
だが、その行動を取るのは今の状況的に間違っている。
「あひゃっ!?」
そんな気抜けた声がひよりの口から漏れた瞬間である。視界を足元に向けていなかったばかりに、ベチャんと水たまりを踏み抜いたひよりだった。
当然、その水は大きく跳ねて美麗にまで飛び移る。
気持ち悪い感触。靴下に水が染み込んでいく。
「ちょ、ひより!? なんで飛び越えないわけ!?」
「ご、ごごごごめんなさいッ! ごめんなさい!」
変な足取りでなんとか水たまりから脱出するひよりだが、初手をミスした時点で終わりである。
「み、美麗ちゃんも濡れちゃったよね!? あっ、ハンカチハンカチ……!」
ポケットの中から拭きものを慌てて取り出そうとするひよりを美麗が止める。
「この雨の中にハンカチで拭いても意味ないって。寮に帰ってからじゃないとさ」
「そ、そうだね……。ごめんね、美麗ちゃん」
「アタシは靴下だけだからそんなに気にしなくていいけど……ひよりは大丈夫なわけ? 今の感じだと靴濡れてるでしょ」
「うん、ひよりはべちょべちょ……」
あのひよりがかなりテンションを落としている。しかし、雨が靴に入った時のあの憂鬱感は誰しも理解できるだろう。
「早く帰ろっか。気持ち悪い感触あるだろうし、あいつのことだからタオル準備してるだろうしさ」
「えっ!? 蒼太さんが……?」
「そうだけど」
「うーん、それはないと思うなぁ。ひよりが傘を忘れてること蒼太さんは知らないもん」
「じゃあジュース2本賭けてみる? 正直、アタシは何本でもいいけど」
「何本も!? そんなに自信あるの!?」
「きまぐれってやつだけどね」
「んー、わかった! じゃあ美麗ちゃんの言ってた通りジュース2本で!」
「おっけ」
そうしてあっという間に賭けが成立する。
賭けとはお互いの思考は違わなければ成立はしないもの。
ひよりは、傘を忘れていることを知らないという理由で蒼太はタオルを準備していないと予想していた。
その一方で美麗は、傘を忘れていることは関係ない。この大雨だからタオルを準備していると予想していたのだ。
言い出しっぺである美麗は当然、それなりの自信を持っていたのだ。
****
「え゛……」
「ほらね」
あの後、さらに足を濡らしながらなんとか寮までたどり着いた二人。
そうして玄関扉を開けた瞬間に賭けの雌雄は決まったのだ。玄関先にタオルが2枚置かれていたのだから。
「お!」
そして、管理人室で伝票を整理していたのだろう蒼太は扉を開けた音を聞いて廊下に出ていた。
「おかえり二人とも。学校お疲れさま」
「ただいま帰りましたー!」
「……」
ひよりとはいつも通りの挨拶を交わし、美麗とはアイコンタクトを交わす。
「って蒼太さん! このタオルはなんですか!?」
「なにって二人が使う用だけど。この雨だしどこかしら濡れて帰ってくると思ったから」
「ほんとに美麗ちゃんの言ってた通りだぁ……」
「え? 美麗さんがどうしたの?」
「ひよりは余計なこと言わないでいいから。とりあえず約束は守ってよ」
「ま、負けちゃったぁあああ……」
「ん?」
何に対して話しているのか要領を得ない蒼太だが、ひよりが残念がっている様子であり、美麗は当たり前の表情をしていた。
「で、でもさすがは蒼太さんです! ひよりの完敗です!」
「お、おう……」
なぜか負けを宣言しながら嬉しそうにしているひよりに空返事するしかない蒼太だ。
「お、おいしょ……。それではタオル借りますね?」
「許可取る前にもう使ってるけどな。ってツッコミ入れさせてもらうよ」
「す、すみません! 気持ちが悪くって……」
ひよりは右足のローファーを脱ぐと一緒にハイソックスまで脱いで白い素足から細いくるぶし、ふくらはぎをタオルで拭いている。そして同じように左足も拭き、廊下に足をつけたひよりだった。
「タオルありがとうございましたっ! えっと……タオルはどうすればいいですか?」
「それは共同用だから置いてていいよ。俺の方で洗濯しとく」
「わかりました! ありがとうございますっ!」
「それじゃ、体も冷えてるだろうし先にお風呂入ってこい。ご飯はそれからにしよう」
「はーい! 美麗ちゃんも一緒いこ!」
そうして一緒に二階へ上がろうとするひよりだが、美麗は左肩を掻きながら首を横に振っていた。
「アタシはまだ拭き終わってないから先に行ってて。お風呂は個別であるんだから待つ必要ないし」
「で、でもひよりに傘を貸してもらったから待つよっ!」
「あのねぇ……傘貸したからこそ早く体を温めてきてほしいんだって。アタシの言うことわかるでしょ? 」
「あっ……う、うん。わかった! じゃあ早くお風呂入ってくるね! 美麗ちゃんもすぐ入ってね!」
「わかってる」
素直なひよりは美麗の気持ちを汲み取ったのだろう。大きく頷いた後、ペタペタとした素足の音を響かせて部屋に向かっていった。
「……」
「……」
その後ろ姿を見つめる蒼太と美麗。ひよりの完全に姿が見えなくなった時である。先に口を開いたのは蒼太だった。
「タオルもう一枚持ってくるから待っててね、美麗さん」
「……ん」
その返事と共にふぅーと安堵の息を吐いた美麗は左肩を掻いていた手を止め——どかした。
その箇所は雨で濡れており、肌が透けていたのだ。
「……さっきの話を聞く限り、ひよりのこと濡れないようにしてくれてたんだね。ありがとう美麗さん」
「アタシが傘貸した側なんだからひよりにそうする意味ないんだけど。変な勘違いしないで」
「おっと、それはごめんごめん」
蒼太から追加のタオルを受け取った美麗は、肩を拭きながら不機嫌に顔を変えていた。
「で、でも……とりあえず、ひよりには言わないでよ」
「もちろん言うつもりはないから安心してよ。むしろ美麗さんの味方だからひよりをお風呂に入るように促したんだよ?」
「あっそ。別にあんたが味方になっても頼りにならないから意味ないけどさ」
「あははっ、それは確かに。……でもさ、いつかは頼りになれるように頑張るよ」
「……はぁ」
蒼太の優しい返事が一つ一つカウンターで返される。心にダメージを負う美麗だ。
「そ、それでさ。あんたはいつまでそこにいるつもり? アタシの足が拭けないんだけど」
「え?」
「拭いてるところ見られたくないんだってわかんない?」
「ご、ごめん。デリカシーがなかったよ。じゃあ俺は管理人室に戻るから美麗さんも早めにお風呂に入ってね」
理不尽なことを言われたわけではない。配慮が足りなかったと謝った蒼太はすぐに背を向けて管理人室に向かう。早くお風呂に入らせたいとの思いだったのだ。
「ね、ねえ」
だが、何を思ったのか美麗は上ずった声で蒼太を引き止めていた。
「…………」
「ど、どうかした……?」
顔をうつむかせてだんまりを決め込んだ美麗。そのまま10秒ほどの無言が続き……なんとか口を開いた。
「タ、タオル……」
ここまでは声に出ていた。
しかし、
『あ、あり……が……と』
かなり勇気を振り絞ったが、一番肝心なところが声として出ていなかった……。口の形でしかお礼を言えなかったのだ。
「ごめん。もう一回言ってくれる?」
聞き取れなかったからこその当たり前のお願いだが、それは地雷を踏むと同義。
「……ッ、うっさい! もう早くどっかいって!」
「えぇ!? 引き止めたの美麗さんだって!」
恥ずかしさがあふれ出したのだろう。顔を朱色に染めながら顔をしかめて敵意をむき出しにする美麗。
はたしてこれはどちらが悪いのだろうか。
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