第62話 影のお仕事

 その夜。小雨が降っているその時間。

「ねえ、小雪さん」

「どうしたのかしら?」

 寮の個室、小雪の部屋にお邪魔していた美麗は声をかけていた。

 小雪はその話を聞きながら器用に手先を動かし、ハンドメイドの仕事を行なっている。


「い、今から相談……みたいなのしていい?」

「もちろん構わないわよ。手は止めた方がいいかしら」

 今日は蒼太に睡眠不足を指摘され、昼寝を取った小雪なのだ。本業に取り組む元気は普段以上に残っている。今日は夕食を食べ終えた後、ずっと取り組んでいる。


「ううん、そのままで平気。話を聞いてくれるだけで十分だから」

「わかったわ。それで内容はなにかしら。この時期だから……その手の相談?」

「まぁ……それもないことはないんだけど、今はあいつのこと……」


 美麗のあいつ呼びはただ一人、管理人である蒼太だ。


「ソウタさん?」

「……っ、あ、あいつうざい」

 小雪が聞き返した瞬間にコレである。


「はぁ……。美麗。あなたを追い出していいかしら」

「ご、ごめん……」

 偽りの言葉を発した美麗に一瞬で気づいた小雪である。脅しという名のメスを入れていたのだ。


「相談に嘘をついたら意味ないでしょう。そんなに恥ずかしいことなの?」

「う、うん……。ア、アタシらしくもないしそんな感じだから……」

「なら、言えそうになったら話してちょうだい。どんな相談でもわたしが笑うことはないから」

「ん、ありがと……」


 焦らせることをさせない小雪は回転式の椅子を180度動かし、美麗と対面する形で待ち続けた。重要な話になるだろうと仕事の手を動かすことはなかったのだ。

 その甲斐があり、話は進む。


「……そ、相談って言うのは……さ。あ、あいつにお礼、言いたい……くて」

「っ!?」

 もじもじと手を重ね合わせる美麗は、小声で、顔を朱色に変えながらぎこちなく口にしたのだ。


「ね、ねぇ……。そ、そうやって驚かれるとホント恥ずかしくなるんだけど……。アタシの柄じゃないってのはわかってるんだから……」

「ご、ごめんなさい。まさか美麗からそのセリフが出てくるとは思っていなくて……。で、でもどうしていきなり?」

「今日あったことなんだけど……」


 そうして美麗は学校から寮に帰った時の状況を話した。


 ひよりとあいあい傘をして帰ったこと。その時に大雨になり制服が濡れたこと。蒼太が前もってタオルを準備してくれていたこと。


 そして——ひよりはその件にお礼を言って、美麗は言えなかったことを。


「ア、アタシも言おうとはしたんだよ。で、でも声に出せなくて……」

「そう。言おうとはしたのね」

「べ、別にこれは素直になったとかじゃないからね! ただ、ただ……」


 その二文字を前置きに、目を伏せながら美麗は言葉を繋いだ。


「あいつがアタシにしてきたこと考えたら、向き合い方ってやっぱ変えないとって思って……。まぁ……あいつは、害はないと思うし……」


 当たりが強く、傷つける言葉を吐く美麗だが、それは本来の姿ではない。

 学校でたくさんの友達がいたり、ひよりの雨が当たらないようにしたりと優しいところをたくさん持っている。

 攻撃的な性格になってしまうのは、過去のトラウマが大きく影響しているからこそ。


「べ、別にあいつが好きになったわけじゃないからね。それだけは言っとくけど……バグったあいつに八つ当たりすんのはホント申し訳ないよ……」

 素直になりきれていない美麗は誰にも伝わらない言い方をする。

 ただ、こうべを下げた姿を見ればすぐにできる。バグ=優しさとの変換が。


「そうね……美麗の気持ちは十分に理解したわ。手紙なんかじゃなくて直接お礼がしたいってことも」

「ん」

「でも、わたしは無理して言うべきじゃないと思うわ。今はそのタイミングじゃない」

「え……」

 それは美麗にとって予想外の回答だった。アドバイスをくれたとはいえど、お礼をするためのアドバイスではない。根本とは離れているのだから。


「確かにお礼を言えた方が絶対に良い。お互いにメリットのあることだらけよ。……でも、美麗は声に出すことができなかったのでしょう?」

「う、うん……」

「だからこそ無理をしないでお礼をいうために、美麗には段階を踏んでほしいと思っているの」

「だ、段階?」

「まずは当たり前、、、、の挨拶をするところから。美麗はソウタさんとアイコンタクトで済ませているでしょう? それを辞めて声に出して挨拶をするの。今日で言えば『おやすみなさい』を言いにいく、になるわ」


 お礼は最終段だと位置付けた小雪は、当たり前のことを徐々にこなしていくことで無理をなくそうとしているのだ。

 練習を続けることで身につける。最後は本番で活かす。それに似た理論である。


「お、おやすみとかそれもハードルが高いんだけど……」

「『早く寝ろ』とか雑な挨拶でも全然平気よ。ソウタさんは本当に鋭いから挨拶をしてくれたって気づいてくれるわ。もし気づかなかった場合はわたしから手を回すわ。それでどう?」

「そ、それなら言える……」

「良かったわ。それなら一人、、で行ってらっしゃい。言い終わったらすぐに戻ってきていいわ」

「わ、わかった。じゃあ喧嘩してくる」

「ふふふっ、激しい口喧嘩はやめるのよ?」

「ん」


 その言葉を最後にして小雪のベッドから立ち上がる美麗は部屋から出ていく。


 暗い廊下を歩き、ゆっくりと階段を降りていく。

 そしてすぐにリビングからの明かりが漏れていることに気づく。


(扉空いてる……)

 当然の疑問。考えられることとすれば、入居者の誰かが一時的にリビングに入っているくらいだろう。

 しかし、リビングからは喋り声が聞こえないのだ。


「あいつが締め忘れ……?」

 珍しい。なんて感情を抱きながら一階に足をつける。


(早く寝ろ。早く寝ろ。早く寝ろ……。う、うん。あいつに言える……)

 蒼太が管理人になって本当に初めての挨拶をするのだ。

 緊張を隠しながらリビングに顔を出した瞬間である。


「ッ!」

 美麗は予想もしてなかったものを見たのだ。

 テレビ台を動かし、四つん這いになって拭き掃除している蒼太を……。

 その近くにはGの置き餌の箱があった。


「昨日はこんな掃除したのになぁ……」

 一生懸命取り組んでいればいるだけ視野も狭くなり、気配も感じにくくなる。一人の世界にのめり込む。


「もっと頑張らないとな」

 蒼太の何気ない独り言を聞き入れたのだ……。


「……」

 こんな時間になっても一人で、誰にも言うことなく、こっそりと掃除している。

 仕事だとしても……もう22時を回る。明らかな勤務時間外。

 それでも害虫が出ないようにしてくれている。


 ——それは一体、誰のためなのか……。


「っ……、マジでバッカじゃないの……」

 声にならない声は震え、ますます美麗の心は揺れ動く……。

 こんな状態で、『早く寝ろ』なんて言えるはずがなかった。


 美麗は逃げ出すようにして小雪の部屋に戻っていった……。


『あんなのあいつ……。マジでありえないって……。アタシに優しく……すんな……』

 そんな文句が小雪に届けられるのであった。



 ****



 ※次話が美麗さんの過去に触れますので普段より胸糞悪い展開になります。ご容赦ください。




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