第17話 ひよりと蒼太と朝ごはん
早朝6時10分。
「ご、ごめんなさい蒼太さん。美麗ちゃんは連れてこられませんでした」
寝ぐせを直したのだろう。一部髪が濡れているひよりは謝りながら朝食の匂いが充満するリビングに顔を出した。しょぼんとしながら……だ。
今日もまた平日。ひよりと美麗は学校があるためにこの時間にご飯を食べなければ間に合わないのである。
「美麗さんはなんて言ってた? ひよりが朝食に誘った時」
「えっと、包み隠さず言った方がいい……ですよね?」
「それはもちろん」
「分かりました。それでは……コホン」
スイッチを入れるための前準備なのだろう、目を瞑って咳払いをするひよりは——身ぶり手ぶり、そして表情を複数変えながら言った。
「『あんなヤツの料理とか食べるくらいなら残飯食べた方がマシ! そもそも何入ってるとか分かんないじゃん! 逆にひよりは大丈夫なわけ? 死ぬよ?』……です」
「そ、そうなのね。イメージはついたよ……」
口調や声色を美麗に寄せ、最後に真顔に戻したひより。
もし美麗の事情の知らなかった蒼太ならこの言葉を聞き、
(残飯の方がマシ? じゃあ残飯食べさせてやる……)
と少なからず思っただろうが、あの事情を聞いたのならそうはならない。
「ひよりと美麗は同じ学校だよね? 昨日会った時の制服一緒だったし」
「ですっ! 学年は同じですけど、この寮では先輩に当たります!!」
「その情報は聞いてない」
「じゃあ聞いてください! ってもう聞いてますね!?」
「はいはい聞いてる聞いてる」
朝も昼も夜もテンションが何一つ変わっていないひよりだ。
美麗のトラウマを克服させる。そんな出口の見せないこの状況においてひよりの明るさには本当に助かってる。
「もー、流さないでくださいよっ。で、どうして蒼太さんはそんなことを聞いたんですか?」
「いや、ひよりが茶々いれてくれたおかげでまだ本題に移れてないわけなんだけど……」
「そ、それはホントにすみません! もう聞きます! なんでしょう!?」
「二人が通ってるその学校って軽食の持ち込みとかしても平気なの?」
「全然大丈夫ですよっ! 校則はゆるい方ですから!」
「ならこれ、美麗さんに渡しといてほしいんだけど……」
キッチンテーブルにとん、と少し重みのあるコンビニ袋を置く蒼太。
「えっ、なんですかそれ!」
ひよりはリビングから早足で掛けてくる。そしてウキウキしたように中身を覗いた。
「えっ!? こ、これは軽食セットじゃないですかっ!」
「うん。これ言うのもなんだけど美麗さんは朝食に出てこないって予想してたから昨日のうちに買ってきたんだよ」
そのコンビニ袋の中には二つのおにぎり、ウイダーインゼリー、カロリーメートが入っている。
「わー! 豪華だなぁ……。ひよりカロリーメートもらっていいですか!」
「なんでひよりにあげなきゃいけないんだか……。それは美麗さんのね」
「いいなぁいいなぁ美麗ちゃん……」
「まぁ……そこはごめんひより。でも我慢してくれると嬉しい」
そう、このお金は全部蒼太の自費なのだ。
この寮は電気、水道、食費があらかじめ決まっている。その三つを含めの家賃を納めなければならない。食費を払っている美麗がご飯を食べなければその分が無駄になる。
もちろん、『食べないのが悪い』のは当たり前。
本来ならばお節介を焼く必要もないが……美麗のお金を消費させないために蒼太が庇ったのだ。
男がいきなり管理人をする。その唐突な状況に美麗は巻き込まれた側でもあるのだから。
「あっ、ひより失礼なことしちゃいましたね……。蒼太さんのご飯が食べられるのに羨ましがって……」
「いや、おやつみたいなものでもあるから仕方ないよ。俺もひよりと同じような反応するだろうしね」
「そ、そう言ってもらえると助かります……」
ひよりの行動を責めることなくフォローする蒼太。そしてずっと言いたかったことを伝える。
「この流れで言うのは卑怯なんだけど、ひよりに一つお願いがあるんだよ……ね?」
「お願いです?」
「この軽食はひよりが買ってきたってことにしてくれない?」
「なっ、なんでですか!?」
「予想だけど、俺が買ってきたとかなったらどれだけお腹が減ってても食べないと思うんだよね」
「さ、さすがにそんなことないと思いますよ!?」
「いや、念には念を入れたいんだ」
「そう言うことでしたらわかりましたけど……」
コンビニ袋をひよりに近づけ、ひよりは両手で受け取った。
美麗のことを考えたのなら今の段階ではこれがベストなのだと蒼太なりの考えである。
「変な役回りさせてごめんね。本当はここで作ったおにぎり持たせる予定だったんだけど、料理すら食べてもらえないのに俺の手が直に触れるおにぎりなんて食べるわけないって思って。例え手袋をして作ったとしてもね」
今朝、蒼太は見つけた。未開封の調理用ビニール手袋を。
完全と断言することはできないが、美麗のことを思った買い物を理恵が行なっていた可能性は高いだろう。
「あ、あの……蒼太さん」
「ん?」
「も、もしですよ? もしひよりが蒼太さんおにぎり食べたいって言ったら作ってくれます?」
「もちろん作るよ。食費はもらってるんだし俺が否定でもしたら大問題にもなるし」
「えっと……でしたらひよりにおにぎり作ってほしいですっ!」
目をキラキラさせて両手を胸の前に当ててお願いしてくるひより。
『いいなぁ、いいなぁ美麗ちゃん……』
なんて言っていた時とは大違いの反応。今の方が嬉しそうである。
「わかった。おにぎりは何個がいい?」
「二つでお願いします! 大きさはひよりの握りこぶしくらいで」
照れ笑いを浮かべる蒼太に対して、ひよりは左拳を前に出し『こう!』と右の人さし指をさしながら伝えてくる。
「まぁ一般的に言う中くらいだね?」
「多分そうですっ!」
「了解。それじゃあおにぎりを作っておくからひよりは先に飯食ってていいよ」
「はーい!」
そうして朝ごはんの並ぶテーブルに向かっていくひより。
「やったー! やったー! おにぎりだぁ〜!」
そして変なメロディーに乗せながらルンルンしている。
嬉しさを体全部に表したようである。
「朝からよくそのテンションでいられるよなぁ、ひよりは」
炊飯器を開けながらひよりの方を見ての感想を述べる蒼太。
「あはは、これしかないですからね。……ひよりのいいところって」
蒼太は気づかない。今のセリフを発したひよりがどこか悲しい表情で、神妙な声色になっていたことを。
「ん? そんなことはないでしょ。人間誰にでもいいところはたくさん持ってるよ」
「いえいえ、ホントです。じゃあ蒼太さん、ひよりのことたくさん褒められますか?」
「いや、それは無理」
「で、ですよね!? うぅ、でもそう言われるのは傷つきます……」
椅子に座り終えたひよりは、胸を貫かれたようにテーブルに頭をつけた。
その場所にだけ大きな影が差している。
「ご、ごめん。今のは俺の言い方が悪かった」
「い、いいんです……。ひよりにいいところがないのが悪いんですのでっ!!」
「違う違う、そう言うわけじゃなくて俺とひよりが出会ってまだ一日も経ってないでしょ? さすがにその時間でいいところはたくさん挙げられない。管理人の初日でもあったからそこまで気が回ってもなかったし」
「……」
正論からのこのフォローに口上手なひよりは口を閉ざし、テーブルから顔を上げた。蜂蜜色の瞳に光が宿っていた。
「だからひよりのいいところはこれからもっと関わって
「え、えへへ……。そ、そうですか。そ、それなら……褒められるように頑張ります……」
「いや、その辺に関しては頑張らない方がいいよ? 作った頑張りなんてなんも嬉しくないだろうし。素のひよりでいてくれた方が俺は嬉しい」
「は、はい……。それなら、わかりました……」
そうして当たり前のことを言った蒼太は、何事もなかったようにひよりの軽食作りに取りかかる。
だが、ひよりは違う。
テーブルにある朝食の位置を変えたのだ。
蒼太のいるキッチンからは背中が見せるようにして……。
「ああいう風に言ってもらえたの……初めてだな……」
誰にも聞こえないようにボソッと呟くひよりは、にまっと口に形を変えていた。
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