第39話 ひよりの後日談

 すでに日は跨ぎ、現在1時前。

 ひより以外の入居者は就寝しているのだろう、帰宅時に二階から光は漏れていなかった。

 唯一、明かりのついたこのリビングには蒼太とひよりの二人だけ。テレビをつけるわけでもなく、静かでゆっくりとした時間を過ごしていた。


「……蒼太さん、今日はありがとうございました」

 スープとサラダ、白米も食べ終わり、残りから揚げが一つになったその時、ひよりは大きく頭を下げていた。


「いや、別にお礼を言われるようなことはしてないよ。俺はただひよりを無理やり連れ出しただけだから」

「もぅ……。そんなこと言わないでお礼はちゃんと受け取ってほしいです……」

「はいはい」


 夜景を見ていた時のようにこのリビングは暗くはない。顔に恥ずかしさや照れを出ないように、隠すためにも淡白な態度を取っているのだ。

 今になって思い返す。感情論に任せたクッサい発言を。なぜか、、、ひよりの頭を撫でたことを。


(あ、やばい。恥ずかしすぎて体焼けそう……)

 もしこの件をからかわれでもしたら、蒼太は身を投げてもいいほどである。


「……あの、蒼太さんはそんなところを直した方がいいと思います。ひよりはそっちの方が……う、うん。好きです……よ?」

「俺は残り一個のから揚げを早く食ってくれるひよりが好ましいけど」

「だ、だって……こ、これ食べたら蒼太さん『寝ろ!』って絶対言いますもん……」

「なに馬鹿なこと言ってんだよ。もう一時なんだから一時」


 単純計算、蒼太の睡眠時間は5もない。4時間と30分ほど。

 ひよりもひよりだ。睡眠不足は健康にも影響してくる。そして今日も学校がある。


「ひよりも早く寝ないとヤバイだろうに。これで遅刻したら俺怒るからね」

「え、えっと……蒼太さん」

 このタイミングでおずおずと。


「もしですよ? もし……ひよりが明日学校に行きたくないって言ったらどうしますか?」

 何を思ったのか、いきなり変なことを言い出すひよりである。蒼太は考えを言うだけ。


「サボり以外の理由なら休んでもいいんじゃない? 俺から強要することはなにもないよ」

「……そ、即答なんですね」

「当たり前でしょ? ちょっと冷たい言い方になっちゃうけど義務教育はもう終わってるんだし、そこに口出しができるほど管理人ってのは偉くない。まぁ、私情を一番に絡むんだけど行きたくないって言ってる場所に無理やり連れて行くのは可哀想…………って、なるほど。平和大公園に無理やり連れて行った俺を責めるための問いだったわけね、これは」

 

 この寮の管理人になって初めて蒼太は半目を作った。言わせて気づかせるという方法を取られたことで少し不満げだった。


「ちっ、ちちち違いますよっ! ただ、ちょっと聞きたかっただけです……」

「その理由を聞かせてもらえないと納得しないからね」

「え、えと……言わないとだめですか?」

「どうせなら聞かせてもらおうかな」

「……」

「……」

「え、っと……」


 もじもじ。次にチラッと上目遣いをしてひよりは言う。

「平和大の時の優しい蒼太さんを思い出したくて……です……」

 言われた方も照れておかしくないセリフ。いや、この自爆覚悟の真っ赤な顔をみたら誰だって照れるだろう。


 しかし、蒼太の心はちょっと歪んでいた。


「なんかそれいつもは優しくないみたいな言い方じゃない? 失礼だなぁ」

「そ、そんなつもりはないですっ!!」

「今日の朝食、ひよりだけ白米のみにしようかなー」

 もちろんこれは冗談。蒼太が軽口を言えるくらいにはひよりの元気が戻っている。


「あー、ひよりにそれをするのはやめた方がいいです! ひよりはご飯ガチ勢ですから」

「ははっ、もし白米だけにしてたらどうする?」

「怒って蒼太さんを食べます」

「え? 噛みつくのか?」

「違います。噛みちぎります」

「ライオンか」


 当然、入居者から食費を納めてもらっている蒼太。一人だけ白米! との選択を取ることはできない。

 この管理人としての責任があればひよりの地雷を踏むことはないだろう。


「ねえひより、そろそろ食おう? その一口だけ残ったから揚げ」

「……蒼太さんが一つ約束してくれたら食べます。食べてあげます」

「なんか今日はわがままだな」

「と、時には甘えたくなるんですよ……。ひよりはまだ高校生ですもん……」

 信頼の証。強い信頼が芽生えたからこそ、遠慮という一皮が剥けているひよりだった。


「分かった分かった。それで約束って?」

「……ほんとに迷惑だと思うんですけど、ひより、暗い相談は蒼太さんにだけにしたいんです……。が、学校のキャラとのギャップと言うんですかね? そ、そんなのを友達に見せるのは恥ずかしいって言うか……!」

 食い気味に、どこか必死に伝えてくるひより。


「うん?」

「な、なので……また辛いことがあったらどこかに連れていってもらったり、二人きりで相談に乗ってくれないかなって……」

「それが約束?」

「だめ……ですか?」

「いや、いつでも相談してってことを平和大で言ったはずだけど。約束以前の話じゃないそれは」

「じゃあいいんですかっ!?」

「もちろん、次は気分を変えて海でどう? もしそれでよかったら早くその唐揚げを食べて寝る」

「は、はいっ! じゃあ食べます!!」


 箸でから揚げを掴み、パクッと最後の一口を食べ終べるひより。

 今まで渋っていたのにとんでもない変わり身だ。

 そうして、蒼太の仕事である皿洗いはひよりと共同で行いながらすぐに終わらせるのであった。


 その際、ひよりはずっと笑顔で……時に鼻歌を聞こえさせていた。



 ****



「蒼太さん、おやすみなさい……っ」

「おやすみ、ひより」

 リビングの電気を消し、暗い廊下で別れる二人。

 二階に上がっていくひよりを最後まで見送った蒼太は同じく就寝するために管理人室に向かう。


 ドアノブについている鍵を回し、ドアを開いた瞬間だった。風圧で何かが動いたのだろう、蒼太の足に何かが当たった。


「ん?」

 管理人室の電気をつけ、視界を確保した後にソレの確認をする。ソレはすぐに見つかった。

 足に当たったのはルーズリーフを半分に折った置き手紙。

 腰を下ろして拾い上げた蒼太はペラっとめくり、内容に目を通す。丁寧な文字でこんなことが記されていた。


『いきなりだけど管理人って入居者の通学先、通勤先でのトラブル対応は仕事内容に入ってなかったんだね。住人同士のトラブル対応が仕事だって小雪さんと琴葉さんから聞いた。今日はごめん、アタシが間違ってた』


 記名はされていなかったが、この手紙をかけるような人物は一人しかいない。

「美麗さん知ってたくせに」

 ふっと笑みを浮かべて蒼太は呟く。


「まぁ……仕事内容については俺も知ってた、、、、って言ったら美麗さんどんな反応してたんだろうな」


 蒼太にとって管理職は初めての仕事。ミスを極力減らし、信用を得るために母の理恵が手書きで記してくれた仕事内容を毎日毎日確認。さらには筆記して覚えようとしていた蒼太。今では抜け目なく仕事内容を頭に入れられている。


 つまり、蒼太は気づいていた、あの時の美麗の発言に間違いがあったことに……。

 だからこそ美麗なりに頼っていたことを分かっていた。美麗が言いたかったこと理解できていた。


『要は、いろいろ抱え込むひよりには強引に行けってこと……か。美麗さんの言いたかったことってさ』——と。



 ****



 その翌日、金曜日の学校。


「じゃあまた明日……じゃなかった、月曜日に会おうねーっ! 部活頑張ってね!」

「ありがとー! じゃあねーひより」

「うん!」


 放課後、いつも通りに友達と別れたひよりはいつも通りに靴箱に向かう。

 昨日と違うところを挙げるなら一つ、脳裏では誹謗中傷の手紙を思い浮かべているのに怯えがないところだろう。


「学校お疲れさまでした……」

 月から金の学校も終わり。明日からの休日に入る。ぼそりと独り言で自身を褒めるひよりだ。


 靴箱の前に着くひよりは、目をパチパチと大きくする。

 おととい、昨日と誹謗中傷が続いているのにも関わらず変わったところはない。ためらうこともなく靴箱を開けた。


 ——今日もあった。

 1、2、3……昨日よりも2つ増えた10通の手紙を。おととい、昨日と同様に同じ柄の紙。内容はもう決まったようなもの。

 それをひよりは一つ一つ手に取っていく。——だが、前とはもう違う。嬉しそうに手に取るのだ。


「やったーっ。これを見せたらまた蒼太さんのバイクに乗れるかな……。頭撫でてもらえるかなっ」

 悪の手紙はまるで効いていなかった。首を左右に揺らして音符を浮かべたようにご機嫌なひよりは傷ついた、、、、となる証拠の紙をポケットに入れてローファーに履き替える。

 これでまたお出かけができる! そんな気持ちを抱くように『わーいっ!』と外に出ていった。


 そのひよりの後ろ姿を見る二つの影があった。


「は? なにアイツ……」

「全然効いてないじゃん……。ってかアタシたちのやつ使ってデートの口実にしてね?」

「つまらな」

「ほんと」


 その様子を見ていた二人の学生。逆手に取られていることを知り、悔しさに歯を食いしばっていた。


「もうやめよ! これじゃアイツの思う壺じゃん!」

「それな!」

 ひよりは敵を無意識に撃退していた。それどころか、逆にダメージを与えていたのである。

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