第38話 蒼太とひより、その②

「なるほどねぇ……。言葉は悪くなるのはごめんだけど、聞けば聞くだけイラってするよ」


 ベンチに座る蒼太は、真隣に腰を下ろしたひよりから話を聞いていた。

 今回ひよりを苦しめている原因——ひよりが今、匿名で悪口を書かれていること。その発端と思われることから内容を全てを。


「ひよりのためにそう言ってくれるのは嬉しいです……」

「なんて言うか、女子校らしい生々しさみたいな? やっぱりそこら辺の妬みって凄いなぁ」

「環境が環境ですのでそれはあるかもです……。で、でもこんなことをしてくるのは一部だと思います……。お友達は普段通りに接してくれますから」

 

 暗い闇の中、ひよりの顔があまり見えないからこそ声色から情報を得る蒼太。

 ひよりは話のテンポを崩さないように間を空けないようにしているが、声に力がない。

 毎度毎度、『おはようございまーす!』と朝一番のハツラツな挨拶を響かせていたのが嘘のようである。


「ひよりはこの件、先生に報告したりするつもりは?」

「正直、ありません。それで過激化するのは怖いですし、ひよりが悪いところもありますから……」

「ん? 悪いことって?」

「そ、それはその……調子に乗っているとか、頭悪いとか、元気しか取り柄がないとか。的を射てることなので」

「ふぅん」


 異論を含んだ返事をする蒼太だが、ひよりには納得の返事に聞こえてしまったようだ。


「あ、あはは……。や、やっぱり蒼太さんもそう感じましたよね……」

「……」

 足を組み替え、左に乗った太ももに肘を置いた蒼太は頬杖をつきながら無言でひよりを見つめた。視線が絡み合っている。


「あっ、無理してフォローを考えなくて大丈夫ですっ! ひ、ひより調子に乗ってしまいましたね……すみません」

 ひよりは蒼太が熟考していると思ったのだろう。両手をメトロノームのように動かしながら焦っている。


「いや、そういうわけじゃないって。ひよりが素直すぎるって言うか、馬鹿正直ここまできたら面白いもんだなって思ってさ」

「っ!?」

「勘違いしてほしくないから先に言うけど、別に悪気があるわけじゃない。その考えは絶対にプラスにならないからあえてこう言ってる」


 蒼太の声質、トーンは何も変わっていない。それほどの真面目に向き合っていると言っていいだろう。


「とりあえず俺、今ひよりが言ったこと全部に反論していい? 直で言うから恥ずかしくなければだけど」

「だ、大丈夫です……よ? 言えたら、ですけど」

 そんなことできるはずがない、なんて悲しい口ぶりだった。


「なら言わせてもらうけどまずは一つ目。調子に乗るのは悪いってのは個人の感想。それを一括ひとくくりにするなって。俺がひよりとの初対面した時に言ったこと覚えてない?」

「えっと……」

「『若者はそのくらいに調子乗ってた方がいい』こんなこと言ったはずだけど」

「っ! た、確かにそう言ってました……ね」

「学校のひよりがどんだけ調子に乗ってるかは知らないけど、初対面の時に見せてた姿を含めて、俺はそんなひよりが好きだし、嫌いになる要素としては全く見れない」

「っ!」


 蒼太も蒼太なりに憤りを覚えているため普段出ないようなことが簡単に口に出るのだ。


 蒼太はしっかりと見ている。ひよりを送迎したあの短時間、、、でひよりの友達らしき学生を。

 このことからひよりは顔が広く、たくさんの友達を作っているはずである。それほどに慕われていたら、ひよりの言う『調子に乗ってる』を不快に感じてる人数は少ないと示すことができる。


「二つ目。頭悪いってのは俺だって一緒。……でもさ、そんなのはどうにでもなるよ。俺には努力が足りなかったけどひよりは違う。平日は自室で、休日は小雪さんの隣で一生懸命勉強してる。必死に授業についていこうとしてる。そんなひよりの努力も知らない人の言葉なんかに振り回される必要はないし、どうしても振り回されるくらいなら、俺がその二倍の言葉で褒めるよ」

「……っ!!」

「最後に三つ目。『ひよりのいいところは元気これしかない』って言ってたけど、数十日と関わって他にも見つけたよ。ひよりのいいところを」

「あ、あの……ひ、ひよりもういいかなぁ……と、お、思ってます……」


 思いもしない言葉の数々にぷしゅうと顔から湯気が出ているひよりは限界寸前。これ以上悪化しないように引き止める……が、無駄である。

 蒼太は前もって言っている。『ひよりが言ったこと全部に反論していい?』と。


「当たり前のことを言うかもだけど、ひよりは毎日の挨拶ができてるよね。その性格とは裏腹に努力家で、寮のみんなが不自由なくご飯を食べられるように最初は周りのペースに合わせてご飯を食べる気遣いもしてる。この前は俺が見てないところで玄関の掃除もしてたっけ。そのさりげない優しさが嬉しかったよ」

「うぅぅ、も、もう大丈夫です。大丈夫ですからぁ……っ!!」


 なんでそんなところまで見てるの!? との含みが入った声。顔の色はゆでダコのような赤。ここが明るい場所であれば確実に蒼太に熱だと疑われていただろう。


「そう? まだあるんだけど。いいところを絶対見つけるって約束してたし」

「け、結構ですっ!!」

「そこまで拒否するなら飛ばすけど……。まぁ、俺の言いたいことはそんな立派な人間でも一部には嫌われるってこと。そして愚痴を言う人に限ってひよりのことを真正面から見たりしちゃいない。気に食わない事とか欠点とか粗探ししてるだけ。そんな連中に馬鹿正直に立ち向かう必要はない。損するのはひよりだけなんだから」

「……」


 言葉は悪いが、それも仕方がないだろう。

 社会人になって、馬鹿正直に向かい合って、都合良く利用され、一番損をした人間、一番にバカをみた相手こそ語り手の蒼太なのだから……。


「ひよりの気持ちは分かったよ。自分の力でほとぼりを冷まそうとするなら、何かを変えなきゃならない。そうじゃないとひよりが精神的にやられる。考えて見なよ、今日みたいなことが続けば食欲もなくなって食事の回数も減るよ? そんなの嫌でしょ?」

「ッ、それはいやですっ!」

「じゃあ何かを変えるしかない」

「え、えっと……な、何かを変えるって何を変えたらいいんですか? 蒼太さん」

「……」

 重要なヘルプのひよりの問い。が、ここで石化してしまう蒼太だった。ここまで饒舌に喋っていたが突と無言になる。


「そ、蒼太……さん?」

「ひより、ここからは感情論って言うか俺の経験を踏まえて話していい?」

「は、はい。もちろん大丈夫です」

「ありがとな」


 悪口で傷ついた思いをする。正直その気持ちがあまり分からない。あまり同意できない。そんな本心を今言うことはできなかった。

 ひよりを心配している気持ちは本物。だからこそ水を差すような真似はしたくなかったのだ。


「……ひよりにはさ、悪口なんか気にしたりしないでずっとポジティブでいてほしいと思う。適当なこと言ってる相手に元気って長所を潰されないでほしい。いつも明るく、周りを明るくしてくれる。俺はそんなひよりが一番輝いてると思うから」

「ぅ……」


 顔が見えづらいこの暗い状況だからこそ蒼太もクサイ台詞を言える。

 火照った顔がバレない。そんなひよりに利点があると同様に蒼太にも利点があった。


「ひよりに変えてほしいところはソコ。悪口なんか気にしない強い心。難しく思うかもだけど、実際はそんなことはない。ひよりにはその明るい性格で作った友達、仲間がいる。だから辛かったら一人で抱え込まないでその仲間を頼ればいい。あと、その性格だけは絶対に卑下することはしちゃだめ。性格まで悪く考え出したらひよりを好きになってくれた友達みんなに失礼になる」

「はい……」


 言い終えたと同時である。——蒼太の左手がひよりの頭に向かって伸びる。濃い影がひよりの顔に差す。

「ん」

 そんな可愛らしい頓狂の声が漏れた時、ぽすんっと頭上に置かれる大きく暖かな手。

「あぅっ!?」

 何をされたか理解したと途端、ひよりの栗色の髪が優しく撫でられる。


「ひよりは優しすぎるから気を遣って仲間を頼れないかもしれない。そうなった時はもう一度、味方の俺を頼ってよ。ひよりよりも6つも上の俺を。こんな頼り甲斐のあるお兄さんを持ったらもう最強でしょ?」

「……ん、そ、そうなんですかね?」

「そこは『うん』って頷くところなんだけどなぁ……」


 時刻は23時05分。

 街の光も次々に消えていき、豪華だった景色は落ち着きのあるものになっていた。


 ただ、この空間にはそれが一番合っていた。そして、蒼太には知らないことがある。

 頭を撫でるその手にさりげなく頭を押し付けているひよりを。撫でられ続け、猫のようにすり寄ってきていることを。


「みんなも心配してるだろうし日を跨ぐころには帰ろうか、ひより。約束通り飯を食ってから寝てもらうから」

「えへへ……いっぱい食べます。から揚げ食べますっ」

「それはよかった……って、なんかひより近づいてきてないか?」

「気のせいです」

「そ、そう?」


 ひよりはこの時、吹っ切れていた。蒼太への印象が大きく変わっていた。



 ****



「ひ、ひより? まだ抱きつかなくていいんじゃない?」

「バイクは怖い……ですから……」

「え? まだ発進すらしてないぞ? 発進前はひより平気だったような……」

 ここは平和大の駐車場。後部座席にいるひよりは蒼太にぎゅっと抱きついていた。

 腕をクロスさせ、それはもう離さないぞ……と言うように。


「本当は怖かったんです。……なので蒼太さんを頼ります」

「わ、分かった。じゃあそろそろ発進させるよ」

「はいっ」


 ひよりはヘルメットを被った頭で大きく頷いた。

 その中にある顔はだらしなく溶けていた。

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