第121話
【IF】 蒼太&琴葉
「ふふ、『わかりました。それでは会社の許可を得て車を駐車場に止めておくようにしますね』……と」
平日の金曜日。ここは琴葉が働いている仕事場。その受付嬢専用の休憩室である。
両手でスマホを持ち、手慣れたフリック操作をしながら声出し確認をして2時間と30分前のメールに送信をしていた。
琴葉がメールを返信するその相手の名前、画面の上側には『蒼太さん<3』なんて一部の人間にしか伝わらないネットスラングを使った記号と数字で名前登録がされており、お気に入りにも登録されている。
もう少し詳しく言えば、琴葉がお気に入り登録している男性は蒼太だけである。
「あ……」
メールを送った数秒後のこと。既読の文字がついたことで琴葉はこんな声を漏らす。そうしてスマホ内の画面が動いたと思えば、蒼太の返事が届いたのだ。
『ありがとう。高速は渋滞してないから琴葉が仕事終わるまでにはそっちに着けると思う。社内の人にはバレないようにいつもの位置にバイク止めておくね』
今現在、高速のパーキングエリアで休憩を取っていたのだろう。タイミングよく休憩が合致したことでメールのやり取りができるのだ。
『はい、その流れでお願いします。この関係がバレてしまうといろいろと厄介でして……すみません』
『いやいや、会社での立ち位置もあるだろうから気にしないで。俺自身、琴葉に迷惑をかけるようなことはできるだけしたくないから』
『うーん、少しくらいは迷惑かけてもらってもいいんですけどね?」
『そう? なら気が向いた時にでも甘えてみようかな』
『そんなこと言いつつ絶対に迷惑かけないのが蒼太さんだって知ってるんですから』
琴葉はメールのやり取りをしながらニマニマとしていた。もちろんこれは意図的にこうしているわけではなく、自然と出てしまう表情。
その顔は崩れることもなく、そのまま5分ほどメールを続ければ蒼太からこんな内容が飛ばされる。
『それじゃあ休憩も長く取ったことだしそろそろ俺はバイクを走らせることにするよ。できるだけ早くそっちに着いておきたいし、仕事終わりの琴葉を待たせくはないからさ』
『そのお気持ちは嬉しいんですけど、急いで事故を起こしたりは絶対に絶対にしないでくださいね。バイクの事故は車の事故と比べて本当に危険なんですから』
『琴葉、多分その注意はもう20回超えてるよ』
『しつこいのは知ってます……。でもそのくらいに心配なんです』
車のボディには鋼板、アルミ、カーボン、ステンレスなどの頑丈な素材が使われ、さらにはエアバッグなどの機能もあり事故を起こしたとしても人間の体を守っている。
が、バイクにそれは当てはまらない。事故が起きればバイクから飛ばされ、そこからの衝撃を生身で受け切らなければいけない。
その際に運悪く頭でも打てば……である。
どちらにしても危険はあるものの、その度合いは大きく違う。
彼女の琴葉が心配するのは当然のことであり、それでも『蒼太が好きなバイクの運転をやめさせる』ようなことをしないのは蒼太の趣味を大事にしているから。
『ありがとう。でも安心してよ。琴葉っていう彼女ができて運転にはより一層気をつけるようになったんだから。仮に事故起こしたとしてもちゃんと生還してみせるよ』
『彼女を残して天国にいってしまうなんてことは絶対に許さないんですから……』
『あははっ、わかってるって。むしろそんなことになれば俺自身が許せないよ。琴葉のこと幸せにするって決めてるんだからさ』
『あのー、メールでしかそんなことを言ってくれませんよね、蒼太さんって。そのお言葉を実際に声で聞いてみたいです』
『そうだっけ?』
『そうですよ。あと、私には蒼太さんの考えていることがなんでもわかるんですから。今はいつになったらメールが終わるのかなぁって思ってるでしょう?』
『まぁ、それは当たってるかも。まだメールはしたいけど早くそっちに着きたいって気持ちがあるから』
『……なら私に好きってメールをしてください。それでお互いスマホを閉じることにしましょうか』
『出たそのやり方』
蒼太の返信の通り、これは琴葉の常套句。
『返信の言葉が違いますよ』
『はいはい。好きだよ琴葉』
『私も大好きです、蒼太さん。それではまた夜に』
『うん。仕事頑張ってね』
『はい、お仕事頑張るので蒼太さんは安全運転を』
『もちろん』
そうしてお互いの気持ちが確認できるようなメールは終わる。
琴葉は蒼太とのメールを見直すことで一人でニマニマを再発させてしまう始末。そして、その休憩室のドアを開けてガン見している人物がいることに琴葉は気づかない。
「幸せそうだねぇ、琴葉」
「っ!? お、小川さん!?」
急いで顔を上げた琴葉はびっくりした表情で上司の小川と目を合わせた。
「琴葉、受付の椅子がまた飛び出てたよ。ちゃんと元の位置に戻してないのは今日で4回目」
「た、大変申し訳ありません……」
「別に外部の人間には見えない位置だし、そのくらいのことならわたしが戻すからいいんだけど琴葉はホント変わったねぇ。今までは絶対にそこら辺はちゃんとしてたのに、それを忘れるくらいに彼氏とメールしたくなっちゃうんだ?」
「は、はい……」
休憩前には椅子をデスクの下に戻すのは当たり前のこと。その当たり前のことができていない分、注意をされる琴葉だが小川の表情に怒りはない。むしろ何かと同情している様子である。
「はははっ、彼氏と上手くいってるようでなによりだよ。琴葉のそんな表情も見られてわたしも安心してるよ」
「……あの時、小川さんが背中を押してくれなければこんなことにはなっていなかったと思います。アドバイスを本当にありがとうございました」
「いいのいいの。琴葉には仕事のサポートもしてもらってることだしね。あ、それで確か……琴葉って彼氏と付き合って今日が一ヶ月じゃないっけ?」
「そ、そうですね。ちょうど一ヶ月になります」
唐突に『一ヶ月』の時期を問われる琴葉。
『一ヶ月の記念日に何かをプレゼントしてもいいのかもね』
なんて小川からの声をかけられるのかなと予想をすれば、その予想は大きく外れるものになる。
「そっかぁ。ならそろそろ周りにも付き合ってることをバラす時期かもね」
「え……? バ、バラす……ですか?」
「そうそう。正直なことを言えば今のままじゃダメなんだよ。バラせば厄介ごとが増えるのは目に見えるけど、そこから逃げてたら彼氏は安心することができないね、絶対に」
「絶対……」
新人の時からずっと小川を頼ってきた琴葉。さらには身のあるアドバイスを何度も受けていた琴葉だからこそ小川の断言は心を震わされる。
「いくら琴葉が仕事とプライべートを分けていても、彼氏以外の異性とは一定の距離を保っていたとしても、結局はそうなるもんよ。これは信頼とかいう以前の問題なの」
「……」
「まあ、わたしはこの問題に責任を取ることができないから今のは脳の片隅にでも入れておいて。いずれはわかることだから」
そう言うと小川は親指と人差し指を立てて手首をクルクルと回す。これはローテーションを意味するジェスチャーで、休憩時間の交代を示している。
『はい』と返事をする琴葉は小川との休憩を変わった。
そこからの仕事中、どう言う意味だろう……なんて気持ちのまま手を動かしていたが、その数時間後には答えを知ることになる。
****
「琴葉は人気者だよなぁ……。本当……」
蒼太はバイクを近くのパーキングエリアに止め、とある高層ビルの玄関口を見ながら不安の声を吐露していた。
蒼太は今日を含めれば3回も見ているのだ。
琴葉が……とある男と仲よさそうに会社から外に出てくるところを。
それも、3回とも全て別の男——今回に限っては一直線にパーキングエリアに向かうわけでなく、男の向かう先に合わせるように歩いていっていた。
琴葉がそのようなことをする性格じゃないことはもちろん理解している蒼太。
仮にそのようなことをしているのなら、蒼太は同じ男を3回見ることになっているだろう。
つまり琴葉は仕事上での付き合いをしているだけ。過ごしやすい環境を作るためにも仕方がないこと。
それでも……そんな現場を見れば不安になる。信頼をしていてもこればかりはマシにはならない。
彼女が人気であれば人気なだけいろいろと思ってしまうことがある。
——その10分後。
「はぁ、はぁ……。蒼太さんすみませんっ。待たせてしまいました……はぁ」
琴葉は息を切らしてパーキングエリアにやってきた。
急いで、走って戻ってきてくれたのは想像するまでもないこと。
「大丈夫だよ琴葉。仕事お疲れさま」
「はぁ……お疲れ、さまです……はぁ」
蒼太のことを好きだと思っていないのならこうして体力を使うような真似はしないだろう。
ちゃんと想いが伝わることを琴葉はしてくれている。それでも蒼太からしてモヤモヤは取れなかった。
息が切れて少し苦しそうな琴葉を見てもなお、こんなことをしてしまうのだ。
「琴葉……ごめん。今だけ許して」
「っっ!!」
途端のこと、蒼太は強引に琴葉の手を握り、同じパーキングエリアに止めてあるワンボックスカーの後ろに引いていく。
人目につかない、その死角の場所で——
「琴葉……」
「ぁぁぅ……」
蒼太は琴葉の小さい体を、その細い腕から包むようにギュッと抱きしめたのだ……。強引でしかない行動だが、今、心に抱く不安を払うように……。
「ごめん……」
「そ、そそ蒼太さん。ここじゃ誰かに見られ——」
「——本当にごめん。こんな迷惑をかけて……」
「…………」
一度は動揺をし、抵抗をしようとした琴葉だったが……蒼太の謝罪を聞いて冷静を取り戻す。
体を動かすことなく、されるがままの琴葉は一つだけ思い当たる節を言うのだ。
「もしかして、見てましたか……? 私が男性と出てくるところを……」
「うん」
抱きしめられる力がもっと強くなる。もう抵抗をしても逃れられないハグをされる琴葉は、『すみません……』と蒼太に体重を任せる。
「あの男性とは本当になにもないんです……。ただ、世間話が続いてしまって……。これだけは蒼太さんに信じてほしいです……」
「知ってるよ……。琴葉のこと信頼してるから……」
「じゃあ——ッ」
その瞬間、琴葉は息を呑んだ。『どうして?』と続く言葉を出さなかった。
脳裏には小川とのやり取りが全て残っていたのだから……。
『そっかぁ。ならそろそろ周りにも付き合ってることをバラす時期かもね』
『正直なことを言えば今のままじゃダメなんだよ。バラせば厄介ごとが増えるのは目に見えるけど、そこから逃げてたら彼氏は安心することができないね、絶対に』
『いくら琴葉が仕事とプライべートを分けていても、彼氏以外の異性とは一定の距離を保っていたとしても、結局はそうなるもんよ。これは
『まあ、わたしはこの問題に責任を取ることができないから今のは脳の片隅にでも入れておいて。いずれはわかることだから』
蒼太がどうしてこんなにも大胆な行動を取ったのか全てが繋がった琴葉である。
それは……琴葉のタガが外れるキッカケにもなり、嬉しいことでもあり、幸せを感じること。
「嫉妬してくれてるんですね」
「なんで嬉しそうに言うの……」
「ふふ、バレちゃいましたか……」
琴葉は蒼太の胸元に顔を埋めて微笑む。
「蒼太さん、私……休日明けの月曜日に社内の相手に伝えますから。お付き合いしている彼がいることを」
「え……」
「よくよく考えてみれば、私の味方をしてくれる人はいっぱいいます。環境が悪くなるって怖がることはなにもありませんでした」
「……」
「私、蒼太さんを不安にさせ続けていたんですね……。ディナーなどに誘われても断れば何も問題はないなんて思ってました。彼女失格です……」
もし、蒼太が別の女性に誘われていたら——いや、実際に誘われていたのかもしれない。
そんな想像を働かせるだけで『絶対に嫌だ』と感じる琴葉。
逆の立場で考えれば第一に出る感情だった。もうそんなことを彼氏にはさせたくなかった。
「蒼太さん、今日は私たちが付き合って一ヶ月ですね」
「う、うん」
「いきなりで申し訳ないんですけど、今日は私が職場で身につけられるもの……、メタルチョーカーをプレゼントしてもらえませんか? どんな形のものにするのかは蒼太さんにお任せします」
「そ、そんなもので……いいの?」
「蒼太さんからのプレゼントなんですからそんなものじゃないです。素敵なものです。今日のデートは一緒に記念日のアイテムを買いにいきましょう。あとは予定しているBarにも」
「わかった」
チョーカーには『彼氏がいる』と間接的にアピールできるアイテム。それだけ牽制にはなり、もしそのような疑問を出されたのなら素直に肯定すればいいだけのこと。
誘いの回数を減らすのは簡単なこと。
「蒼太さん、それでいつまでハグをしますか?」
「あと1分……」
「それは短いです。あと3分で……」
「ん」
人に見られないように上手く隠れているからこその琴葉の提案。
二人は約束した3分を超える5分もハグを続けていた。
その5分を過ぎ——ハグをやめた瞬間のこと。
「ふぅ……蒼太さん」
「うん?」
「Barのあとは期待してくださいね。お互いが安心できることをしたいです……から」
もう、何かのスイッチが入りかけてる琴葉は目をとろんとさせたように伝えて来たのだ。
付き合って一ヶ月の記念日を迎える今日。
遠距離恋愛を続ける二人だが、その障害がまた一つ消える熱い夜になったのだ。
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