第56話 小雪の等価交換

「ふふっ、あの一件以降散々ね? ソウタさん」

「あ、あはは……。俺の失態でもあるのでなんとも言えないんですけど、変態呼び、、、、だけはなんとしてでも直したいところですね。外で変に噂が広まったらアレなので……」


 朝の9時。

 ひよりと美麗は学校に、琴葉は仕事に。

 小雪と二人っきりになった寮で蒼太は苦笑いを浮かべながら顔を合わせていた。


「んー、蒼太さんの心配も分かるけれど、状況説明におかしなところはなかったから身内ネタで済ますんじゃないかしら。その辺はみんな分かっているはずよ」

「だ、だといいんですけど……。はぁ」


 発言に力のある小雪に安心の気持ちを覚えれば、疲労の溜まった息を吐く蒼太である。


「あら、朝からお疲れのようね? 随分とひよりに搾り取られたようで」

「ですよー。元気のあり余ったからかいを朝一で食らうので、アレを相手にするのはさすがに骨が折れますって。さらには美麗さんも追撃を加えてきますからね」

「ふふっ、それでも強く言わないのはさすがよね。ソウタさんは」


 この寮で蒼太のことを変態呼びしているのは美麗だけだったが、新たに加わった人物、それがひよりだった。

 ひよりは『変態さんっ!』『変態さーん!』『変態蒼太さんっ!』と、三パターンを使い分け、悪意のない笑顔で楽しそうに呼ぶのだ。


「いやぁ、あれだけ構ってオーラをあれだけ出されたら強く言うことなんてできませんって」

「あ、確かにそれは言えてるわね」

「それに構ってもらえてるうちが華であることには違いないですから」


 コミュニケーションを取らなければ気持ちが塞がってしまう。それと同じで入居者に相手にされない、関心を持たれなくなった管理人ほど寂しいものはないだろう。


「じゃあ、ここに勤めている間はずっと華だから安心してちょうだい」

「え?」

「ソウタさんに構う相手がいなくなったとしてもわたしが構うもの」

「ははっ、それはありがとうございます。小雪さんほど心強い仲間は他にいませんよ」

「正直、ソウタさんを敵には回したくはないもの。もし嫌われでもしたら料理に毒を混入させられるかもしれないから」

「ちょ、そんなことしないですって!」

「ふふっ……。なんだかあの二人がソウタさんをからかいたくなる気持ちが分かっちゃったかも」

「小雪さんまであっち側に回ったらもう泣きますからね」


 ひよりと美麗の相手をするだけで手一杯の蒼太なのだ。そこに小雪まで参戦すればもうパンクするのは目に見えている。仕事も詰まっているだけに泣きたくもなるだろう。


「それならソウタさんの心に余裕がある時にはからかってもいいかしら?」

「その場合は俺も小雪さんをからかいますからね。SNSで小雪さんの名前を検索したら特定できることは知ってますから」

「そ、それを使うのは反則よ……」


 不意を取られたのだろう。少しどもって口を小さく尖らせる小雪は綺麗に半目を作って責めるような視線を送っていた。

 二人きりの空間でもこれだけ話が盛り上がるのは二人の距離が縮まっているからであり、信頼関係が結ばれているから。


 その後は数十分はたわいもない話を続け——、

「……もうすぐ梅雨時期ね」

 小雪はこの話題を出していた。その声色には気鬱が含まれていた。


「はぁ、梅雨ほど嫌な時期はないんですよね。バイク乗りなので雨は本当厄介で……」

「それならソウタさん、わたしと等価交換をする気はないかしら」

「等価交換……ですか?」

「ええ」

 蒼太の発言を読んでいたように提案を出す小雪は表情を変えないまま言葉を紡いでいく。


「……まず、雨天時は私が車を出して蒼太さんのお買い物に付き合うわ。これだったら雨具を着る必要がなくなるから少しは楽になるでしょう?」

「えっ? う、雨天時ってかなりの小雪さんの負担になりませんか? 買い物っていってもいろいろなところを回るので、そうなったらアクセサリーを作る時間も減ってしまいますし……」

「それでも頼みたいことなの」


 即答だった。小雪はそれほどの思いで蒼太に頼み込んでいた。


「だから、わたしが車を出す代わりに……ソウタさんは普段以上に美麗に注意を払ってほしいの。梅雨時期、美麗は必ず体調を崩すから……」

「か、必ず? それは気圧の低下によるとかですかね?」

 梅雨時は低気圧と高気圧が頻繁に入れ替わることで、頭痛や倦怠感などの体調不良に襲われることがある。また、雨が降って肌寒さを感じる日もあれば、梅雨の晴れ間に夏のような暑い日もあることで体調も崩しやすいのだ。


 だが、美麗の場合はそれとはまた別の問題だった。


「メンタル面と言うのかしら……。美麗は雨と雷が苦手なの。……特に夜が」

「夜中?」

「美麗の過去。と言えばもう察しはつくと思うけれど……」

「……はい」

 この一言で蒼太の表情が変わった。無意識に視線を鋭くしていた。


「美麗が父親の虐待から救われたのは……いいえ、虐待によって死の境にいたのが梅雨の、その天気の、その時間だったらしいのよ」

「……」

「過去を引きずっているばかりに、この時期になるとどうしても思い出すらしくて……夢にも出てくるらしいの」

「その結果、睡眠が取れずに体調を崩すということですか」

「ええ……。美麗を安心させるためにわたしが一緒に寝たりもするのだけれど、朝には部屋からいなくなっているの。……恐らくうなされて、その声でわたしの睡眠を妨げないようにしているのだと思うわ」

「なるほど……」


 口調は悪い美麗だが、優しい性格を持っていることは蒼太も理解していること。小雪の考えには同意だった。


「だからこの件、お願いしてもいいかしら……。正直、わたしよりもソウタさんの方が負担が大きいから等価交換とは言えないかもしれないけれど……」

「……あの、すみません。その理由でしたら俺は等価交換なんてしたくないです」

「……」

 初めてだった。蒼太が年上の小雪相手に強い口調をみせたのは……。

 そしてこれは小雪にとって予想すらしていなかった反応。

「ご、ごめんなさい。都合が良すぎたわよね……」

 口を閉じて悲しそうに視線を下に向けた。


「あっ、そ、そうじゃなくって……! す、すみません! 今のはその違うんです……」

 無意識に熱くなっていたからこそ、口調も強くなってしまった。蒼太は慌てるうように両手を振って謝った。

 今の表情と返された声を聞けば誤解をされたと判断するには十分である。


「えっと、俺が等価交換をしたくない理由は小雪さんに車を出してもらえる。そんな私情で美麗さんを気にかけたくないからなんです」

「えっ……」

「言葉は悪くなるんですが、これじゃあ美麗さんを都合のよく扱ってるようじゃないですか。そんなのは嫌で頭も硬い人間なので、デリケートな問題は自分の意思で動きたいんです」

「……」

 蒼太は自覚してないだろう。頭が硬いこの考えこそが信頼をされる所以ゆえんであることに……。

 言葉を言い換えれば、見返りを求めない行動を自ら提案しているのだから。


「それに、こんな約束をしてるって美麗さんにバレたら逆に傷つくと思うんです。一番は小雪さんに迷惑をかけてしまったって」

「……っ!」

「だから等価交換はなしにしましょう? そんな約束をしなくても頼まれごとは守りますよ」


 ——何秒の無言が続いただろうか。

 あはは、と苦笑いする蒼太は鼻先を掻いた。熱くなったばかりにクサいことを言ってしまったとのむず痒さ、恥ずかしさを感じていた。


「……その通りね。美麗のことを分かっていたのはわたしよりもソウタさんみたい……」

「いえいえ、そんなことはないですよ。心配が積もれば積もるだけ視野も狭まりますから」

「な、なら……等価交換はなしにして、わたしの時間がある時にはソウタさんの買い物に付き合っていい……かしら。一緒にお買い物がしたいの」

「はい! それなら喜んで」


 その別案こそ蒼太にとって満足いく内容。頷きながら優しく目を細め、明るい笑顔を浮かべる。


「……」

 その面差しを尻目に見た小雪は、頰を赤らめながら顔を逸らしていた……。

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