第105話 気遣いか夜遊びか

 空港から車を走らせ、無事に女子寮に到着した小雪と咲。

 トランクに入れたキャリーは小雪が率先して持ち、祝われ役の咲を立てるようにしていた。


「持ってくれてありがと雪」

「気にしないでいいわよ。それほど重いってわけでもないから」

 寮からの明かりが漏れる駐車場で車輪を使って転がすわけでもなく、取っ手を掴んで宙に浮かせる小雪は咲と共に玄関前まで移動した。


「玄関扉はサキが開けるといいわ。わたしが開けるのは面倒臭いという理由じゃなくってね」

「咲がこの寮に帰ってくるのが久しぶりだから?」

「ええ。こうしたものほどおもむき深くあるでしょう? 扉一つ開けるだけでも違うと思うのだけれど」

「うん。確かにそうかも。じゃあ役目もらう」

「ええ、どうぞ」


 小雪の言うことに間違いはない。

 何気ないことでも、いや、何気ないことを久しぶりにするからこそ心にグッとくるものがある。

 玄関前でこのようなやり取りがあり、どこか緊張したようにドアノブを掴んだ咲は——ゆっくりと扉を引いていく。


 キィ、と金具が擦れるような音。ドアの重みに隙間から現れる寮の廊下。その全てが懐かしみを感じる要素である。


「……」

 無言で、それでも少し口が開いたまま玄関に踏み入れる咲。

 その斜め横の顔を見る小雪はドア役を変わってゆっくりと閉める。


「どう? 久しぶりの寮は」

「うん。お家に帰ってきたって感じがする……」

「ふふっ、それは良かったわ」

 当たり前の感想。それでも咲の気持ちはわかる小雪なのだ。

 そこから騒がしくなるまで5秒もかからなかった。この寮らしい特徴がすぐに出たのだ。

 ——ドコドコドコドコ。

 騒がしいがリビングから聞こえ、その扉がもの凄い勢いで開かれる。


「うわぁああっ! 咲さんだー! 咲さんだーっ。おかえりなさーいっ!!」

 片手を上げ、一番乗りに素足で駆けてくるひより。再会を楽しみに待っていたのは見るだけでわかることだろう。素っ気ない出迎えよりも数十倍嬉しいことだ。

 そしてその2、3秒後に美麗と琴葉。管理人の蒼太も出迎えにやってくる。


「咲さーんっ!」

「聞こえてるよ。久しぶりひより。なんか一段と元気になったね」

「お久しぶりですっ! うんっ、ひよりは元気いっぱいです!」

「あと身長が伸びた?」

「あっ、そうですそうです!! やっと160cmになりました!」

「わ、そんなに大きくなったんだ……。あと1cmで咲抜かされる……」

「ひより成長期がきてるかもです!!」

 と、二人が仲良く会話をする隣で……羨ましそうに、悔しそうにまばたきをすることなく口を縛っていた琴葉に気づいたのは正面にいる小雪だけだった。


「咲さんおかえりー。留学お疲れさま!」

「え、美麗……触角ピンクにしてる」

「あー、これ少し前に流行ったやつでね。みんなは触角の内側に色つけてる感じだけどあたしは全部に色つけたわけ」

「いいねそれ。美麗はそっちの方が似合うと思う」

「ありがと。あたしもこっちの方がいいなって思ったんだよね」

 咲に褒められ嬉しそうに笑みを浮かべている美麗。

 さまざまな年齢差がある入居者だが、全員に壁が作られていないのがこの寮のよいところであり、管理人が苦労しないところでもあるだろう。


「おかえり咲ちゃん。今日は楽しみに待ってたよ」

「ありがとう。ただいま琴葉。相変わらずtinyタイニィ……」

「ん゛? なにかな咲ちゃん。ネイティブで発音すればバレないと思ったのかな。それとても小さいって意味だよね」

「琴葉そこ全然変わってない。懐かしい……」

「そ、そのイジリ以外で懐かしさを感じてくれると嬉しいんだけどなぁ……。明日からは本気で怒るから注意してね?」

「わかった。ごめんね」

 三人の中で一番シンプルな会話をする二人だが、琴葉のコンプレックスを弄れる仲にある咲である。


 ひより、美麗、琴葉と流れるように続けば——自然と蒼太に順番が回ってくる。口下手な咲。その情報を持っている蒼太はリードをするように咲に声を出した。


「初めまして咲さん。管理人の広瀬蒼太です。今日からよろしくお願いします」

「……う、うん。初めまして」

「あっ、リクエストされた料理は作ってますので安心してくださいね」

「ありがとう……。あと、敬語じゃなくてもいい。咲は一つ年下」


 咲は警戒心をほんのり解いていた。小雪から教えてもらった通りの情報でチャラいような雰囲気を感じてはいなかったのだ——が、

「そう? それじゃあ普段通りにさせてもらうね」

「……はや

「はや?」

「ううん、なんでもない」

「ならいいんだけど……質問とかあったらいつでも聞いてもらっていいからね」

「わかった」


 自ら提案をしたことだが、遠慮の一つや二つはあるものだと思っていた咲なのだ。それがなかったことでちょっぴり警戒レベルを上げていた。苦手なタイプの陽キャラ。そんなイメージはまだ残っているのだから。

 その一方、初対面で蒼太は物怖じはなにもしていなかった。

 もちろんこれには理由があり、ひよりから咲が映っている写真を予め見せてもらっていたから。どのような人物かを確認しており、気持ちの準備を済ませていたのだ。


 見せてもらった写真と変わらず、咲は毛先まで整った黒髪をポニーで結んでおり、薄く細い眉に琥珀色の眠たげな瞳を持っていた小柄な体で手足も細く、どこか読めないミステリアスな雰囲気を纏っている。

 ただ写真と違うところも当然あり……肌が小麦色に焼けていること。そして、実物の方が何倍も可愛く見えるということ。

 蒼太からすれば少しばかり近寄りづらい要因。


「あっ、咲さん! もうお腹空きましたか!? もう蒼太さんはお料理作り終えてますよっ!」

 蒼太と咲の自己紹介が終わり、会話が途切れたそのタイミングでありがたい割り込みをしてくるひより。


「ほんと? それは嬉しいな。機内食を抜いてたからすぐに食べたい……」

「やったー! 今日は料亭みたいなご飯だから咲さんびっくりすると思いますっ!!」

「……料亭?」

「うんっ! 和風の料理がいっぱい並んであって、蒼太さんはお魚も捌いたりしてて……!!」

「え」


 瞬間、光の速さ蒼太に視線を送る咲。

『魚を捌けるんだ……』との感心したわけだが、眠たげな瞳をしているせいで怪訝な顔をされたと勘違いする蒼太である。


「えっと生きてる魚をそのまま捌いたわけじゃないよ!? ちゃんと締まった魚を捌いたからね!」

「それはわかってる。咲のためにわざわざ市場まで買いに行ってくれたんだって、そうも思った」

「あー、わざわざっていうかスーパーで切り身を買うよりもこっちの方が安いし美味しいからね。管理人として当然のことだと思うよ」

「それでも、咲のために手間をかけてくれた。ほんとにありがとう」

「いやいや、やれることは少しでもしたかっただけだから。小雪さんも送迎をありがとうございました」

「ふふっ、お言葉を返すようだけどわたしもやれることをしたかっただけよ。それにサキと二人っきりで話せて役得だったわね」


 さすがの成人組の会話だろう。

 咲は素直な感謝を。蒼太と小雪は誰もが気負うことのないセリフを出していた。


「……と、このまま立ち話をするのも長くなるでしょうしご飯を囲みながらでどうかしら。せっかくのお料理が冷めるのはもったいないわ」

「そうですね! 賛成ですっ!!」

「あたしもー」

「私もです。咲ちゃん一緒にいこっか」

「うん。あ、でも咲のキャリーバック……」

「俺が二階に運んでおくから気にしないで。小雪さんはみんなと一緒にリビングにどうぞ」

「ええ、お言葉に甘えてそうさせてもらうわね」


 力仕事は男の役割である。

 入居者全員がリビングに入ったことを見て宣言通りにキャリーを運んでいく蒼太。


 時間にして1分ほど。

 二階から一階に戻った蒼太は、リビングに顔だけを出して椅子に座っている入居者全員に伝えるのだ。


「……それじゃあ、みんなはゆっくり食べててね」

 ——と。それは蒼太が食卓に混じらないことを示している。


「えっ、蒼太さんは食べないんですか!? ひより皆のお皿用意しましたよ!?」

「報告遅れて本当にごめんね。ちょっと用事があるからいってくるよ。その皿はみんなの取り皿に使ってもらって大丈夫だから。じゃ、俺は2時間くらいで帰ってくるよ」

「あ……」

 ひよりからの遮りを上手く交わすようにリビングの扉を閉めた蒼太は、そのまま夜帯の外に出ていった……。


 結果、豪華な料理が並ぶリビングに残される5人である。


「ん……。咲、管理人さんの実態が全然掴めない。仕事はちゃんとしてるのに夜遊び、、、にいくなんて。真面目だけど不真面目が目立つ」

「それは違うわよ、咲」

「え?」

 咲は蒼太の性格や内面をまだ知らないのだ。行き先も伝えずに外に出ていくようなことをすればこう思われても仕方がない。誤解をさせないようにすぐ訂正を入れる小雪である。


「ほら、このメンバーで食事をするのって年単位ぶりでしょう? 話が持ち上がるのは当然のことだからその邪魔をしないように動いてくれたのよ。ソウタさんが報告を遅れさせるような時っていつもこうだから」

「ホント気を遣いすぎだよねそーたって。こんだけ豪華な料理作って自分は出ていくとか理解できないって」

「……でも、蒼太さんらしいですよ。あれはどう頑張って引き止めても出ていくつもりでしたからね」

「蒼太さんはもっと甘えてほしいです……。気を利かせすぎです……」


 蒼太と長期間関わっているからこそ、小雪以外の入居者も同じ考えなのだ。

 そんな全員のフォローが入ったことで蒼太への信頼度の高さを感じる咲だが、それだけで納得することはない。


「みんなの言うことはわかるけど、咲はまだ信じられない。管理人さんならみんなに心配をかけないように行き先は伝えておくべき。それを言えてないからから夜遊びの可能性はある」

「た、確かにそうだけれど……今までソウタさんが夜遊びをしたことはないのよ?」

『ふるふる』

 蒼太の印象が悪くならないように何度も弁明をする小雪だが、警戒心の強い咲にはどうしても届かない。首を横に振るだけだった。


 咲は文化も言語も違う異国の地で過ごしてきたのだ。誰も頼ることができないそんな場所で生き抜いたからこそ、防衛本能は強く身についている。


 いや、正直なところ初対面の相手を、それも異性をいきなり信用しろという方が間違っているだろう。

 女性として正しい距離感を取っている咲だが……蒼太の帰宅後である。壁のような警戒心は一瞬で砕かれることになるのだ。

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